京都北部編,第6弾.福知山市三和町のコンクリートアーチ橋「両橋」を訪れた.
両橋は,前回レポートした坪原橋と同じく,福知山市三和町で土師川を渡る橋である.距離も1kmほどしか離れておらず,坪原橋の探索を終えてから両橋に着くまで,5分もかからなかった.
橋上の風景.
後で説明するように,実はこの写真の中にも,凝らされた工夫の一部が写っている.しかしこれだけでは,言われなければ橋だと気付かないほどの平凡な風景である.
さて,橋を渡ってそのまま進むと,駐在所の先で左手前方向に分岐する道がある.そこに入ると,急坂で一気に川原近くまで高度を下げ,梅田神社というお社に着く.梅田といえば大阪が思い浮かぶけれど,案外由来は同じなのかもしれない.そんなことを考えつつ,きちんと参拝を済ませた後,川に沿って先に続く未舗装路を歩き,両橋の下に到着した.
両橋.昭和13年 (1928年) 9月竣工,土木学会選奨土木遺産 1,近代土木遺産Cランク 2.小高い丘同士を一気に繋ぐ,巨大なアーチ橋である.
この橋の最大の魅力は,土木学会選奨土木遺産としての「選奨理由」 1 で説明されている.
支間の大アーチが印象的で、拱腔部の小さな連続アーチ、そして高欄にもアーチが組み合わされた姿が意匠に優れた、山陰街道の名橋である。
これを2枚上の写真に図示してみる.
川を跨ぐ支間の大きなアーチは構造上必然的なものだが,その上の開腹部分もアーチとしているのは独特だと思う.以前レポートした西塔橋や上清滝橋も似た構造だが,アーチの上部はまっすぐ柱が伸びているだけだった.さらに,橋上から見える部分である欄干にもアーチを配するという凝り様である.石や煉瓦ではなく鉄筋コンクリートの開腹アーチ橋だからこそ可能な意匠で,昭和初期というコンクリート黎明期における自由な発想という感じを受ける.
さらに面白いことに,実は両橋には,もうひとつの「アーチ」が隠れている.といっても,上の写真には写っていない.注目するのは,橋上の親柱である.
単に名前 (りょうはし) を彫るだけでなく,上の方にアーチ模様が刻まれている.鉄筋コンクリート製の橋だが,この親柱だけは花崗岩を使用している 3 そうだ.この意匠は,残る3本の親柱にも共通していた.
順に「両橋」「土師川」「昭和十三年九月竣功」である.本当は3枚ともきちんとアーチを含めて写すべきだったのだが,愚かなことに探索時点ではその意匠に気が向かず,文字情報だけに注目してしまっていた.経験不足が悔やまれる.
最後に,別の角度から見た両橋の姿.
御年92歳.大きな補修や拡幅もなく,集落にとって必要不可欠な道路として現役を貫き続けている.まさに名橋であった.