交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

両橋 (2021. 5. 3.)

京都北部編,第6弾.福知山市三和町のコンクリートアーチ橋「両橋」を訪れた.

 

両橋は,前回レポートした坪原橋と同じく,福知山市三和町土師川を渡る橋である.距離も1kmほどしか離れておらず,坪原橋の探索を終えてから両橋に着くまで,5分もかからなかった.

 

橋上の風景.

後で説明するように,実はこの写真の中にも,凝らされた工夫の一部が写っている.しかしこれだけでは,言われなければ橋だと気付かないほどの平凡な風景である.

 

さて,橋を渡ってそのまま進むと,駐在所の先で左手前方向に分岐する道がある.そこに入ると,急坂で一気に川原近くまで高度を下げ,梅田神社というお社に着く.梅田といえば大阪が思い浮かぶけれど,案外由来は同じなのかもしれない.そんなことを考えつつ,きちんと参拝を済ませた後,川に沿って先に続く未舗装路を歩き,両橋の下に到着した.

両橋.昭和13年 (1928年) 9月竣工,土木学会選奨土木遺産 1,近代土木遺産Cランク 2.小高い丘同士を一気に繋ぐ,巨大なアーチ橋である.

 

この橋の最大の魅力は,土木学会選奨土木遺産としての「選奨理由」 1 で説明されている.

支間の大アーチが印象的で、拱腔部の小さな連続アーチ、そして高欄にもアーチが組み合わされた姿が意匠に優れた、山陰街道の名橋である。

これを2枚上の写真に図示してみる.

川を跨ぐ支間の大きなアーチは構造上必然的なものだが,その上の開腹部分もアーチとしているのは独特だと思う.以前レポートした西塔橋上清滝橋も似た構造だが,アーチの上部はまっすぐ柱が伸びているだけだった.さらに,橋上から見える部分である欄干にもアーチを配するという凝り様である.石や煉瓦ではなく鉄筋コンクリートの開腹アーチ橋だからこそ可能な意匠で,昭和初期というコンクリート黎明期における自由な発想という感じを受ける.

 

さらに面白いことに,実は両橋には,もうひとつの「アーチ」が隠れている.といっても,上の写真には写っていない.注目するのは,橋上の親柱である.

単に名前 (りょうはし) を彫るだけでなく,上の方にアーチ模様が刻まれている.鉄筋コンクリート製の橋だが,この親柱だけは花崗岩を使用している 3 そうだ.この意匠は,残る3本の親柱にも共通していた.

順に「両橋」「土師川」「昭和十三年九月竣功」である.本当は3枚ともきちんとアーチを含めて写すべきだったのだが,愚かなことに探索時点ではその意匠に気が向かず,文字情報だけに注目してしまっていた.経験不足が悔やまれる.

 

最後に,別の角度から見た両橋の姿.

御年92歳.大きな補修や拡幅もなく,集落にとって必要不可欠な道路として現役を貫き続けている.まさに名橋であった.

参考文献

  1. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2008) "両橋 | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年5月23日閲覧.
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 180-181,土木学会.
  3. 京都府教育庁指導部文化財保護課・編 (2000) "京都府の近代化遺産 : 京都府近代化遺産(建造物等)総合調査報告書" p. 67,京都府教育委員会