交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 国道347号 大石田大橋 (2023. 12. 30.)

山形県大石田町最上川に架かる,国内現存最古のカンチレバートラス橋.

 

大橋という名の橋は全国各地にあるが,山形県北東の大石田町の「大橋」は,奥羽本線 (山形新幹線) の大石田駅を擁する大石田地区と,最上川対岸の旧横山村地区を結ぶ橋である.なお記事名は「大石田大橋」としているが,これはあくまでも通称で,正式名称は「大橋」である.

場所: [38.58641896711978, 140.3737914268812] (世界測地系).

 

最上川の狭隘地であるこの場所に初めて橋が架かったのは明治34年 (1901) 4月 1大石田駅が官設鉄道の停車場として開業したのが同年10月であるから,駅へのアクセス路ならびに工事用道路として架橋されたと考えられる.

初代・大橋 2.構造は木造方杖橋で,現代の感覚から言えば脆弱であるが,それ以前は渡船が通っていた 1 というから,最上川の水運で栄えた大石田の人達にとっては交通の近代化を象徴する存在であったに違いない.大橋という大胆な名称も,そういった事情から付けられたのであろう.なお大正8年 (1919) の旧道路法制定以降,大橋は府縣道谷地大石田線に指定されている 3

 

初代・大橋は比較的長く利用されたが,昭和に入るころには老朽化が目立つようになった.昭和2年 (1927),山形県は大橋を含む51橋の架換えと373里3町 (≈145.6km) の道路改修を計画する.しかしながら昭和4年,折からの昭和恐慌の影響で国庫補助が中止され,計画は大幅に縮小されることになった.それでも山形県は,

本縣の橋梁は大部分木橋であつて既に老朽に達して居て人名保全災害豫防の見地より之れの架換はどうしても放置すべきでない

として,橋梁の架換えを主軸に据えた新計画を策定し,起債の許可を得た.かくして大橋の架換え工事は昭和5年 (1930) 1月4日に着手された 3

 

新しい大橋は同年12月7日に竣工した.延長145.45m,幅員5.4mの鋼下路カンチレバーワーレントラス橋 4.「日本の近代土木遺産5 によると,国内現存最古のカンチレバートラス橋である (同時期に架設された徳島県の穴吹橋や宮城県の米谷大橋は架換え済み).戦後の昭和50年 (1975) には国道347号に指定されるが,バイパスとなる虹の大橋が平成元年 (1989) に開通したため,現在は山形県道121号尾花沢大石田線となっている.

 

2023年12月30日,現地を訪ねた.橋の南詰に東屋を有する広場があったので,車はそこに停めさせていただいた.

 

南詰から見る大橋,昭和5年 (1930) 竣工,近代土木遺産Bランク 5

 

銘板.昭和5年桜田機械製造所 (東京市) 製作.

 

南詰の親柱.「おおはし」「昭和6年9月竣工」の額を掲げる.各種資料にある昭和5年 (1930) 12月とは若干時期にズレがあるが,昭和6年9月に道路として開通(=通行が可能になった)ということと思われる.あるいは同月に竣工式か何かが行われたのかもしれない.橋自体が竣工しても,取付道路の工事や舗装などで開通がそれより遅くなることは珍しくない.

 

なお親柱は見ての通り新しいものである.現地解説板によると,この付近の堤防は,舟運で栄えていた江戸時代の様子を偲べるよう,平成初期に白壁の塀蔵風のペイントがなされている.この親柱もそれに合わせて設置されたのであろう.開通当初のものが残っていないのは残念だ.

 

下流側.カンチレバートラスとしてはスタンダードな,左右2箇所をつまみ上げたような形状.

 

 

 

桁裏を見る.床版は打ち替えられているようだ.

 

橋脚.傷みが激しいのかかなり補強されている.

 

こちらは上流側.配管が添えられておりやや景観が悪い.

 

鉛直材・斜材は基本的にシングルレーシング.

 

端材の裏はダブルレーシングとなっている.

 

 

面白いのは2ヶ所ある架け継ぎ部分.

これは南側で,ダブルレーシングの鉛直材であるが,桁のピン結合は下端のみとなっている.上端は剛結のようだ.

 

そして北側の架け継ぎ部分.なんと四面のダブルレーシングの中に別の柱が内包されている.そしてこちらは,上端・下端ともにピン結合を有する.

 

橋梁工学には明るくないが,ユニークな構造であることは確かだと思われる.機械工学や材料力学の専門家である桜田機械ならではの何かしらの工夫が凝らされているのであろう.

 

北詰から.

 

北側にも南側と同じ銘板.

 

親柱.「大橋」「最上川」.

 

 

 

現地に残されていた補修記録.竣工から90年以上経ち,今や国内現存最古のカンチレバートラスとなってしまったが,大切にされてきたことがうかがえる.

 

しかしながら,残念なことに,大橋は架換えが計画されている 6.河川改修により川幅が広がること,また桁下高も計画高水位に対して不足していることに伴う架換えであるから,架換え後は早急に撤去されるものと思われる.残念ではあるが,工事の気配もなく,元気に活躍している時期に訪ねることができてよかったと思っている.

参考文献

  1. 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2024年4月18日閲覧.
  2. 佐藤尚 (2012) "あの頃の風景 おくのほそ道 第2回 最上川舟運文化を残すまち「大石田」" Consultant,Vol. 256,pp. 40-41,建設コンサルタンツ協会.
  3. 池本泰兒 (1930) "最近に於ける山形県の橋梁工事" 道路の改良,第12巻,第8号,pp. 103-108,道路改良会.
  4. 内務省土木試験所・編 (1935) "本邦道路橋輯覧" 第3輯,p. 69,内務省土木試験所.
  5. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 44-45,土木学会.
  6. 大石田町 (2023) "もがみがわ緊プロNEWS 第3号 大石田大橋架け替えに関する説明会のお知らせ" 2024年4月19日閲覧.