交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

伊賀市霧生の霧生橋と落合橋 (2021. 7. 11.)

青山高原の南部,伊賀市 (旧青山町) 霧生.2本の川の合流点に架かる昭和初期の橋を訪ねた.

 

中橋と宵宮橋の探索を終えた私は,中橋の西詰から延びる三重県道767号で南西に進んだ.山間部の路線だから予想はしていたが,狭隘路だった.

そんな「険道」を約3km進んだところで左折して,広域農道の伊賀コリドールロードに入る.ここからは2車線の快走路だ.3km先で旧矢持村に入ると,川上川に沿って進む.さらに1.5kmほど南進すると霧生集落である.路肩に車を停め,探索を開始した.

 

伊賀コリドールロードから,東に並行する川上川の方を見ると,

手前のガードレールは興ざめだが,味わい深い橋が2本架かっている.手前に写っているのは支流で,右奥の橋を潜って右 (東) に延びてゆくのが川上川の本流だ.

 

まずは手前の橋から.

「きりうはし」「昭和九年九月架換」.霧生集落への入口に相応しい名称といえる.私の大好きな昭和初期の橋で,親柱の意匠も凝っている.

 

高欄.

アーチ型の窓を連ねた,この時代の典型的な意匠.

 

横から.

溢れる古色が素晴らしい.

 

上流側の高欄は,先ほどの写真の通りガードレールに交換されていたのだが,金属製の銘板 (しかも横長) が貼り付けられていた.

「きりうばし」「霧生橋」そして「昭和42年12月」.先ほどの昭和9年とは30年以上の隔たりがあるが,おそらく昭和42年に橋が拡幅されたことを表しているのだろう.その際に上流側の高欄と親柱が撤去され,代わりにガードレールが設置されたものと思われる.

 

さて,もう一本の橋へ行こう.

なぜか太陽光パネルが設置されている以外は,ほぼ原型を保っている.素晴らしい!

 

親柱..

いずれも控えめながら装飾的である.刻まれた文字は落合橋,おちあひはし,昭和七年一月架換.残り1本も竣工時期だった.川上川と支流が落ち合う場所ゆえのネーミングであろう.

 

この落合橋で最も特徴的なのは高欄だ.

扁平な欠円アーチの上に4つの窓を並べている.優美さと軽やかさを兼ね備えた独特の意匠が好ましい.

 

横から.

無橋脚のRC桁橋.桁裏には鋼材で補強が入っているように見える.

 

最後に,霧生橋と落合橋を並べて.

集落に立ち並ぶ古い家々も含め,良い雰囲気を保つ古橋だった.

 

これにて探索を終え,同じ霧生集落にある別の橋へ向かった.