奈良市の主要地方道において現役で利用され続ける,昭和初期生まれの橋を訪ねた.
(2021. 12. 23.) 再訪につき追記しました.
目次
第一次探訪 (2021. 7. 22.)
今回の探索は,西熊野街道の交通遺産の第一次探索を終えた後に実施した.JR奈良駅近くのカーシェアステーションに車を返却した時点で,まだ日没まで僅かに時間があったので,以前通りがかった際に気になっていた橋を訪ねることにしたのだ.
JR奈良駅東口からバスでおよそ10分,「高畑住宅」で下車し「東紀寺三丁目」交差点を左折すると,県道80号奈良名張線となる.ここからひたすら東に進んで県境の山間部を越え,三重県名張市に至る主要地方道である.私は以前,下戸川橋を訪れた日の帰りにこの道を利用したのだが,途中で気になる橋を見つけていた.
東紀寺三丁目交差点から200m足らずで,その橋の西詰に至る.
小さな橋だが,低い高欄と大きな親柱には明らかな古色が感じられる.初めて見つけたときは,既に日没を迎えて暗くなっていた上,駐車スペースがなかったので,スルーせざるを得なかったのだ.
西側の親柱.
円柱型の石材に,「能登川橋」「能登川」と直接刻んである.実はこれ,昭和初期に奈良市内で流行した意匠らしく,後日訪れた法蓮橋や (旧) 飯合橋でも確認できた.シンプルながら斬新な,そして加工に手間の掛かりそうな親柱である.なお,対岸の親柱のうち上流側は失われており,下流側は西側と同じく「能登川」だった.
親柱に竣工時期は刻まれていなかった (と思う) が,県の橋梁点検結果 1 によると昭和8年 (1933年) 竣工.現役の橋としては古参の部類と言える.
(2021. 12. 23. 修正) 当日は見落としていたがきちんと竣工時期が刻まれていた.詳しくは再訪編を参照.
高欄.
コンクリート製の太いパイプ状の横材に,鋳鉄?の鉄格子がはめ込まれている.鉄格子は伝統的な擬宝珠高欄を模したものだろうか.
渡って振り返り.
短い橋だが,高欄と親柱の意匠によって重厚な印象.
上流側.
歩道橋が併設されており,視点場がない.
下流側.
水道管が邪魔だがなんとか観察はできた.単径間のRC桁橋だ.
橋の西詰の電柱には,
交通を見守るお地蔵様.移設されているようにも見えるが,元々の場所はどこだったのだろう.
県の橋梁点検結果 1 によると本橋の幅員は6.5m.昭和一桁台という時代を考えると相当広く,現在でも普通車同士なら離合も可能である.この県道が奈良と伊賀を結ぶ街道として,その当時から重要視されていたことが窺える.お地蔵さまもその頃から当地に立っていたのではないか.
もう少し違う角度からも橋を眺めてみようかと思ったが,日没を過ぎて暗くなりつつあったので,これにて探索を終えた.
再訪編 (2021. 12. 23.)
「親柱に竣工時期は刻まれていなかった (と思う)」と書いたが,思い直しておよそ4ヶ月ぶりに再訪した.結果はビンゴで,南東の親柱の外側 (路面と反対側) に「昭和八年九月架換」の文字があった.
初回訪問時は対岸からしか観察しなかったため,気が付かなかった.やはり横着をしてはいけない.ちなみに再訪のきっかけは,同じ奈良市の法蓮橋と (旧) 飯合橋という類例を見たことだった.
以下,改めて記録した写真も載せておく.
明るい時間に再訪したことで,高欄の下部に細い窓が開いていることや,桁の横に配管を載せるための台座が設えてあることにも気が付いた.
参考文献
- 奈良県県土マネジメント部道路保全課 (2010) "奈良県橋梁長寿命化修繕計画 これまでの橋梁点検結果" 2021年10月8日閲覧.