交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

血黒橋 (2021. 7. 11.)

三重県伊賀市の探索中に見つけた,小品ながらインパクト抜群の橋をレポートする.

 

笹瀬橋の探索を終えた私は,次の目的地であった伊賀市奥鹿野の中橋に向かっていた.国道163号から名阪国道,伊賀コリドールロードと乗り継いで,柏尾川に沿った道を進む.中橋はこの川に架かる橋だから,あとはまっすぐ進むだけだ.

 

まもなく奥鹿野の集落というところで,進行方向右側の柏尾川を跨ぐ橋が目に入った.

小規模な橋だが,どっしりとした親柱,そして高欄の外側に施された装飾は見逃せない.すぐに路肩に車を停め,観察を始めた.

 

まずは正面から.

幅員は普通車1台分程度.高欄はくるぶしほどの高さしかない.

 

向かって左側 (北東) および対岸の南西側の親柱には,一番気になる橋の名前が刻まれていた.

「血黒橋」.強烈な名前である.周囲には農地が広がるだけで,血を連想させるものはない.近世以前にこのあたりで合戦でもあったのだろうか.しかしいずれにしても,金属製の銘板の質感はなかなかのものだ.

 

右側 (北西) および対岸の南東側の親柱には,

こちらも知りたいことに如実に答えてくれる銘板だ!「昭和廿六年三月架𣘺」.戦後生まれとは,思ったよりも新しい.しかし「廿」や「𣘺」,そして「和」の字体 (のぎへんの右はらいが長く伸びているところ) は素晴らしい.

 

横から.

無橋脚のコンクリート桁橋.橋桁と同じくらいの厚みしかない高欄に,シンプルながらスリットを連ねた意匠が施されているのが好ましい.

 

違う角度から.

蔦は絡んでいるが,路面は綺麗な状態を保っている.対岸の農地に向かう軽トラなどが日々通っているのだろう.

 

本橋の歴史や名前の由来などは,調べてみたが判然としなかった.しかし,立派な銘板と控えめながら装飾的な高欄からして,地域にとって重要な橋であることは間違いないだろう.このような名前の橋は,得てして心霊スポットのような不名誉な扱いを受けがちだ.幸い現在のところは全く有名ではなく,落書きをするような愚か者が来襲するようなことはなさそうだが,今後もひっそりと活躍してほしいと願う.