交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

西塔橋 (2021. 3. 31.)

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橋梁レポート第二弾.今回も京都市内だが,より市街地に近い,叡山ケーブル八瀬駅前の「西塔橋」を訪問した.

 

 ケーブル八瀬駅から,バス停のある国道367号に出るためには,以下の写真のような橋で川を渡ることになる.

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一見,欄干がやや古風なくらいで,何の変哲もない橋である.しかし,横から見てみると,見事な2連アーチ橋である.

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特筆すべきは中央の橋脚が,河原の大岩に据え付けられていることであろう.地震でも起これば橋が折れそうに思えてしまうが,これだけ大きな岩なら動かないだろうという判断だろうか?

 

親柱は4本とも現存.嬉しい限りである.

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下の方が隠れているが,順に「西塔橋」「さいとふはし」「高野川」「大正十三年〜 月」(読み取れず).記事タイトルにもある西塔橋というのがこの橋の名前である.竣工は鉄筋コンクリート黎明期の大正13年 (1924年) で,まもなく御年100歳になるが,まだまだ現役である.ちなみにケーブル八瀬駅の開業はその翌年で,当初は「西塔橋駅」を名乗っていた.当時,橋とケーブル線を描いた絵葉書がいくつも発行されたようだ (参考).

 

駅側には橋の下に至る踏み跡があったので辿ってみた.

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こうして見るとやはり100年での風化は隠しきれない.コンクリートが剥げて鉄骨が剥き出しになっている箇所が多数ある.現在でも自動車が通行可能な橋だが,国道側には「重量制限!3t以上の通行は出来ません」という看板がある.

 

点検作業員によるものと思われるチョークでの書き込みが多数ある.

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この橋を維持するための懸命の努力を感じる*1

 

橋の基部に引っかかっている岩.

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竣工当初からのものだったりするのだろうか?川面に白く写っているのはしぶきではなく,桜の花びらである.

 

最後に,真横から. 

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笹に遮られてはいるが,見事な造形である.

 

存分に眺めてからこの橋を後にし,八瀬比叡山口駅から叡山電車で次の目的地へ向かった.

おまけ

この日私は,坂本ケーブル比叡山に登り,そこから山内バス・ロープウェイ・叡山ケーブルと乗り継いで西塔橋へやって来た.道中は大正14年竣工のケーブル坂本駅舎など見どころが多く楽しかったが,とりわけ印象に残ったのは,坂本ケーブルの途中のトンネルであった.

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予期していなかったので酷い写真だが,なかなか良い石造り隧道である.調べたところ「ほうらい丘トンネル」というらしい.ここもいずれ訪問したいと思う.

*1:余談だが,西塔橋は「京都市橋りょう長寿命化修繕計画 」には載っていなかった.つまり京都市の管理する橋ではない.それもそのはず,この橋は一応私有地らしい.後からストリートビューを見て気付いたのだが,「私有地につき許可のない方は駐車不可」との看板があった.コンクリートの剥落が多数あっても通行止め等の措置が取られていないのは,そのためかもしれない.