交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 国道2号 玖波隧道 (2021. 12. 20.)

明治初期に造られ,昭和戦前期に拡幅された,広島県下現役最古の道路隧道.

はじめに

広島市から山陽道 (西国街道,現在の国道2号) を西へ30km.古くから港町として発展した大竹市玖波 (くば) 地区にある玖波隧道を訪ねた.場所: 34.25859734381922, 132.23355942108134 

埋め立てで海岸が遠くなった現在の地図ではわかりにくいが,瀬戸内海に落ち込む崖地を潜る隧道で,それまでの「馬試し峠」と呼ばれた急峻な山越えに代わる車道である 1.ただ,現在は昭和20年 (1945) に海側を埋め立てて造られたバイパスが国道2号現道となっており,隧道を含む旧道は専ら生活道路となっている.

 

玖波隧道は明治12年 (1879) 竣工 1広島県下現役最古の道路隧道とされ,日本全体としてもかなり早い時期の作である.それほどまでに「馬試し」が険しかったということだろうか.当時の写真をWeb資料 (郷土史的なものだったような…?) で見たはずなのだが,控え忘れたために見つけられなくなってしまった.今の情景からは想像しづらいような砂浜の海岸の先に,素掘りとみられるささやかな隧道が小さく写っている写真だったと思う.

 

ともかく,玖波隧道は開通から60年近くその姿で働いたが,昭和11年 (1936),大規模な改築を受けている 1.この頃広島県土木課は,国道2号の岡山県境の大門地区から佐伯郡大竹町までの約150kmを,昭和3年 (1928) から30ヶ年間で拡幅・改修するという壮大な事業を進めていた 2.玖波隧道は改築によって幅員5.6mに拡げられ,当時の自動車が十分すれ違えるようになった.同時に洞内はコンクリートで巻立てられ,坑門工も一新された.つまり当初の姿を現在は留めていないわけだが,改築にしても昭和戦前期である.現代の面白みのない画一的なトンネルではなく,格調高い意匠を有する立派な隧道となっている.

探訪

JR西日本どこでもきっぷ」を使った岡山〜広島〜山口の2泊旅行の2日目,JR山陽本線の玖波駅から徒歩で現地に向かった.南口駅舎を背にして少し歩くと国道2号旧道にぶつかるので,広島方面に左折.

 

いかにも「戦前の車道」という感じの,現代の感覚では狭いものの昔の自動車なら離合できる広さの道路が続く.随所に残る古い木造家屋・店舗も良い.

 

上り坂をほとんど感じることなく,道の正面を小高い山塊が横切っているのが見えてきた.「馬試し」である.その真下には,目指す隧道が黒い口を空けている.右手側に何やら上り階段があり,馬試し峠に繋がっていたりしたのかもしれないが,民家の軒先のようなところに出そうだったので,今回はスルーした.

 

改めまして,玖波隧道 (大竹側),明治12年 (1879) 竣工,昭和11年 (1936) 改築,延長43m,幅員5.6m.

 

坑門工はやや装飾的.御影石がアーチ環を成し,ささやかながらコンクリートでピラスターと帯石が表現されている.

 

破風?付きの扁額には右から左に「玖波隧道」.アーチのトップを飾る五角形の要石も格好いい.

 

アーチ環とピラスターの基部.やや大きめの御影石が2列に並んで支えている.

 

洞内へ.坑門工の装飾性とは打って変わって,よくあるコンクリート覆工である.アーチ部分に型枠の跡がくっきり残っているのがいかにも古い施工だ.

 

大竹側を振返って.こうしてみると,いかにも幅員確保を意識したような面白い断面形状をしている.

 

正面つまり広島側を見る.車が写っているところは国道2号現道で,その向こうはすぐに瀬戸内海である.

 

広島側に抜けて振返り.坑門工は大竹側と瓜二つだが,潮風が吹き付ける場所ゆえか,コンクリートの劣化が大竹側よりも進んでいるように見える.

 

もう少し引いた位置から.中央の崖がかつての海岸線と思われるが,海側が埋め立てられているため,断崖が海に落ち込む交通の難所という印象は消え去っている.そうして造られた国道2号現道はひっきりなしに車が通過している一方,右の隧道は通る車も少なく,やや寂しい印象だ.とはいえそのお陰でゆっくり隧道を観察できたのも確かである.

 

ちなみに現道の開通は昭和20年 (1945) だという 1終戦前か終戦後かで意味合いは大きく異なるが,終戦前だとすると,戦車等の軍事車両を通すには隧道の断面が不足していたということかもしれない.いずれにしても,玖波隧道は改築後,わずか10年足らずで一線を退いたことになる.

 

上の写真でもわかる通り,隧道の広島側の旧道はすぐに現道と合流する.その直後に,海に流れ込む小さな水路を跨ぐ橋が架かっている.

橋自体はさほど古くなさそうだが,旧道側 (上流側) に石積みの橋台が見えたので驚いた.明治12年 (1879) の初代玖波隧道と同時期の下部工ではないかと思う.

 

この橋の名称は「唐船浜橋」.唐船浜というのが付近の海岸の名前で,太閤秀吉の時代にここで唐船,つまり中国・朝鮮の船に準じた船が造られたことに由来するそうだ 3

 

唐船浜の国道2号から瀬戸内海を望む.この美しい景色は明治12年の新道開通,あるいはもっと昔の西国街道の頃から大きく変わってはいないのかもしれない.

おわりに

明治12年 (1879) に竣工した,広島県下現役最古の道路隧道である玖波隧道を訪ねた.

 

玖波隧道は昭和11年 (1936) の拡幅によって当初の姿を失ってはいるものの,改修後の坑門工には御影石のアーチ環,ピラスター,破風付きの扁額などの装飾が施されている.拡幅によって交通の便を大きく改善するとともに意匠的にも優れた,模範的な隧道改修工事だと思う.近年,老朽化した隧道の長寿命化工事において,当初の優れた意匠が破壊され,無機質なポータルに改築されるケースが跡を絶たない (由良洞小野坂隧道東口,須磨寺隧道,鉄拐山隧道など).本隧道は,そうした「改悪」とは正反対の素晴らしい土木遺産であり,今後もよく保存されてほしいと思う.

参考文献

  1. 中国建設弘済会・編 "玖波隧道と八坂山隧道" 2022年12月1日閲覧.
  2. 道路改良会・編 (1927) "大門から大竹迄の國道の大改修" 道路の改良,第9巻第9号「地方通信」,道路改良会,2022年12月1日閲覧.
  3. 大竹市歴史研究会・編 "唐船浜 | 大竹市歴史研究会" 2022年12月1日閲覧.