三重県伊賀市からの帰り道,期せずして素晴らしい橋を発見した.
本橋と出会ったのは,伊賀市内の昭和初期の橋を探索した帰り道だった.前哨戦の笹瀬橋,血黒橋,中橋と宵宮橋,霧生橋と落合橋,中西橋,出合橋と出合大橋と合計9本もの橋を訪問できた私は,ほくほくした気持ちでハンドルを握っていた.
当初予定していた帰り道は名阪国道から奈良バイパスという,私にとっては走り慣れたルートだった.しかし休憩のために針の道の駅に入ったとき,なんとなくいつもと違う道で帰りたくなった.そのため名阪国道に復帰せず,以前訪れた廃ランプウェイを横目に見ながら,国道369号を北に進んだ.
走り始めてから数分.針ヶ別所町へ続く奈良県道25号が右に分岐するという看板を見た.一瞬だけナビに目を落とすと,分岐の先は川を跨いでいる.どんな橋が架かっているのか気になって,そこを通過する際に右を見てみると,
衝撃を受けた.重々しい親柱にコンクリートの低い欄干からして明らかに古橋だ.廃ランプウェイを訪れた時にもここをバスで通ったはずだが,その時は重大な見落としをしていたらしい.ともかく車を停め,探索を開始した.
まずは上流側から.
古びた分厚いコンクリートの橋桁に,いかにも昭和初期らしいアーチ型の窓を連ねた高欄.やはり素晴らしい.圧巻の一言に尽きる.
上の写真の左手に建つ親柱には,
「しもとかわはし」.漢字表記の銘板などは残っていなかったのだが,「奈良県の近代化遺産」の一次調査対象リスト 1 に
01-076|土木工作物|交通|橋梁|下戸川橋|奈良市針ヶ別所町、深江川(布目川支流)県道25号月瀬針線|昭和2年|単径間RCT桁橋(3主桁、1横桁)
というのがあったので,これのことであろう.ただし竣工年は誤りで,正しくは後述のように昭和10年 (1935年) である.また,付近のバス停は「上戸賀橋」だが,関係は不明だ.
そして「しもとかわはし」の親柱の,路面と反対の側面には,
控えめな,それでいて重要な「請負東組」の刻印.珍しくない名前ゆえに同名の団体は数多くあったが,本橋の工事を請け負った「東組」についての情報は今のところ得られていない.
また,北東側の親柱には,
「深江川」.そして路外を向いた側面には,
「昭和拾年八月架換」.やはり昭和初期の橋だった.なお,残り2本の親柱も現存してはいたものの,いずれも題額は失われていた.
最後に,下流側から見上げて.
親柱,高欄,橋桁,どれを取っても魅力溢れる逸品で,一日の最後に本橋を見つけられたのは幸運の極みだった.やはりたまには寄り道も必要だと強く実感しつつ,今度こそ家路についた.