交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

谷坂隧道 (2021. 7. 17.)

大正から昭和初期にかけて活躍した滋賀県の土木技師,村田鶴.その最後の「作品」を訪ねた.

目次

はじめに

滋賀県の古隧道について調べると,必ず目にする名前がある.「村田鶴」,大正7年 (1918年) 10月から昭和11年 (1936年) 1月まで滋賀県に勤めた土木技師である 1.特に優れた意匠の隧道を設計したことで注目されており,その名が設計者として記録されている隧道は4本 (佐和山,横山,観音坂,谷坂) だが,百瀬川隧道や湖北隧道,賤ヶ嶽隧道などについても彼が関与したと推測されている 1.そんな村田が職を辞する前年に竣工した,いわば最後の「作品」が,今回レポートする谷坂隧道である.

 

谷坂隧道は滋賀県東部の姉川支流,草野川に沿う (旧) 上草野村から (旧) 田根村を経由して,北陸本線や北陸街道の通る河毛・虎姫方面への道筋にある.金糞岳から草野川の西に連なる丘陵を越える峠道は,「谷坂」という名前から想像される通り急峻で,大正14年 (1925年) から田根・上草野の両村民が中心となって隧道開鑿のための運動がなされた 2.その結果,昭和8年 (1933年) になってようやく県の事業として着工,昭和10年 (1935年) に竣工し 2,現在に至るまで利用され続けている.

本編

工事真っ最中の檔鳥坂隧道の探索を終えた私は,転回して山を下り,档鳥の集落を再び抜けて国道365号に入った.「田川」で左折して県道265号に入ると,右左折を何度も繰り返して旧田根村の集落を進む.県道らしさはまるでないが,それでも決して走りにくくはないから険道というほどでもない.率直に言って中途半端な道と感じてしまった.

 

ともかく,住宅が途切れると少々勾配が急になる.ようやく山越えの雰囲気が出てきたな,と思い始めると,1kmも行かないうちにもう隧道が見えた.

これまでのパッとしない道とは打って変わって,遠くからでも風格たっぷりだ.

 

接近して.

谷坂隧道,昭和10年 (1935年) 竣工,近代土木遺産Aランク 3土木学会選奨土木遺産 4.下見板張り風の装飾に切石のアーチ環,両脇の太いピラスターに笠石のデンティルという豪華な,それでいて華美すぎない,威風堂々たるポータルだ.

 

見上げて.

迫石はそれぞれ四隅に段が設けられ,全体としてコントラストが大きなアーチとなっている.扁額には右書きで「谷坂隧道」.

 

坑門両脇には,

円柱形のピラスター.型枠の跡がくっきり残っている.おなじみ「旧道倶樂部」さまのレポート 5 によると,実は内部は空洞で,山腹から流れてきた雨水を排水する仕掛けになっているそうだ.以下,同レポートの画像を引用する.

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実用と美観を両立させた見事な設計と言えるだろう.村田鶴,恐るべし.

 

内部.

当初はコンクリートブロックアーチだったとされる 3 が,何度も改修が施された結果であろう,見る影もない.鋼板やコンクリートライナーで覆われたりしていないだけ良しとすべきか.

 

車に乗ったまま通り抜けて,東口.

意匠は西口と同様だが,こちらの方が藪が少ないために見やすく,例えば笠石のデンティルがピラスターの前面に回り込んで等間隔を維持していることなどもよくわかる.

 

扁額.

こちらも右書きで「谷坂隧道」.西口では影になって判読が難しかった「昭和拾年拾弐月竣工 村地書」の文字も確認できる.当時の滋賀県知事・村地信夫の揮毫であろう.

 

西口の100mほど手前には開鑿記念碑が建っていたはずなのだが,気付かずに通過してしまった.どうもこういう見落としの多い日で,賤ヶ嶽隧道の銘板も,本隧道の東側200mのところにあったはずの素敵な桁橋 (「滋賀県の近代化遺産」のリストにある「天下橋」と思われる) もスルーしてしまった.いずれ再訪しなければ.

 

村田鶴の最後の「作品」は,竣工から約86年を経てなお,変わらぬ美しい姿で (内部は補修されているが) 活躍していた.村田鶴の名前が記録に残されている4隧道の中で,現役で供用されているのは谷坂隧道だけである (佐和山隧道は廃道化 6,横山隧道は鉄格子で封鎖 7,観音坂隧道は私有地となり封鎖・現在はウイスキーの貯蔵庫?となっているとか 8).本隧道は現役であるだけでなく,旧道になってすらいない.それでいて需要は決して少なくないようで,私の探索中も数台の車が通過して行った.A級・選奨土木遺産の認定も頷ける,素晴らしい土木遺産だった.

参考文献

  1. 永冨謙 (2009) "滋賀県の道路隧道と村田鶴 -戦前の技術系官吏の経歴調査-" 近畿の産業遺産,第4号,pp. 1-6,近畿産業考古学会,2021年9月21日閲覧.
  2. 滋賀県教育委員会事務局・編 (2000) "滋賀県の近代化遺産:滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書" p. 133,滋賀県教育委員会
  3. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 176-177,土木学会.
  4. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2021) "村田 鶴が湖北地方に残した隧道群 | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年10月9日閲覧.
  5. 永冨謙 (2008) "旧道倶樂部活動報告書・谷坂隧道" 2021年9月21日閲覧.
  6. 永冨謙 (2005) "旧道倶樂部活動報告書・佐和山隧道" 2021年9月21日閲覧.
  7. よとと (2018) "横山隧道(滋賀) by.くるまみち" 2021年9月21日閲覧.
  8. solamame55 (2019) "【続・続報】観音坂隧道 | 山中廢徊記" 2021年9月21日閲覧.