交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

安曇川大橋 (2022. 5. 6.)

琵琶湖西岸の滋賀県高島市安曇川に架かる旧国道のトラス橋.

 

はじめに

大津市街から北に45km,琵琶湖に注ぐ安曇川下流部に架かる安曇川大橋を訪ねた.

 

本橋は現在,滋賀県道558号高島大津線の一部となっているが,下流側に新安曇川大橋が開通するまでは国道161号,国道指定前は指定府県道大津今津線の橋であった.

場所: [35.34091823498574, 136.03356516546836] (世界測地系).

 

高島郡1 によると,渡船に代わって当地に初めて橋が架けられたのは明治19年 (1886).その後明治29年,38年にそれぞれ架け換えられている.いずれも木橋であった.

明治38年 (1905) 架設の安曇川大橋.延長84.4m,幅員2mの木橋であった.写真は高島郡1 より.

 

現在の橋は昭和7年 (1932) 10月25日着工,翌8年7月31日竣工 2.昭和恐慌に対する失業救済事業としての架換えであった 3それ以前の地形図と見比べてみると,架橋位置は250mほど下流側に移っているようだ.主径間は鋼曲弦ワーレントラス2連,左岸側 (今津側) の側径間はプレートガーダー2連,また右岸側 (大津側) には避溢橋として4径間RC単純桁橋 (安曇川小橋) が接続されている.橋長150.8m (小橋の43.6mを除く),幅員5.5m,設計者として滋賀県道路技手・山本広次の名が記録されている 2

探訪

2022年5月6日,現地を訪ねた.右岸側避溢部 (安曇川小橋) の付近が運動公園となっているので,その駐車場に車を置かせてもらって徒歩に切り替えた.

安曇川小橋

安曇川小橋,昭和8年 (1933) 竣工.ここは平時には完全に陸地であり,いわゆる避溢橋であることがわかる

 

桁はわずかに弧を描いており心地よい.残念なのは高欄で,面白みのない規格品に置き換えられている.もとはどんな意匠だったのか気になる.

 

構造はRCのT型桁橋.

 

桁裏に回ってみると,どうやら拡幅されているようだ.左右両側に2本ずつ主桁が追加されているように見える.拡幅部もあまり新しくはなさそう.

 

下流側.歩道が添えられている.

 

大津側からみた橋上の景.

 

親柱には「あどがわこはし」「あどがわ」「安曇川小橋」「平成3年3月竣工」.平成3年は高欄の改築も含めた補修の時期であろう.拡幅はもっと前のように思われる.

安曇川大橋

続いて本題の大橋へ.まずは下から観察すべく,小橋の横を歩いていくと,ほどなくコンクリート製の盛り土となる.

何か所かこのような開口部が設けられている.これも昭和8年当時のものだろうか?

 

ほどなく大橋の袂に到着.

 

安曇川大橋,昭和8年 (1933) 竣工.支間62.1mの曲弦ワーレントラスが2本連なる.クリーム色が美しい.

 

安曇川を悠々と跨ぐ.

 

その先 (左) にはプレートガーダーが続く.よく見るまでもなく線形改良のために拡幅されている.対岸にわたったらきちんとチェックしよう.

 

桁裏.

 

下部工はRC造り.いびつな形は改築の結果だろうか.少なくとも左右に張り出しているのは後付けであろう.右の出っ張りには歩道橋が載っている.左は空だが配管か何か渡されていた時期があったのだろうか.

 

橋脚から鉄筋がはみ出している.異形鉄筋だからおそらく補修時のものであろう.鉄筋が長すぎたのだろうか?

 

橋台.下半分は護岸に埋まっている.

 

橋台の一部に何か四角い「穴」を埋めたような気配.もしかしたら工事銘板があったのかもしれない.

 

ピン支承.

 

小橋と同じく下流側に歩道橋が添加されている.

 

来た道を引き返し,安曇川小橋の袂へ.これから橋を渡って対岸へ向かう.

安曇川小橋の先に堂々たるトラスが控える.

 

橋門構.曲線を多用した柔らかな意匠.下の水平材が若干反っているのは曲弦トラスであることを意識したものかもしれない.

 

小橋と同様「あどがわおおはし」「あどがわ」の親柱.

 

さて,渡ろうか.

鉛直材はシングルレーシング.重厚.

 

ところどころボルトで補修されている.とはいえさほど目立ってはいない.

 

第2連.

 

第1連を今津側から振返り.

 

上の写真右手側,つまり第1連の今津側上流側に銘板が見つかった.「昭和八年 汽車製造株式會社 製作」.このフォントも良い.

 

下流側に目をやると,現国道161号 (高島バイパス) の橋が見える.

安曇川大橋,昭和62年 (1987) 開通,8径間PC桁橋.昭和8年安曇川大橋よりも支間は短く橋脚は多い.それでいいのかと思ってしまうが…

 

第2連.

 

第1連と同じ場所に銘板があったようだが剝がされている.戦時中の金属供出だろうか.

 

こちらの親柱も小橋と同様「安曇川大橋」「平成3年3月竣工」.

 

そのまま道なりに進んで上流側からの景.

 

下流側から比較的容易に河川敷に降りられた.もっともまだ5月で,藪が育ち切っていなかったからというのも大きいと思う.

酷い逆光だが下流側からの景.

 

首尾よくプレートガーダー部分までたどり着けた.

 

プレートガーダーの桁裏.かなりシンプル.横桁の薄さが印象に残る.

 

プレートガーダー2連の間の橋脚.こちらも改築されてはいるがトラス部分よりは原型を留めている.開口部の上辺がわずかに弧を描いているのにここでようやく気付いた.トラスの曲弦を意識した意匠か.

 

プレートガーダーとトラスの間の橋脚.両者の高さは当然異なるので,プレートガーダーを載せる部分には下駄が履かせてある.

 

橋をくぐって上流側へ.

上流側から見上げる第2連 (トラス) と第3連 (プレートガーダー).

 

ここにも銘板.昭和8年 (1933) 汽車製造株式会社製作.プレートガーダーも昭和8年開通当初のものが使われていることがわかる.

 

振り返って第4連.道は橋の今津側で直角にカーブするという最悪の線形であり,それを緩和するために拡幅されている.

 

拡幅前後両方の銘板が残っていたのは幸いだった.原桁は他の径間と同じく昭和8年 (1933) 汽車製造製作.拡幅の桁は昭和40年 (1965) 2月石原工業製作.

 

これにて撤収.

引き返す前に今津側から望遠で見るトラス.幅員が大きいので絵になる.

おわりに

昭和8年 (1933) に開通した安曇川大橋は室戸台風 (昭和9年),テス台風 (昭和28年),昭和36年豪雨といった大水害にも耐え,今年で竣工90年を迎える.国道としての地位は新橋に譲ったが,その後も地域の主要道路のひとつとして,膨大な数の自動車を日々通している.それでいて改築の度合いも比較的小さく,昭和初期の技術が伝わる好例となっている.ぜひ今後も良い年を重ねてほしいと思う.

参考文献

  1. 滋賀県高島郡教育会・編 (1927) "高島郡誌"  pp. 1254-1255,滋賀県高島郡教育会.
  2. 滋賀県土木部・編 (1973) "滋賀県土木百年年表" p. 41,滋賀県
  3. 道路改良会・編 (1931) "失業救濟道路起債認可" 道路の改良,第13巻第12号「地方通信」,p. 170,道路改良会.