交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

国道235号 沙流川橋 (2023. 7. 9.)

北海道日高町沙流川に架かる,道内では珍しい箱型の橋門を有するトラス橋.

 

国道235号は,北海道室蘭市から苫小牧を経て,太平洋岸沿いに日高地方に至る一般国道である.同国道の 沙流 ( さる ) 川橋は,日高山脈から太平洋に注ぐ一級河川沙流川に架せられた長橋であり,このうち下り線 (日高方面) では昭和29年 (1954) 竣工の,北海道内の道路橋の中では古参の部類に入るトラス橋が頑張っている.

場所: [42.515898858012605, 142.0328604529657] (世界測地系)

 

歴史

沙流川橋という橋名は,沙流川を渡る橋であるから自然なネーミングであるが,現在の橋より前の橋は「 佐留太 ( さるふと ) 橋」(佐瑠太橋) という名称であった 1.佐留太はアイヌ語の Sar-putu (=沙流川の河口) に由来する,現在の日高町富川地区の古い字である 2.ちなみに沙流 (sar) はヨシ原の意だそうだ.

 

新冠町史」3 によると,明治28年 (1895) に

札幌・浦河間の道路のうち佐瑠太・新冠間が完成する。佐瑠太橋が完成し、新冠川まで馬車が通ずるようになる。

とある.これが初代・佐留太橋と思われる.

 

明治40年 (1907) 頃の佐留太橋に関する記述も見つけることができた.明治40年11月15日発行の「牧畜雑誌」第265号に掲載された,馬の産地として知られる日高地方へ赴いた筆者の紀行文 4 である.

沙流 ( さる ) 河畔は此丘上に立て、日高を望むとき、われは必らず馬の國と謳ふのである。謳ふて後急いで斜坂を降つて日高に突進すると、下に沙流川の橋梁がある。其の橋門には、黒色に塗つた橋材の兩角に、三角形の黒板があつて、それに透彫の奔馬が二頭、相對して橋上に懸つて居る、それを澄み渡る秋の空に透かし見て、此橋梁を防くときは、坐ろに馬の國に到着して、其關門を過ぐるの威を爲すのである。

橋名は ( ふと橋。人はこれを沙流の馬橋と ( ) んでをる。

馬の彫刻を施した門を有する,なかなか装飾に凝った橋だったようだ.写真が見つけられないのが残念でならない.

 

大正7年 (1918) には架換えが記録されている.閑院宮殿下の訪問に合わせ浦河町の土木業者・谷萬吉が請け負ったもので,大正10年 (1921) 発行の北海道開道五十年記念誌 5 に以下の記述がある.

大正七年閑院宮殿下本道御巡遊に際し、佐瑠太橋架橋百三間其工費四萬五千圓にして五月二十八日より八月二十日迄に車馬交通に支障なき竣工を完成せしむる爲め、當局より金三千圓の懸賞を以て工を起し部下を督励し日夜陣頭に立て指導激勵遂に豫定の指命日數を誤たすして見事に之を竣工せしめ、終に三千圓の賞を得て殿下御歡迎の上の些の支障を來さしめざりし等奮闘の功尠からず

 

その後,昭和10年 (1935) にも架換えが行われている.これが現在の橋のひとつ先代の橋である.3月17日行われた渡り初めの模様は,以下のように「道路の改良」6 で報じられている.

北海道佐瑠太橋の竣工

北海道日高國沙流川に架する佐瑠太橋は其竣工を久しく待望せられていたが昭和四年十一月起工以來其工を急き漸く去三月十六日竣工したので十七日渡橋式を擧行し室蘭土木事務所長も臨席し盛大に行はれた。

注目すべきは着工日で、昭和4年 (1929) 11月となっている.完成までに実に5年以上を要したわけだ.大正期の架換えが3ヶ月足らずで完了したことを考えると,些か長すぎてちょっと信じがたい感がある.よほどの難工事か,中断を挟んだのだろうか.なお,この記事には橋の詳細は記載されていないが,橋梁史年表 1 によると,橋長は344m,33本もの桁を連ねた長大な木橋であったようだ.

 

戦後,北海道開発庁は道路橋の永久橋化を進め,佐留太橋もその対象となった.昭和26年 (1951) 着工,昭和29年 (1954) 12月竣工.高水敷にプレートガーダー11連,低水路に下路曲弦ワーレントラス3連を架する401mの長大橋は,当時の室蘭開発建設部管内では随一の規模となった.施工者は上部工が三菱日本重工業横浜造船所,下部工が株式会社逢沢組 7.同時に橋名も沙流川橋となった.

竣工当初の沙流川橋.三菱日本重工の社報 8 より.

 

その後,昭和42年 (1967) 上流側に歩道橋が添加され 1,さらに平成2年 (1990) には下流側に上り線用の新橋が並行して架設された 9 ことで,元の橋は下り線の車道専用となった.

探訪

左岸上流側から見る全景.これだけ離れないと全体がフレームに入らないくらい長い.

 

低水路に曲弦ワーレントラスがぴょこぴょこと連なる.

 

まずは河原に降りて高水敷から見てゆく.

普通の単純プレートガーダーだが,本橋が竣工した昭和29年 (1954) 頃に主流になりつつあった溶接ではなく,リベットが用いられている.昭和26年の着工から早い段階で製作されたのではなかろうか. なお,製造銘板は確認できなかった.添加された歩道橋に隠れて見えなかった可能性が大きい.

 

 

続いて低水路のトラスを…といきたいところだが,これがなかなか撮りにくい.上流・下流ともに新橋が並行しているし,しかもこれまでの写真 にも写っているように,下流側の新橋の橋脚との間が閉塞されているせいで見通しが効かないのだ.

結局こんな写真しか撮り得なかった.せめて歩道橋がなければすっきりした景観になるのだが.

 

諦めて橋上に戻る.

左岸からの景.右 (上流) 側の旧橋が下り線用,左 (下流) 側の新橋が上り線用となっている.

 

左岸上流側の親柱.「さるかわはし」の銘板.なお下流側の親柱は失われていた.

 

さて,トラスを見ていこう.

橋門が四角い下路トラスである.特に稀有な構造ではないが,道内では,特にリベット結合のものは少ない (はず).当ブログで取り上げたものでは和歌山の北島橋や富山の高岡大橋が類似の構造となる.ところどころボルトで補修されているが,見た目上大きな改築はなされておらず,重厚な姿を保っている.

 

 

渡って右岸側からの景.

こちらは両側の親柱が残されている.

 

右 (下流) 側.「沙流川橋」の銘板.

 

左 (上流) 側は「さるかわはし」と,

 

その裏側 (目立ちにくい場所…) に「昭和二十九年十二月竣功」の銘板.

 

こちらは下流側 (上り線用) の新橋.現代的な連続桁橋.

 

やたら錆びた新橋の銘板.こちらも三菱重工業製のようだ.

 

最後に,新橋側から見た旧橋の景を.

今年,本橋は昭和29年 (1954) の竣工から70年となる.今後も日高地方への「門」として,重厚な姿を保ってほしいと思う.

参考文献

  1. 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2024年1月18日閲覧.
  2. 国土交通省北海道開発局 "沙流川 |北海道開発局" 2024年1月18日閲覧.
  3. 新冠町史編さん委員会・編 (1996) "新冠町史 続" pp. 1328-1329,新冠町.
  4. 石橋雨峰 (1907) "馬の國" 牧畜雑誌,第265号附録,牧畜雑誌社.
  5. 澤石太・編 (1921) "北海道:開道五十年記念 再版" p. 421,鴻文社.
  6. 道路改良会・編 (1935) "北海道佐瑠太橋の竣工" 道路の改良,第17巻第5号「地方通信」,p. 141,道路改良会.
  7. 猪瀨寧雄 (1954) "室蘭の橋梁工事" 道路:road engineering & management review,Vol. 29, No. 6, pp. 267-272,日本道路協会.
  8. 三菱日本重工・編 (1960) "産業界に貢献する鉄鋼製品" 三菱日本重工,No. 20,pp. 14-19,三菱日本重工.
  9. 日本製鋼所・編 (1991) "製品・技術紹介 - 鋼橋" 日本製鋼所技報,Vol. 45,pp. 119-120,日本製鋼所