交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

笹瀬橋 (2021. 7. 11.)

京都府最南端の南山城村に架かるポニートラス橋を訪ねた.

 

この日私は,伊賀市の昭和初期に架けられた橋梁群を探索していた.今回はその前哨戦として寄り道した,京都府南山城村の橋をレポートする.

 

国道24号から国道163号に入り,木津川に沿って進む.いつも通り「道の駅お茶の京都みなみやましろ村」でソフトクリームを食し (写真は撮り忘れた),以前訪れた伊賀街道架道橋を見ながら関西本線を潜る.集落を抜けるとすぐに本橋だ.いったん通り過ぎ,200mほど先に手頃な路肩を見つけて駐車した.

 

まずは南東から.

笹瀬橋,昭和31年 (1956年) 竣工.深く広い谷を優雅に跨ぐ,緑に塗られたトラス橋.

 

南詰から正対.

平行弦の上部が接合されていないポニートラス橋.私の大好きな構造だ.「7.5t以上の大型車輌は通行止」となっており,それなりに老朽化が進んでいることが窺える.

 

こちら側の親柱には,

「さヽせばし」「昭和三十一年三月竣工」と刻まれていた.

 

また,向かって左側 (西側) の弦の斜材には,銘板が確認できた.

「昭和30年(1955)京都府建造 道示(昭和30年)二等橋 製作 飯野重工株式會社」とはっきり読み取れる.飯野重工は京都府北部の舞鶴市の企業で,戦後は (旧) 舞鶴海軍工廠を引き継いで造船所を発足させたことで知られている.

 

南西側から.

こちらは何らかの配管が取り付けられていた.

 

さて,歩いて渡ってみよう.

トラスの構造は斜材を「逆ハの字」に配置したプラットトラスである.

 

北側に抜けて,振り返る.

下路のトラス橋は往々にして無粋な高欄 (あるいはガードレール) で台無しにされがちだが,本橋の高欄は控えめで,良い雰囲気を保っている.

 

こちら側にも銘板があった.

内容は南側と同じようだ.

 

また,北側の親柱には,

「笹瀬橋」「伊賀川」.木津川はこのあたりでは伊賀川とも呼ばれているようだ.ここは京都府南山城村だが,すぐ隣は忍者の里として知られる三重県伊賀市である.

 

最後に,本橋の歴史 1 を簡単に紹介しておく.渡船に代わってこの地に橋が架けられたのは明治40年 (1907年) のことだった.しかし初代の橋はその年の水害で流出し,翌年に架けられた2代目の橋も大正6年 (1917年) に流された.次に架けられた3代目の橋は長く使われたが,戦後復興の真っ最中の昭和28年 (1953年) に流された.おそらく同年夏に京都府南部を襲った南山城水害,あるいはその翌月に近畿地方に甚大な被害をもたらした台風13号 (テス台風) によるものであろう.その後昭和31年 (1956年) に架けられたのが,現在の笹瀬橋である.

 

広い川を悠々と跨ぐ笹瀬橋.どこにでもありそうな橋にも見えるが,実は度重なる水害との戦いの歴史を秘めていた.

参考文献

  1. 南山城村体験観光推進協議会 (刊行年不明) "[田山/施設]笹瀬橋(Sasase Bridge) | 村へ行こう!南山城村へ!" 2021年9月3日閲覧.