明石海峡大橋のお膝元に,良好な形で残された煉瓦アーチ渠.
山陽電鉄本線は,明治43年 (1910) の兵庫 *1・須磨間の開業を嚆矢として延伸を重ね,大正12年 (1923) に兵庫・姫路間が全通した.このような長い歴史を有するゆえ,並行するJRの山陽本線 (JR神戸線) と同様,煉瓦や石による古い構造物が多数残っている.
明石海峡大橋の袂に位置する舞子公園駅近くにも,そんな鉄道遺産がある.大正6年 (1917) 開通の樫ヶ谷架道橋である.
場所: [34.63350255721065, 135.0368055799194] (世界測地系)
周囲は駅名通りの舞子公園が整備され,真上には明石海峡大橋,しかも宅地化も進みマンションも林立しているこんな場所に,大正期の煉瓦構造物が残っているのか.2021年9月25日,半信半疑で現地に赴いた.
舞子公園駅で下車し,線路海側の出口を出た.繰り返しになるが,こんな開発が進んだところに煉瓦アーチが残っているとは信じがたい.
とりあえず駅の東,舞子公園の北側エリアに入ってみる.
ここでは人懐っこい猫に癒された.
猫と別れ,スマホの地図を見ながら進む.
どうやらこの正面の細道を入るようだ.
確かに線路が見えてきた.
左カーブの先に…
あった!!本当にあった!
樫ヶ谷架道橋,大正6年 (1917) 開通.胸壁と側壁は切り石平行積み,アーチ環は3層巻の頂点に大きな要石.煉瓦の塗装が少々わざとらしいが,美しい姿である.
内部.長手積み煉瓦アーチを留めている.照明が設置されていることから察せられるように,この道は地域にとってかなり需要があるようで,探訪中も絶え間なく人が行き交っていた.山側の地区に住む人々が駅や公園,駅前の商業施設にアクセスするために利用しているのだろう.
入ってすぐ左手の側壁にこのプレート.これのおかげで,ネット上では「東舞子橋梁」という仮名 (通称) で呼ばれていた本橋の正式名称が明らかになった.
山側に抜けて振り返り.ポータルは海側とまったく同じである.また,内部の煉瓦積みに切れ目がなかったことから,この線区が当初から複線で建設されたことがわかる.
列車とともに.
舞子公園駅から徒歩10分ほどでアクセス可能,かつ現役で通り抜けも可能な,御年106歳の煉瓦アーチ.素晴らしい土木遺産だった.今後も美しい姿のまま保存されますように.