交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

福山市の鶴ヶ橋 (2021. 6. 23.)

広島県福山市.交通の要衝に架かる,白く塗られた美しい橋を訪ねた.

 

この日私は,国際会議論文の改訂を終えた自分に対するご褒美として,久しぶりに遠出をした.行き先は岡山県西部から広島県東部にかけてで,日帰りながら数多くの交通遺産を探索することができた.本記事では,その旅の最初に訪れた橋梁をレポートする.

 

大阪から新幹線で福山駅にやってきて,駅前のレンタカー店で車を借りた.駅前通りから国道313号に出て,そこから4kmほど進むとJR福塩線の横尾駅である.「タイムズのB」で予約した駅前の駐車場に車を停め,そこから歩いて現地に向かった.

 

駅からさらに国道313号を進むと,左に広島県道391号が分岐する.その分岐先に架かるのが鶴ヶ橋である.

手前の踏切は福塩線のもので,その向こうで車が並んでいるところが橋である.幹線道路同士が交わるために交通量が多く,橋の上には常に渋滞が起きていた.

 

踏切を渡って,まずは西側に併設された歩道橋から橋を観察する.

鶴ヶ橋,昭和11年竣工 *1,近代土木遺産Cランク.白く塗られた高欄が美しい.

 

親柱.

順に南東・南西・北西.北東の親柱は見当たらなかった.北西の親柱の裏には竣工時期を記した銘板があった 3 ようだが,藪に覆われていて発見できなかった.

 

高欄には,

アーチとその左右半分を組み合わせたような,独特の開口部.

 

橋の四隅には,親柱とは別に,このような装飾があった.

上に常夜灯か何かを載せていたのを撤去したように見える.現存しないのは,戦時中の金属供出令によるものかもしれない.

 

橋を渡って道路の東側に回ると,全景を拝むことができた.

なんとも美しい橋である.独特の開口部を持つ高欄,そして橋脚の上に施された階段状の意匠など装飾にも富んでいる.本橋は江戸時代の「西備名區」にもその名が登場するなど,街道の交わる要衝として歴史的にも重要であった 4 ことから,このような凝った装飾が施されたものと思われる.

 

また,近くで見て気付いたことがある.

桁に明確な継ぎ目があり,片持ちの桁が吊桁を支えている.まごうことなき私の大好物,ゲルバー橋である.本橋を知ったきっかけだった「日本の近代土木遺産」にも記述がないことだけに,嬉しい発見だった.

 

ところで,本橋には架け換えの計画が存在する.平成18年 (2006年) の福山河川国道事務所の一般質問に対する回答 5 に,

昭和11年供用の鶴ヶ橋が老朽化しているうえ,県道加茂福山線と国道313号の交差点に,福塩線の踏切が隣接している特殊な構造により渋滞が慢性化しているため計画したものであり,鶴ヶ橋の架け替えによる大型車通行への対応とともに,特殊な構造を解消することによる渋滞解消を目的としています。

という記述がある.ただし事業年度は平成13年度 (2001年度) から平成24年度 (2012年度) となっており,当初の計画ならばとうの昔に架け換えが完了しているはずである.事業が中止されたのか,それとも休眠中なのかはわからないが,とりあえず2021年6月の探索日時点で,本橋は現役で利用されていた.バイパスの必要性はよくわかるので,いずれ事業が再開されるならば異論はないが,できればこの美しい鶴ヶ橋はそのまま残してほしいと思う.

 

これにて探索を終え,車に戻って次の目的地に向かった.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 220-221,土木学会.
  2. 広島県教育委員会事務局管理部文化課・編 (1998) "広島県の近代化遺産:広島県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書" p. 11,広島県教育委員会
  3. tanezaka (2013) "福山市の鶴ヶ橋北詰より井原鉄道の車両を撮影する - 寮管理人の呟き" 2021年8月9日閲覧.
  4. 種本実 (2013) "鶴ヶ橋と横尾界隈(交通の要衝・陸軍大演習の逸話)- 備陽史探訪の会" 2021年8月9日閲覧.
  5. 国土交通省中国地方整備局福山河川国道事務所 (2006) "一般国道2号福山道路 主な質問及び回答(H18.4.21)|国土交通省 福山河川国道事務所" 2021年8月9日閲覧.

*1:「日本の近代土木遺産1 は昭和12としているが,「広島県の近代化遺産」2 などは昭和11としており,また私が発見できなかった現地銘板には「昭和拾壹年竣工」と刻まれていた 3 ようなので,昭和11年が正しい竣工時期と思われる.