琵琶湖の西岸,真野の集落のはずれに架かる昭和初期の橋を訪ねた.
近畿地方の梅雨明けが発表されたこの日,レンタカーで滋賀県の交通遺産をめぐった.本記事でレポートするのは,その最初に訪れた橋だ.
堅田駅近くで車を借り,琵琶湖大橋の西詰から国道477号に入った.湖西道路の真野ICを過ぎたところで左折して市道に入り,300mほど先で真野川を跨ぐのが本橋だ.
この橋の魅力はなかなか伝わらないかもしれない.小規模で装飾もほとんどなく,大半の人は気にも留めない橋であろう.しかし私にとっては,コンクリート製の分厚くかつ低い高欄や狭小な幅員から感じられる古色がたまらない.
向かって左側 (北西) の親柱には,
「北海橋」と (銘板などではなく) 直に刻まれている.滋賀県にもかかわらず不思議な名称に思えるかもしれないが,この「北海」はおそらく琵琶湖の北湖のことを指している.ここは琵琶湖の南湖・北湖の境界から少し北に入ったエリアである.
右側 (南西) の親柱には,
一番知りたかった竣工時期が刻まれていた!「昭和十二年十二月竣功」.見た目の印象通り昭和初期の橋だった.
渡って対岸の親柱.南東は,
平仮名の名称と思われるが,肝心のところが読み取れない.蔦,そしてなぜか結わえ付けられているロープを動かそうかと思ったが,毛虫が張り付いていたのでやめておいた.なお,北東の親柱は2枚上と同じく竣工時期だったので割愛する.
高欄.
矩形の大きな窓を連ねたシンプルな意匠だが,縁取りが好ましい.
上流側の引いた位置から.
延長の短さから推察される通り,無橋脚のコンクリート桁橋である.桁にも相応の年季が入っている.
配管が目障りなので反対側から観察したいところだが,下流側はすぐに笹薮が迫っており,3枚上の写真しか撮れなかった.
例によって,本橋の知名度は相当低いと思われる.執筆時点で先人の探索記録は見つからず,また滋賀県教育委員会による近代化遺産調査報告「滋賀県の近代化遺産」のリストからも漏れている.私は探索日の前日,地図とストリートビューでこの地区の橋をしらみつぶしに調べた結果,本橋を見つけることができた.
本橋は現在のところ大きな補修もなく,昭和初期らしい雰囲気をほぼ完全に留めたまま現役で供用されている.しかし架設から80年以上が経過し,架換え,あるいはもっとありそうな話としては高欄の交換などは,いつ実施されてもおかしくないと言える.知名度の低さゆえに地元の人以外には全く知られることなく,現在の姿が失われることだろう.有名な土木遺産だけでなく,このような無名の,それでいて魅力的な物件を,今後も積極的に探索して記録に残したいと思う.