交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

与位の洞門 (2021. 7. 3.)

兵庫県宍粟市.断崖絶壁の交通の難所に村人が穿ち,改良を加えながら現役で使われ続けてきた素掘り隧道を訪ねた.

 

生谷橋の探索を終え,いよいよこの日の主目的のひとつであった隧道へ向かった.素麺のブランド名にもなっている揖保川沿いに国道29号を北進し,右岸から左岸に渡る手前で左に折れる.そのまま川沿いを進んでゆくと,ほどなくして本隧道に到着した.手前の路肩は少々狭いので,いったん通り抜けて,100mほど北西に手頃な場所を見つけて駐車した.

 

改めて,西側から正対.

与位の洞門,明治36年 (1903年) 頃竣工,昭和元年 (1926年) 拡幅,昭和43年 (1978年) 再拡幅,近代土木遺産Cランク 1.二つの素掘り隧道が,恐ろしく切り立った崖を穿っている.

 

坑門手前の崖側には解説板が掲げられていた.

元々ほき,つまり歩危と呼ばれるほどの交通の難所であったこの地で,荒天の度に流される桟橋に代わって明治36年頃,村人の手で掘られたのが本隧道で,昭和元年に荷車が通れるように拡幅され,さらに戦後の昭和43年,大型車の通行できるように再拡幅されたという.坑門工が不要なほど堅い地質ということだろうが,昭和43年という時代にあって,素掘りのまま拡幅したことは注目に値する.村人が2年がかりで完成させた洞門は,今もなお良い雰囲気を保ったまま現役で使われ続けている.そして所有者は「山崎町与位生産森林組合」となっている.現在は林道ということだろうか.

 

西側の坑門手前から川側を覗いてみると,

明らかに人工的に穿たれた四角い穴.解説板でも言及されている桟橋の遺構に違いない.

 

さて,入洞する.

素掘りに吹き付けという野趣あふれる造りではあるものの,内部には断崖絶壁の険しい雰囲気はまるでない.無関係の物件ではあるが,新逢坂山トンネルの扁額に刻まれた「夷険泰否」という言葉を思い出した.

 

東口に抜けて振り返る.

ネットと吹き付けで,落石や崩落が厳重に防がれている.現代ならばロックシェッドで覆われてしまいそうなものだが,素掘り隧道の姿を留めたままで供用されているのは素晴らしい.

 

川側を覗いてみると,

文字通りの断崖で,しかも水流がやや早い.車両どころか徒歩交通でも難所であったことは想像に難くない.隧道以前に架かっていた桟橋は木橋だと思われるが,それがあったとしてもできれば遠慮したい場所である.

 

東側の隧道も同じく素掘りにコンクリート吹き付けとなっている.

順に西口,東口.後者ではお地蔵様が交通を見守っていた.

 

東側の隧道内から西を望む.

この曲がりくねった線形にも古色が溢れている.堅い岩盤を2年がかりで掘り進めた,村人の苦労の結果であろう.

 

いったん車に戻り,西に進んで本隧道のバイパスにあたる「よいたいトンネル」で国道29号に戻る.揖保川の左岸に渡ってすぐ川沿いの道に入り,対岸にある与位の洞門を眺めた.

文字通りの断崖絶壁を貫く一筋の道路.まるで天が与えた試練に,人類が打ち克ったかのような光景だった.そしてその岩盤に点々と穿たれた穴は,隧道以前の桟橋を通していた跡であろう.これら景観が全体として交通の歴史を物語る,素晴らしい土木遺産だった.

おまけ

本隧道の西で見つけた小さな水路橋.

上を跨ぐ水路は与位の洞門内にあった側溝につながっているものとみられる.コンクリート造りでそれほど古いものではないだろうが,非常に可愛らしい橋だった.

参考文献

  1. 土木学会 (2008)  "兵庫県 - 日本の近代土木遺産" 2021年8月28日閲覧.