交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 国道8号 阿曽隧道 (2022. 4. 6.)

福井県敦賀湾の東岸,断崖絶壁を穿つ国道8号旧道の明治隧道.

 

阿曽隧道は,敦賀から福井に向かう海沿いの国道8号に造られた隧道である.

敦賀駅気比神宮のある敦賀市街から北に向かい,金ヶ崎を越えてさらに数キロ進むと,国道は敦賀市赤崎地区で敦賀湾東岸に出る.海岸線を忠実になぞることおよそ5km地点,挙野集落と阿曽集落の間には「黒崎」と呼ばれる険しい地形がある.急峻な断崖がまっすぐ海に落ち込むという典型的な交通の難所であり,両集落を結ぶ旧来の道は海岸を迂回し,利椋峠で山越えをしていた.阿曽隧道はこれに代わる隧道で,海岸近くで断崖を貫通する.

 

阿曽隧道は第一次府県統廃合で生まれた敦賀県によって,県庁 (敦賀市街) と東浦村杉津を陸路で結ぶ「東浦道」の一部として造られた.明治9年 (1876) と近代の中でも極めて早期のことである.工費は主に寄付で賄われ,数多くの地元住民が無償奉仕で工事に参加したとされる.

 

その後紆余曲折を経て,東浦道は「敦賀道」として,福井県の手で再整備されることになる.福井から南下する北陸道と武生で分かれ,春日野・阿曽・金ヶ崎の3隧道を経由しつつ海岸沿いに下り,金ヶ崎で官設鉄道に連絡する道である.工事は明治18年 (1886) から20年にかけて進められた.この際,もともと素掘りであった阿曽隧道は拡幅され,現在みられる美しい切石造りの坑門と覆工が造られたと考えられている.

 

明治生まれの阿曽隧道は長く利用されたが,戦後の昭和36年 (1961),線形と幅員を改良した新トンネル「黒崎隧道」が内陸側に開通したため,現在は廃道となっている.

 

阿曽隧道への分岐は現道の黒崎隧道の南側・北側双方にあるが,いずれも長い長いロックシェッドに覆われており,旧道に車で進入することが叶わない (一応南側には開口部があるが,コンクリートブロックで塞がれている) ばかりか駐車すら難しい.従って少し離れた場所に車を停め,歩道のないロックシェッド内を危険承知で歩くしか接近する手段がない.

 

2022年4月6日,他の諸々の探訪を終えた夕方に現地を訪ねた.本当は車の少ない早朝などが良いのだろうが,雪が融けていて藪も育っていないこの日を逃せば当分来られないだろうと思い,妥協した.

 

現道の黒崎隧道から南に350m地点の海側にある広い路肩に車を停めた.

これから歩くべき道.たかが350mとはいえ歩道はなく,北陸の大動脈たる国道8号だけあって交通量も多い.しかも350mのうち半分近くは逃げ場のないロックシェッドの中となる.流石に恐ろしいので,道路工事の作業員が着ているような反射ベストを着用した.こういうの

 

車が途切れたタイミングを見計らって歩いてゆく.

ロックシェッドが見えてきた.

 

ロックシェッド内に歩行者が歩くスペースはなく,大型トラックも双方向から頻繁に通るので非常に窮屈だった.反射材のおかげかどの車も私に気付いてくれたが,私が居るせいで車が離合できず,交通の流れが止まってしまう場面もあった.ばつが悪い気持ちでシェッド内を小走りに移動した.

現道の黒崎隧道の直前で,唐突に路外に歩道のようなスペースが生まれた (崖から張り出した桟橋).一も二もなく飛び込む.前後に歩道がない孤立したスペースゆえ現在はろくに使われていないらしく,雑草が生えていたり水たまりがあったりするが,それでも車に轢かれる心配がないのは大きい.

 

ほどなく (現) 黒崎隧道,昭和36年 (1961) 竣工.壁面の横スリット,坑口付近の迫り出し,輪石風のアーチ環など一応の装飾が施された意匠は (現) 金ヶ崎隧道に近いが,こちらの方が新しいためかやや簡略化されているようだ.いずれにしても坑口から直にロックシェッドが繋がっているせいでろくに観察ができないのは残念だ.

 

さて,旧道を進む.

路上を木々が我が物顔に占拠しているあたりがいかにも廃道だ.

 

振り返る.現隧道の脇の立派な石垣はいつ頃の作だろう?

 

石垣に支えられた駒止め付きの車道.山側の法面は崩落しており,そのうち路上を埋め尽くしてしまいそう.

 

先人の記録では,この先の右カーブの付近に何らかの倉庫?小屋?があるようだった.一見しただけだとわからなかったが,よく見ると海側でへしゃげていた.

落石のしわざか雪のしわざかは知らないが,この様子からみて既に使われてはいないのだろう.

 

さらに進む.見えてきたぞ.

 

視線を海側に移す.恐ろしいほど切り立った,まさに断崖絶壁である.これが「黒崎」か.ちなみに隧道ができるまで海岸沿いに道はなく,船で海上を移動する場合が多かったそうだ.

 

足元が悪いので転けないように慎重に進む.

 

阿曽隧道 (南口),明治9年 (1876) 竣工,明治19年 (1886) 頃改築?,近代土木遺産Bランク.切石造りの見事な坑門が夕日に染まっていた.

 

坑口はおびただしい量の落石と崩土で半ば埋まりかけ.

 

近景.過度な装飾はないが,きっちりした造形が美しい.迫石・笠石と壁面で表面の加工に変化を付けているのも良い.

 

迫石.丁寧に曲線加工されている.

 

笠石のひとつが欠けている.目立つ綻びはここくらいか.

 

振返り.もはや道路という感じはしない.奥に見える灰色の屋根が現道のロックシェッドである.

 

崩土の上に立って内部を望む.見事な石アーチが140年近くを経て姿を留めている.アーチが一般的な円弧状ではなく放物線型であるのは本隧道のよく知られた特徴だ.

 

坑口付近の崩土は意外と安定しており,上に立つことに支障はなかった.これなら内部に下りれるし戻って来れるだろう.

 

崩土の斜面をゆっくり下り,洞内の道床に立った.

振り返る.整然と積まれた石アーチに西日が射す光景が芸術的で,しばし見惚れた.

 

美しい……

 

石の覆工は坑口付近のみで,ほどなく素掘りとなる.写真は石アーチ終端の振返り.巻き厚自体は一重だが,素掘り岩盤との間は小さな石材を寄せ集めて丁寧に埋められている.

 

先を望む.吹付けも何もない,掘ったままの豪快な素掘りが続く.現役であれば間違いなく吹付け等で改修されているだろうから,ある意味廃止されていればこその光景だ.

 

先ほどの写真にも写っていたが,早速小規模な落盤がある.新隧道が昭和36年 (1961) に開通してから60年以上が経つのだから無理もない.とはいえ歩くのに支障はない.むしろ補修もなしにこの程度の崩落で済んでいるのが凄いのかも.

 

ほどなく北側の覆工区間も見えてくる.

 

素掘り区間の振返り.

 

素掘り区間と北側覆工区間の境界.こちらは一重の石アーチが綺麗に収まっている.

 

北側ゆえに陽は当たっていないが,緻密な石アーチが残っている.

 

上の写真にも写っていたが,山側の壁面にやや大きめなクラック.組積造のウィークポイントということか.

 

抜けて振返り.阿曽隧道,北口.こちらは崩土の影響を受けずにきちんと坑門が露出している.特徴的な放物線アーチの形状もよくわかる.

 

ツタが絡みついている.夏場は緑一色の壁になってしまうのだろうな.

 

台形状の瀟洒な要石.

 

先を望むと,真っ赤な骨組みがすぐそこに見えている.現道の黒崎隧道に接続されたロックシェッドである.ひっきりなしに行き交う車の音も当然近い.

 

とりあえず歩いてみる.草薮のせいでどこまでが道であったのか判然としない.まだ藪は育っていないものの夏場は地獄であろう.ほどなく現道にぶつかり,先に進む余地がなくなる.

 

振り返ると,(現) 黒崎隧道北口.例によってシェッドのせいで坑門工はほぼ見えない.

 

事前情報では,現道をもう少し北に進んだところに,明治19年 (1876) 頃の車道工事で命を落とした4名の慰霊碑が建っていることがわかっていた.本来ならばそこまで参拝したかったのだが,あまりに現道の交通量が多く,朝から活動していた疲れもあってロックシェッド内を無事歩いて往復する自信が持てなかったので,その場で手を合わせて冥福を祈るに留めさせていただいた.

 

旧道踏破完了の証として,ロックシェッドの柱にタッチして引き返した.現道を通る気にはなれないので再び阿曽隧道へ.

南口付近.やはり美しい光景だ.

 

崩土の山をザクザクと登り,もう一度南口坑門を眺める.

またね.

 

最初に来た道を引き返す.

現道の直前,海岸に降りる階段を見つけた.釣り人が使うのだろうか.だとして,彼らの車はどうするのだろう.やはり今回の私と同様,少し離れたところから危険を承知で歩いてくるのだろうか.

 

というわけで現道に合流.また地獄のような350mを大型トラックに怯えながら歩き,車に戻った.

 

(旧) 国道8号上にある石造りでユニークな断面形状を持つ阿曽隧道を訪ねた.隧道自体は竣工から140年近くを経ているがほとんど綻びがなく,封鎖されていないので通り抜けも可能という優れた土木遺産であった.景色も素晴らしいので遊歩道やサイクリングロードとしての活用が期待されるところだが,落石や崩土への対策が難しいかもしれない.現道ですら長大なロックシェッドによって道を守っているのだ.また現道は五味海岸から阿曽集落の旧道分岐まで1.4kmにわたって歩道がなく (ロックシェッド内も含む),そもそも徒歩や自転車で安全に接近し難いことも課題となりそうだ.難しい問題ばかりだが,同じ地方の内陸側にある北陸本線旧線トンネル群のように,本隧道も地域の近代化遺産として注目されて然るべき存在だとは思っている.

参考文献

  1. 文化庁文化財部記念物課・編 (2018) "近代遺跡調査報告書:交通・運輸・通信業" 第1分冊,pp. 226-229,文化庁文化財部記念物課.
  2. 福井県敦賀郡・編 (1915) "敦賀郡誌" pp. 827-830,福井県敦賀郡
  3. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 170-171,土木学会.