交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

相坂隧道 (2021. 7. 3.)

姫路市北部の現役県道に残る,貴重な煉瓦隧道を訪ねた.

 

今回の探索は与位の洞門の後に実施した.山崎インターまで戻って高速に乗り,播但道の船津インターで流出して兵庫県道80号に入った.播但線を越えて西に進み,集落を過ぎて山間部に入る直前,分かれ道があった.

正面は突然道幅が狭くなって勾配も急になるので,右が道なりだと思って進んで行った.Googleストリートビューの車もそう判断したようだ.しかし,これが見事に間違いだった.幸いすぐに気が付いて,150mほど先にあった三叉路を利用して向きを変えて引き返した.この日はカーシェアの車だったが,軽自動車でよかったと思った.

 

改めて分かれ道のところを見てみると,

交通を見守るお地蔵様の両脇に,道標が立っていた.しかも左の方には「右 八徳山」とでかでかと刻まれているではないか.八徳山というのは天台宗の古刹の建つ山である.これを見落としたのは不覚にも程がある.また,右側の道標には,

「直 すかいん」だろうか?すかいん,つまり須加院は相坂隧道を抜けた先の字名である.

 

気を取り直して,正しい道を進む.入口から予想された通り,狭く険しい道である.しかし500mも行かないうちに,目指す相坂隧道が現れた.こちら側には駐車スペースがないので,いったん通り抜ける.

たまたま前後に車がなかったので運転席から撮ってみた.軽自動車 (ハスラー) でもこれだけ圧迫感を覚える幅員である.

 

隧道の西側,二車線道路になる手前の路肩に車を停めた.そこから歩いて東に戻り,改めて隧道と正対した.

相坂隧道,大正10年 (1921年) 竣工,近代土木遺産Bランク 1.煉瓦5層巻きのアーチに帯石と笠石,両脇にはピラスターを擁する典型的な冠木門タイプの隧道だが,現役の県道として活躍しているのは貴重である.

 

接近して.

壁面はイギリス積み.向かって左側の翼壁の端が崩れている.また,それとは別に写真中央付近では,一つだけ煉瓦が抜き取られている.右側の翼壁にも同じように不自然な煉瓦の欠洛があるが,原因は何だろうか.

 

そして,本隧道で最も特徴的なのが西口の扁額だ.

非常に装飾的な額の中には「大正十年竣工」の文字と工事関係者の一覧が刻まれている.隧道の扁額をこのように使うのは相当珍しいが,それほどの大事業であったということだろう.

 

扁額内の文字は風化によって読みづらい部分もあるが,「兵庫県の近代化遺産」2 が全体を記録していた.それによると,本隧道の開鑿を肝煎りで進めた当時の香呂村長・岩田清治の後に村会議員,設計監督者,関係吏員,工事請負人の名前が続く.このうち設計監督者は鶴居村 (現在は市川町鶴居) の尾崎純三,工事を請け負ったのは愛媛県の高橋清吉だったという.両者の素性についてはわからずじまいとなったが,同じ兵庫県鶴居村はまだしも,請負人として瀬戸内海を越えた愛媛県の業者を招いているのは驚きだ.愛媛県の煉瓦隧道というと大正6年 (1917年) の三瓶隧道や同9年の上灘隧道,明治38年 (1905年) の千賀居隧道が思い浮かぶが,本隧道との関連については定かではない.

 

本隧道は現役県道ということもあって,狭隘な割に車通りは少なくない.それでもやはり通り抜けたいので,耳を澄ませて車が途切れるのを待っていると,やかましいバイクの音が聞こえてきた.怖い兄さんでも出てくるのかとひやひやしたが,隧道から出てきたのはなんと白バイだった.これはこれで職質されるのではないかと再び肝を冷やしたが,警官はこちらを一瞥しただけで去って行った.

 

ともかく,交通の切れ目を縫って入洞した.

モルタル側壁に煉瓦アーチとなっている.おそらく側壁は後年の補修であろう.煉瓦アーチも経年劣化は進んでいるらしく,多くの箇所で目地がセメントで補修されていた.

 

振り返ると,

坑口付近は総煉瓦造りのままであった.通例であれば崩れやすい坑口付近だけ補強すると思うが,ともかくこの光景が残っているのは素晴らしい.組積は側壁がイギリス積み,アーチが長手積みというオーソドックスなパターンとなっている.

 

延長70mほどのまっすぐな隧道だから出口はすぐそこだが,私が内部に居る間に車が来たら面倒なことになる.早歩きで東口へ向かった.

東口付近も煉瓦積みの側壁が残っていた.

 

脱出して振り返る.

こちらも完全な形の坑門が残っている.

 

東口の扁額には,

右書きで「大正十年竣工 相坂隧道」.西側と比べるとスタンダードな文言だ.揮毫者については不明だが,ふくよかで読みやすい書体が好ましい.

 

今年,相坂隧道は竣工から100年を迎えた.これほど古い隧道が,旧道落ちすることもなく現役の県道として,しかもオリジナルの意匠をほぼ完全に留めて供用されているというのは相当貴重である.また,本隧道の開通によって荷馬車の行き来が可能となり 3,工事末期に削岩機が用いられたことがきっかけで麓の集落に電気の灯りが点く 2 など,地域の近代化にも大きく貢献した.幅員の狭さからバイパス道を造る計画もある (ただし凍結中) ようだ 3 が,できれば重要な土木遺産である本隧道は,そのまま残しておいて欲しいと思う.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 198-199,土木学会.
  2. 兵庫県教育委員会事務局文化財室・編 (2006) "兵庫県の近代化遺産 : 兵庫県近代化遺産 (建造物等) 総合調査報告書" p. 117,兵庫県教育委員会事務局文化財室.
  3. 神戸新聞 (2019) "心霊スポットで有名な相坂隧道 近代遺産の歴史的価値は? | おでかけトピック | 兵庫おでかけプラス | 神戸新聞NEXT" 2021年8月29日閲覧.