岡山県高梁市,旧川上町.唯一無二の高欄が特徴的な,大正生まれの橋を訪れた.
岡山県にはユニークな意匠の橋が多数存在する.県教育委員会による「岡山県の近代化遺産」には,「鉄筋コンクリートの橋 装飾橋」だけでも4本 (「巨大な親柱」,「ユニークな高欄」,「表現主義」,「下路アーチ」) もの調査票が採録されている.本記事では,そのうち「ユニークな高欄」に取り上げられた,高梁市川上町の宮下橋をレポートする.
今回の探索は福山市の鶴ヶ橋,国道313号廃道と同じ日に実施した.国道313号廃道の探索後,そのまま国道を進み,川を渡る手前で左に逸れて川上町地頭の市街地に入った.このあたりが旧川上町の中心部らしく,役場 (地域局) や小学校,商店が点在していた.橋の上や袂には車を停められる場所はなさそうだったので,あらかじめ目を付けておいた場所にレンタカーを駐車し,歩いてやってきた.
橋上の風景は,
存外平凡と思うかもしれない.しかし高欄を見ると,
ピンボケしてしまっているが,三味線のバチのような,あるいは女性のドレスのような意匠である.しかもその意匠の間には2本の縦材が入っている.設計者が何をイメージしたのかはわからないが,非常に独創的で面白い.
さて,横から見てみると,
宮下橋,大正15年 (1926年) 竣工,近代土木遺産Cランク.
川辺に下りて橋の真下へ.
井桁状の橋脚で5本の梁を支える構造となっていた.
上流側へ.
この古び具合がたまらない.
橋上に戻って,親柱.4本とも残っており,古い橋らしく親柱に直接文字が刻まれていた.
順に南東・南西・北西・北東.いずれも読みやすい流麗な字で「宮下𣘺」「みやしたはし」.橋の北西の山に鎮座する八幡神社に因んだ名前であろう.
そして南東と北西,つまり「宮下𣘺」と刻まれた親柱は,路面に面した側面にも文字が刻まれていた.
「三澤川」「大正十五年七月架」.特に後者は重要な情報だが,敢えて親柱の正面ではなく側面に刻まれている.そもそも4本の親柱のうち2本の内容は重複であり,それらを川の名前と竣工年月に置き換えても問題はなかったはずだが,謎である.
最後に遠景.
大正生まれという屈指の古さのコンクリート橋にして,高欄や親柱,そしておそらく橋桁や橋脚も当初の姿をそのままに留める,素晴らしい土木遺産だった.