交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

上清滝橋 (2021. 3. 27.)

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京都市北部に眠る古橋「上清滝橋」を訪問してきたのでレポートする.

 

(2021. 10. 25.) 本文末尾に重要な追記をしました.

 

ここ数ヶ月で隧道マニアになった私だが,最近はそれに限らず交通関係の構造物に広く魅力を覚えるようになりつつある.代表的なものは橋梁で,これは各地で観光名所になっているように比較的一般受けするものと思う.それから,何度か写真を載せてきた古びた道路標識はやはり味わい深いし,信号機や減速帯等の道路構造物,駅やバス停といった交通施設も奥が深い.

 

さて,今回訪問したのは,京都市の中でも高雄や鞍馬より北の山間部である.このあたりは,観光客の多いエリアとか祇園河原町といった繁華街と同じ市内とは思えないほど,山深く良いところである.そんなわけで私は時折ドライブに行くのだが,今回訪問した上清滝橋は,いつも走る周山街道 (国道162号) のすぐ脇,京都府道31号が分岐する交差点からすぐのところに架かっている.

航空写真にして拡大してもらえれば,T字路から北東方向に古い橋が見える.国道からこんなに近くにあるのにこれまで全く気付いてこなかったので灯台下暗しの感があるが,国道からは高低差があって見えないので仕方ない.

 

ともかく,いつも通り京都市街から周山街道を北上し,京都府道31号との交差点を右に曲がる.曲がったところの「中川橋」という橋の旧橋にあたるのが,今回の目的地・上上清滝橋である.ちなみにこの中川橋 (およびその先の北尾3号橋~1号橋) の竣工は,銘板によると平成2年らしいので,上清滝橋が府道の橋としての役割を終えたのはその頃であろう.

 

最初の分岐を左折して旧道に入り,100mも進むと目的地である.

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無機質なコンクリート構造物に植物が繁茂していて良い廃景となっている.上の赤い橋は現道の中川橋.

 

北側親柱の銘板.

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「かみきよたきばし」「清瀧川」と思われる.南側の親柱には銘板がなかった.もしあればおそらく一枚は橋名の漢字表記 (上清滝橋),もう一枚は竣工年月であろう.後者はかなり気になるところだが…

 

橋の手前のガードレールにはこんなものが貼り付けてあった.

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一応保守管理されているらしい (この点検については補遺でも触れる).

 

さて,橋は上からだけでなく横からも見たい.そう思って橋の袂の斜面に無理やり立ったが,木が視界を遮っている.

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やはり河原まで降りる必要がありそうだ.上の写真の直下は高低差が小さそうだが,枯れ草が堆積しているせいで地面かどうか判然としない.もし穴でも開いていたら洒落にならない.結論から言うとここは安全で,後でここから橋の上に戻ってくるのだが,このときは結局50mほど来た道を戻り,不法投棄のゴミにまみれた嫌な斜面を下った.そこから飛び石伝いに橋の下まで歩こうとしたのだが,なかなかどうして石の配置が意地悪で,結局両足をかかとまで濡らしてしまった.長靴を履いてくればよかった.そうしてようやく橋まで辿り着いた.

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立派な開腹アーチである.素晴らしい…!無骨な欄干もいかにも古い橋という感じで好ましい.そしてやっぱり川の水が綺麗.いい意味で京都市内とは思えない.

 

ここで私は気付いてしまった.橋から左に目を向けてみると……

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ハシゴあるじゃん……わざわざ足を濡らす必要なかった…….しかも,ここから橋の上に復帰するには,どうやっても再び足を濡らす必要があった.ハシゴのある岸に行こうかと思ったが,やや水深が深そうで水流も速かったので諦めて,向かって右側のなるべく浅そうなところをジャブジャブと渡り,上清滝橋をくぐった.

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なかなかいい眺め.こうして見るとやはり現道との高低差は大きい.

 

枯れ草の堆積を踏んで安全を確かめてから橋上に復帰し,対岸に渡る.渡った先は廃道状態であった.

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9%は道路にしては結構な勾配だが,現役時代は国道の高さまで一気に登っていたということだろうか?階段の奥は植林地と化しているようでよくわからなかったが,航空写真を見ると現国道脇にそれらしいT字路の跡があった.

 

そして,先ほど河原から恨めしげに見つめた残置ハシゴを使い,あっという間に再び河原に下りた.

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こうして様々な角度から上清滝橋を堪能した後,濡れた足で車に戻った.

 

それにしても一番気になるのは,この橋がいつできたのかである.親柱に竣工年の書かれた銘板はなかったし,現地では他の情報も見つけられなかったが,やはり気になるので,いずれ調査して追記したい.鉄筋コンクリートの開腹アーチ橋なので,おそらく大正から昭和初期だとは思うが…

 

(2021. 10. 25. 追記)

本橋の竣工時期が「全国Q地図」で明らかになった.なんと大正11年 (1922年) だそうだ!!これが本当なら,開腹アーチとしては相当古いものである (大正6年の愛知県稲武市の郡界橋などがあるので最古ではないが).そんな最先端の橋が,市内とはいえこんな山奥に架けられたの経緯が非常に気になるところだ (既に史料京都の歴史や府誌は一読したが,本橋に関する記述はなかったはず).選奨土木遺産左京区の市原橋 (鉄骨メラン式なので少し異なるが,こちらも開腹アーチ) の影響が考えられる.逆にこの2年後に架けられた西塔橋は,本橋の影響を受けている可能性もある.

(追記ここまで)

補遺: 橋の名称について

本橋の名称を「清滝橋」とか「上北尾橋」と表記しているサイトもある.親柱の銘板は変体仮名を使っているため判読が難しいが,「き」の後は「与」,「た」の後は「起」と思われる (お気楽アルプ日記 vol.2さまと同意見である).そして,京都市建設局による京都市橋りょう長寿命化修繕計画の別冊資料 に「上清滝橋」の項目があり,所在地・路線名・橋長・幅員・橋種 (RC造) ・点検年度 (平成29年度) が一致していることから,本橋のことを指しているとみて間違いないだろう (令和4年にも点検する予定らしいので,当面は人道橋として活躍するようだ).これらのことから本報告では「上清滝橋」の名称を使用した.「清滝橋」というのはおそらく脱字であろう.「上北尾橋」というのは現道の北尾1-3号橋に引っ張られたような感じがするが,「き」の後の文字の説明がつかない.