交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

横浜市 谷戸橋 (2023. 10. 12.)

神奈川県横浜市関東大震災の復興事業で架けられた,全国的にも珍しい3ヒンジアーチ橋.

 

はじめに

大正12年 (1923) に発生した関東大震災は,首都圏の広範囲の橋梁を損壊させた.木橋は脆くも崩落し,当時既に普及し始めていた鉄橋・コンクリート橋といった永久橋についても,木造の床版が火に巻かれたり,煉瓦や石の組積造りの下部工が崩落したことで落橋したりした.そして,その復興にあたっては,国と自治体が総力を結集し,最先端の技術を用いるとともに景観にも優れたモダンな橋が次々と架けられた.

 

横浜市中村川 (堀川) に架かり,山下町・中華街と元町・山手方面を結ぶ谷戸 ( やと ) 橋も,そうした震災復興橋梁のひとつである.

場所: [35.44201455460007, 139.65089401343087] (世界測地系)

 

本記事では谷戸橋の歴史を簡単に述べると共に現地探訪の模様をレポートする.

歴史

堀川は人工的に造られた河川 (運河) である.横浜開港の翌年である万延元年 (1860),日本に住み着いた外国人と日本人 (攘夷派) のトラブルの防止を目的として開削されたとされる 1.堀川には橋が架けられ,それぞれに関門を設けることで外国人居留地への行き来が制限された.現在も残る関内の地名はこれに由来する 2

 

谷戸橋は万延元年 (1860),堀川開削と同時に架けられた橋のひとつである 3

慶応年間の撮影と推定される外国人居留地の風景.「神奈川の写真誌 明治前期」4 より.手前の木橋谷戸橋である.

 

同じく木橋時代の谷戸4

 

明治20年 (1887),谷戸橋はそれまでの木橋から鉄橋に架け換えられた.上部工が単径間の下路平行弦ポニープラットトラス桁,下部工は石積みの橋台,床版は木製であった 3.この橋は長く利用されたが,大正12年 (1923) の関東大震災にて橋台が崩落した.詳しい被害状況は復興局による調査報告 5 に以下の通り記されている.

本橋の被害は主として橋臺の震害にして右岸に於ては殆ど原形を止めざる迄に崩潰し惹て鋼構端の墜落を來し爲に第一格間下弦材上流側のものは石材片に衝突し中央3.3寸の屈曲を爲せり。

本橋は火災を免れたるを以て路床に異狀なし。

落橋した明治20年製の谷戸橋.土木学会デジタルアーカイブ6 より.

 

損壊に伴い新設されたのが,今なお利用される谷戸橋である.大正15年 (1926) 5月26日着工,昭和2年 (1927) 7月9日竣工,総工費10万5032円 7

竣工当初の現・谷戸橋.「橋梁工学」9 より.構造は上路スパンドレルブレースドアーチ橋で,その選定理由は

此の附近は連結すべき道路が他の橋梁附近に比して非常に高く、又橋臺地の地質きわめて良好なりし爲

とされる 7

 

本橋の重要な特徴として,両橋台のほかにアーチの頂点 (桁の中央) にもヒンジを設けた3ヒンジアーチ橋であることが挙げられる.3ヒンジアーチは希少な橋梁構造で,国内では本橋のほかに大阪市の桜宮橋 (昭和5年 (1930)) と岩手県西和賀町和賀仙人橋 (昭和7年 (1932)) を数えるのみである 8

同じく3ヒンジアーチである和賀仙人橋 (筆者撮影).戦前における鋼スパンドレルブレースドアーチ橋の中で最大の支間長を誇る橋梁である 8谷戸橋における3ヒンジアーチの採用は,こうした優れた橋の技術的な礎となった可能性がある.

 

なお,震災で落下した旧谷戸橋のトラス桁は,川底から引き揚げられた上で滝ノ川に架かる幸橋に転用され,昭和34年 (1959) の架換えまで供用された 7, 8

探訪

2023年10月12日,仕事で横浜に出張中,早朝に宿泊先から歩いて現地を訪ねた.

山下町側からみる谷戸橋.堀川の直上には首都高速道路の高架橋が架かり,暗い雰囲気は否めない.

 

谷戸橋,昭和2年 (1927) 竣工,近代土木遺産Cランク 8土木学会選奨土木遺産 10横浜市認定歴史的建造物 11

 

プラットトラスで補剛されたいわゆるスパンドレルブレースドアーチで堀川を一跨ぎにする.震災復興で架けられた橋梁は,船舶の航行を考慮してほとんどが無橋脚で架けられている 7

 

本橋の一番の特徴.アーチ頂部のヒンジ (ピン) で左右の部材が結合されている.

 

意匠も注目に値する.補剛桁から張り出すように,波型の鋼材とデンティルの装飾が施されており,優美な印象を与えているのだ.

 

 

意匠としてもうひとつ忘れてはならないのは,親柱である.

「セセッションとアールデコを混合させた」8 と評される装飾的な,かつ巨大な石柱である.橋の四隅に門番のようにきりりと立つ.上部には灯具も取り付けられている.

 

親柱の銘板は「谷戸橋」「昭和二年七月竣工」「やとはし」「昭和二年七月竣工」(重複).

 

親柱を裏から見る.切石平行積みの下に階段状の基礎が配され,川底まで抜かりない美しさ.

 

高欄に掲げられたレリーフ・解説板類.

 

昭和初頭から戦前・戦中・戦後を見つめ続け,今なお横浜のメインストリートに架かり続ける谷戸橋.3ヒンジアーチや波型鋼材・デンティルといった当時の架橋技術と景観設計を伝える存在として,今後も末永く活躍してほしいと思う.

参考文献

  1. 肥塚龍 (1909) "横浜開港五十年史" 下巻,pp. 28-29,横浜商業会議所.
  2. 読売新聞社横浜支局・編 (1966) "神奈川の歴史" 中巻,pp. 58-59,有隣堂
  3. 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2024年3月17日閲覧.
  4. 金井圓,石井光太郎・編 (1970) "神奈川の写真誌 明治前期" pp.24-29,有隣堂
  5. 復興局・編 (1928) "大正十二年関東大地震震害調査報告" 第三巻,p. 468,土木学会.
  6. 土木学会附属土木図書館・編 "土木図書館デジタルアーカイブス 関東大地震震害調査報告掲載写真 第三巻 道路之部 15.谷戸橋(横浜市)" 2024年3月17日閲覧.
  7. 横浜市役所・編 (1932) "横浜復興誌" 第二編,pp. 877-887,横浜市役所.
  8. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 36-37 / 98-99,土木学会.
  9. 小池啓吉 (1951) "橋梁工学" 第一巻,p. 23,森北出版.
  10. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2015) "元町・山手地区の震災復興施設群 | 土木学会 選奨土木遺産" 2024年3月18日閲覧.
  11. 横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 (2024) "横浜市認定歴史的建造物 一覧" 2024年3月18日閲覧.