※「対州の旧隧道群」は調査が追い付かないのでおやすみです.
天誅組で知られる奈良県五條市の本町地区.吉野川に注ぐ支流 (用水路?) のひとつ東浄川に,戦前製の橋が2本並んで架かっている.
宮前橋
場所: [34.3503056, 135.6919444] (世界測地系).
西詰から.いかにも昭和初期らしい親柱と高欄が残る.
親柱には「みやまへはし」「とうじやうかは」と直接刻む.
古い高欄が古い木造家屋を背景に残る.雰囲気が素晴らしい.
短径間のRC桁である.T桁か床版桁かを判別するには川床に降りればよいが,今回はできなかった.そして下部工は練積みの石橋台である.もう少し遅い時代であれば橋台もコンクリートになったであろう.
渡って東詰からの振返り.
左の親柱には「宮前橋」.
同じ親柱の下流側 (南側) の面には「昭和参年五月竣工」と刻まれている.全国道路構造物マップでは竣工年不明となっているが,実際は昭和3年 (1928) 5月竣工であることがわかる.
なお,もう一基の親柱は住宅の植込みに埋もれており,内容を確認できなかった.
上流側.
歩道橋から.
下流側に並行する国道から.特別な装飾などはないが,昭和初期の姿をよく残している.窶れ具合も良い.
八幡橋
場所: [34.35046, 135.69171] (世界測地系).
宮前橋から上流側を望むと,わずか25m先にもう1本橋が架かっている.
右岸側よりアプローチ.こちらも華奢な親柱と背の低い高欄を留めている.
親柱には「八幡橋」「東浄川」.橋の向こうが八幡神社であるから,それにちなんだ名称であろう.むしろ参道として整備された道なのかもしれぬ.
宮前橋と同様,親柱の側面に何か情報があるのではないかと思い,「東浄川」の側面をみてみると当たりであった.「昭和三年五月竣工」.宮前橋とまったく同じ時期である.橋が当たり前ではなかったこの時代に,わずか25mほどの距離に同じ川を渡る橋が造られているのは驚きだ.そのあたりの経緯が気になるのだが,調べても情報は得られなかった.
高欄は宮前橋より装飾的.ひし形の開口部が連なる洒落た意匠.
上部工はこちらも単径間のRC桁.
下部工は練積みで,ここも宮前橋と共通である.
渡って対岸から.
親柱には「はちまんはし」「とうじやうかは」.
下流側に水路橋が並行する.
この古色がいとおしい.
おわりに
東浄川に架かる2本の旧橋を訪ねた.短い橋とはいえ,まだまだ木橋が当たり前だった時代,わずか20mほどの距離に2本の永久橋が並行しているのは驚きだ.両橋の歴史については調べても判然としなかったが,このあたりは大和街道と西熊野街道の交わる交通の要衝で,奥吉野方面への物資の集散地であった.その豊かさの結果かもしれない.