交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

振古橋 (2021. 8. 29.)

兵庫県市川町.播但線甘地駅に通じる県道の橋を訪ねた.

 

七種川橋播但線の七種川橋梁と福田用水橋梁より続く.福崎駅に戻った私は,普通電車でひとつ隣の甘地駅に降り立った.この近くに架かる2本の橋が,次の目的地だった.

 

古い木造の甘地駅舎を出て正面に進むと,ほどなく川に行き当たる.2級河川市川水系の振古川である.ただしこれは旧流路で,500mほど上流に市川へまっすぐ合流する新流路が造られて以降,水量は格段に少なくなっているようだ.

 

ともかく,そんな振古川に沿って北に歩くこと約150mで,目当ての「振古橋」に到達した.

右岸下流側からの景.この溢れる古色に惹かれて,はるばるやって来たのだ.

 

近景.特徴的なのは高欄で,大きな欠円アーチ型開口部に縦のスリットを入れたような意匠となっている.

 

本橋のもうひとつの特徴は,南西側が大きく張り出していることだ (いわゆる擦り付け).

西詰からの景.右 (南) の高欄が大きく曲がっていることがわかる.

 

この擦り付け部分を真横から見てみると,

わかりにくいが,一番手前 (南) の主桁が2本に分岐して,広い床版を支えている.

 

この擦り付けは,橋上を通る兵庫県道215号甘地停車場線の進行方向に合わせて設けられたと考えられる.

ピンの位置が本橋.町役場のある南東方向からやってきた県道215号が,当地で振古川を渡り,甘地駅に向かって南に転進する.車両交通にはやや無理のあるこの線形を少しでもマシにする目的で,本橋の擦り付けが設けられたと考えられる.

 

なお,上の地図で少し南にスクロールしてもらえばおわかりいただけると思うが,現在は本橋の手前 (「甘地駅前」交差点) で左に分かれる道が造られており,駅に向かうだけであればこちらを通る方が距離・線形ともに良い.この短絡路の開通時期は,振古川を渡る「出合橋」が昭和38年竣工と記録されているので,その頃とみられる.

 

北側.配管で見にくいが,こちらは床版・桁ともに直線形となっている.

 

桁裏.主桁は4本.単径間のRC桁橋で,橋台もRC造である.

 

親柱に掲げられた橋名.「振古𣘺」「ふりこはし」.

 

竣工は昭和30年 (1955年) 3月.戦後の混乱が落ち着き,それまで多かった木橋が続々と永久橋化された時代である.

 

もう1基の親柱には「架振古川」.どうでもいいことかもしれないが,親柱に「架○○川」という表現が使われているのを,私は初めて見た.同じ市川町内の市川新橋屋形橋でも見かけることになったが,この他の土地では今に至るまで見かけていない.一種の地域性と言えるかもしれない.

 

最後に対岸からの景.

高欄の曲がり具合と円弧状の意匠が良い調和となっている.

 

小規模ながら特徴的な,面白い橋だった.