交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

釜石線 晴山・岩根橋間の石桁暗渠 (2024. 2. 12.)

岩手県花巻市.旧岩手軽便鉄道によって造られたと思われる小さな石桁暗渠.

 

岩手県の内陸に位置する花巻と,太平洋岸の釜石を結ぶJR釜石線のうち,起点側の花巻から遠野市の仙人峠までの区間は,大正2年 (1913) から同4年にかけて岩手軽便鉄道によって建設された.同鉄道は昭和11年 (1936) に国有化され,軌間軽便鉄道規格から普通鉄道規格に広げる工事が進められた.この際,橋梁や隧道といった既設構造物の多くが放棄または改築されたため,往時の姿で利用されてはいない.しかしながら,今回,岩手軽便鉄道時代に建設されたと思われる構造物が,今もそのまま利用されている様子を発見したのでレポートする.

 

場所は花巻市の晴山駅と岩根橋駅の間.大正3年 (1914) 12月15日に開通した区間である.

場所: [39.3623, 141.2707] (世界測地系).

 

この日は有名な達曽部川橋梁と宮守川橋梁を訪ねるため,線路南側の国道283号を運転していたのだが,上の地点に差し掛かったとき,細い水路が線路を潜るのが見えた.地図にも載らないほどの小規模な水路である.猿ヶ石川から取水し,付近の農地に配水する用水路と思われる.

 

冬枯れゆえの視界の良さが幸いした.線路と水路の交差部分に,石製の橋台と桁らしきものが見えたのである.一旦通り過ぎてしまったが,駐車スペースも転回スペースも見当たらないので,交通量が少ないのを良いことにそのままバックして,水路脇の僅かな草地に無理やり駐車した.

 

車を降りて見てみると…

やはり石桁暗渠だ!!

 

前述のように釜石線は大正初期に開通した後,昭和10年代に改築を受けている.大正後期以降,こうした暗渠はコンクリート (ヒューム管含む) で施工されるのが一般的であったため,本暗渠はほぼ確実に大正期のものであり,岩手軽便鉄道の開通当初のものである可能性も高い.また,明治・大正期の鉄道用暗渠はほとんどが土管か煉瓦アーチで造られており,石桁暗渠自体も珍しい.

 

この発見に喜び勇んで長靴に履き替え,さらに接近した.

切石を重ねて持ち送り風に迫り出させた橋台で,石桁が支えられている.シンプルながら芋目地の出ない,安定感のある構造だ.

 

暗渠脇の石造りの擁壁も開通当初のものか.古レールを支柱にして路盤が少々張り出すようになっているが,これは後年の施工であろう.保線作業員の退避スペースだろうか.

 

暗渠の幅や高さは計測し忘れた (コンベックスは持っていたのに…) が,大人がかがんで前進するには問題ない空間があった.水深も数センチ程度で泥濘もなかった.というわけで,ヘッドランプを装着して内部に進入した.

見渡す限り切石積みが続く圧巻の景.美しい……

 

 

しばらく進むと,なんと左にカーブし始めた.もともと線路に対し斜めに交差していたのを直角に補正するような感じである.進入して以来向こうの光が見えなかったのはこのためであった.線路の向こうの農地に配水する都合だろうか.

 

行く手がコンクリートに阻まれた.よく見ると側壁もコンクリートになっている.後年に延長された痕跡であることは明白だ.ここでは線路の北側に市道が並行しているので,この先は市道を潜るということであろう.いずれにしても匍匐前進で進む気はないから,ここで引き返した.

 

身を屈めながら歩いて呑口に戻ってきた.

迫り出した石積みのシルエットが独特で楽しい.

 

ついでなので吐口の方も見に行くことにした.踏切を渡って線路北側の市道に入る.吐口側は非常に目立たないのでやや苦労したが,15分ほど探し回ってなんとか見つけた.

予想された通りのコンクリート暗渠である.特に面白みはない.

 

探訪は以上.大正期の開通から約1世紀を経て,一切の綻びもなく鉄路を支える優れた構造物であった.釜石線といえば達曽部川橋梁や宮守川橋梁ばかりが注目されがちだが,それより長い歴史を有する本暗渠も十分に価値のある土木遺産だと思う.

 

なお後日,この暗渠について調べてみたが,工事誌のような資料もないようで,特に情報は得られなかった.正式名称も未だ不明である.