交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

下戸川橋 (2021. 7. 11.)

三重県伊賀市からの帰り道,期せずして素晴らしい橋を発見した.

 

本橋と出会ったのは,伊賀市内の昭和初期の橋を探索した帰り道だった.前哨戦の笹瀬橋血黒橋中橋と宵宮橋霧生橋と落合橋中西橋出合橋と出合大橋と合計9本もの橋を訪問できた私は,ほくほくした気持ちでハンドルを握っていた.

 

当初予定していた帰り道は名阪国道から奈良バイパスという,私にとっては走り慣れたルートだった.しかし休憩のために針の道の駅に入ったとき,なんとなくいつもと違う道で帰りたくなった.そのため名阪国道に復帰せず,以前訪れた廃ランプウェイを横目に見ながら,国道369号を北に進んだ.

 

走り始めてから数分.針ヶ別所町へ続く奈良県道25号が右に分岐するという看板を見た.一瞬だけナビに目を落とすと,分岐の先は川を跨いでいる.どんな橋が架かっているのか気になって,そこを通過する際に右を見てみると,

衝撃を受けた.重々しい親柱にコンクリートの低い欄干からして明らかに古橋だ.廃ランプウェイを訪れた時にもここをバスで通ったはずだが,その時は重大な見落としをしていたらしい.ともかく車を停め,探索を開始した.

 

まずは上流側から.

古びた分厚いコンクリートの橋桁に,いかにも昭和初期らしいアーチ型の窓を連ねた高欄.やはり素晴らしい.圧巻の一言に尽きる.

 

上の写真の左手に建つ親柱には,

「しもとかわはし」.漢字表記の銘板などは残っていなかったのだが,「奈良県の近代化遺産」の一次調査対象リスト 1

01-076|土木工作物|交通|橋梁|下戸川橋奈良市針ヶ別所町、深江川(布目川支流)県道25号月瀬針線|昭和2年|単径間RCT桁橋(3主桁、1横桁)

というのがあったので,これのことであろう.ただし竣工年は誤りで,正しくは後述のように昭和10年 (1935年) である.また,付近のバス停は「上戸賀橋」だが,関係は不明だ.

 

そして「しもとかわはし」の親柱の,路面と反対の側面には,

控えめな,それでいて重要な「請負東組」の刻印.珍しくない名前ゆえに同名の団体は数多くあったが,本橋の工事を請け負った「東組」についての情報は今のところ得られていない.

 

また,北東側の親柱には,

「深江川」.そして路外を向いた側面には,

「昭和拾年八月架換」.やはり昭和初期の橋だった.なお,残り2本の親柱も現存してはいたものの,いずれも題額は失われていた.

 

最後に,下流側から見上げて.

親柱,高欄,橋桁,どれを取っても魅力溢れる逸品で,一日の最後に本橋を見つけられたのは幸運の極みだった.やはりたまには寄り道も必要だと強く実感しつつ,今度こそ家路についた.

参考文献

  1. 奈良県教育委員会 (2014) "奈良県の近代化遺産:奈良県近代化遺産総合調査報告書" pp. 162-182,奈良県教育委員会