交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

神龍橋 (2021. 6. 23.)

中国山地の名勝,帝釈峡.県道の橋として戦前に架けられ,架け換えを経てなお大切に保存される巨大なトラス橋を訪れた.

目次

背景

今回からしばらくは,広島県の誇る国定公園,帝釈峡の一角をなす神龍湖の周辺の交通遺産をレポートする.

 

神龍湖は,1924年 (大正13年) に両備水電株式会社が建設した帝釈川発電所 (現在は中国電力保有) 1 の貯水池である.この発電所の建設は,広島県神石郡に電気の灯をもたらしただけでなく,明治末期頃から始まった備前・備中地方の工業化を支えたという 1.そしてダム湖である神龍湖は,石灰岩による断崖絶壁や四季折々の渓谷美を楽しめる景勝地として,国定公園帝釈峡の中心的存在となっている 2

 

今回レポートする神龍橋は,昭和5年 (1930年),神龍湖を通過する県道の「紅葉橋」として架けられた 3.橋としては2代目で,先代のトレッスル橋脚を持つ2径間のトラス橋 4 に代わって,無橋脚の単純トラス橋として架けられた.この2代目紅葉橋はスパン長82.9m,単純トラスの道路橋としては当時最大の径間を誇ったという 3

 

2代目紅葉橋は戦後になっても使われたが,幅員の狭さから交通量の増大に耐えきれず,昭和60年 (1985年) に3代目となる現・紅葉橋が架けられた 3

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写真は岡田 (2003) 3 より.左が2代目,右が3代目の紅葉橋で,幅員の差は一目瞭然である.

 

3代目紅葉橋の竣工によって2代目の橋はお役御免となったが,折しも計画されていた神龍湖の観光整備にあたって,本橋を探勝歩道の一部として再利用することが決まった.移設工事は,以下の写真 (岡田 (2003) 3 より) のように2代目紅葉橋を巨大な台船にすっぽり載せて,神龍湖の上を約600mにわたって運搬することで行われた 3

そうして探勝歩道の一部となった2代目紅葉橋は,「神龍橋」と改称され,現在に至るまで神龍湖の屈指のビューポイントとして第二の人生を送っている.

探索記録 (本編)

今回の探索は福山市の鶴ヶ橋高梁市川上町三沢の国道313号旧道高梁市の宮下橋の後に実施した.宮下橋の探索後,突然の大雨に見舞われながら岡山県道,いや険道438号などを走って,

13時半頃に神龍湖に辿り着いた.

 

神龍湖には駐車場が2か所あるが,今回私は東城町側,いわゆる三坂駐車場にレンタカーを停めた.そこから探勝歩道に入り,神龍橋を目指した.

道中に見える神龍湖は穏やかだったが,途中ですれ違った観光協会か何かのおじさんによると,今日は遊覧船は運航しないという.紅葉の時期ではなく,またおそらくコロナ禍の影響もあって,観光客がほとんどいないからであろう.

 

駐車場を出てから10分ほど歩くと,緑葉の中に真っ赤なトラスが見えてきた.

正面に回って,

神龍橋 (元・紅葉橋),昭和5年 (1930年) 竣工,近代土木遺産Aランク 5土木学会選奨土木遺産 6,国登録有形文化財 7

 

向かって左手には,

銘板が残っていた.残念ながら内容は読み取れない.

 

さて,渡る.

スパンが長い分,高さも相当なものとなっている.斜材の上下中央には補助材との継ぎ目,いわゆる格点が設けられている.複雑に組み合わされた鋼材が重厚な景観を作っている.

 

橋の中央付近では,

路面が少し広くなっていた.まるで待避所だが,これが県道時代からのものかどうかは定かでない.いずれにしても,その部分でも1車線程度の幅員しかなく,4輪車同士のすれ違いにも苦労しそうだ.架け換えも必至だったろうと思われる.

 

そこから左右を見ると,

日々の疲れを忘れさせてくれるような,穏やかな景色が広がっていた.

 

さらに進むと,反対側 (西側) の橋詰が見えてきた.

こちらは階段となっている.

 

一番西側の斜材には,

綺麗な状態の銘板が残っていた.

昭和五年十月

松尾鐵骨橋梁

 株式會社

  製作

と思われる.

 

そして移築にあたって新設された西側親柱には,

登録有形文化財と選奨土木遺産のプレートが仲良く並んでいた.

 

渡り切って,階段の上から振り返る.

錆びも含めて美しい.

 

最後に,横から.

以前訪問した近鉄京都線の澱川橋梁と同じく分格の曲弦プラットトラス,いわゆるペンシルベニアトラスである.巨大なトラスを構成するために斜材の途中に継ぎ目 (格点) を設け,補助的に横材も用いるという構造がよくわかる.

 

この後は来た道を戻るのも面白くないので,橋の西詰で南に折れて探勝歩道を進み,車道まで出ることにした.その道中ではこれまた美しい下路アーチの桜橋や,種々の隧道を味わうことができた.それらの模様は次の記事でレポートする.

おまけ: 三坂駐車場を跨ぐ橋

今回の探索の起点となった三坂駐車場の頭上には,巨大なアーチ橋が架かっている.

あまりに存在感が大きく,県道を通れば否が応でも目にすることになるこの橋だが,実は廃橋だった.

 

三坂駐車場から探勝歩道に入ると,すぐに分岐が現れる.目指す神龍橋は左だが,一方の右を見ると,

閉鎖されていた.分岐点には看板があり,そこにはこんな掲示があった.

休暇村帝釈峡への探勝歩道は通行禁止だという.日付は平成26年 (2014年) 3月末で,おそらくその後ずっとこの状態が続いているのだろう.

 

そして,その休暇村への道というのが,本節で話題にしているアーチ橋に繋がっているようだ.帝釈峡の古い観光マップ 7 が三坂駐車場から橋を通って休暇村に至る道を描いている.休暇村から神龍湖への直線距離は600mほどだが,車道は山を大きく迂回するので,3km以上もの距離がある.つまりこの橋は,休暇村から神龍湖探勝歩道への歩行者用の近道,かつ神龍湖のビューポイントという位置づけだったのだろう.見た目からしておそらくそこそこ新しいが,前後の遊歩道が閉ざされたために,早くも廃橋となっているのは物悲しい.なお,執筆時点で,休暇村の公式サイトにある散策マップ 8 はその橋を描かず,大きく迂回するように案内している.

 

本橋のことも気にはなったが,この後の探索に時間を要したこともあり,これ以上の深追いはしなかった.未舗装の遊歩道で7年も通行禁止ならば,道は相当自然に還っていると予想されるので,今でも橋の上に辿り着けるかどうかはわからない.それでも,もし植生の穏やかな時期に再訪することがあれば,探索してみたいと思う.

参考文献

  1. 広島県教育委員会事務局管理部文化課・編 (1998) "広島県の近代化遺産:広島県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書" pp. 162-164,広島県教育委員会
  2. 一般社団法人水源地環境センター (2013) "神龍湖「帝釈川ダム」 ダム湖百選" 2021年8月13日閲覧.
  3. 岡田昌彰 (2003) "土木紀行 神龍橋" 土木学会誌,Vol. 88,No. 11,pp. 60-61,土木学会,2021年8月14日閲覧.
  4. 平沼義之 (2021) "【山さ行がねが】道路レポート 広島県道25号三原東城線 神龍湖旧道 机上調査編" 2021年8月13日閲覧.
  5. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 218-219,土木学会.
  6. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2002) "神龍橋(元・紅葉橋)の解説シート | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年8月14日閲覧.
  7. 文化庁 (2009) "神龍橋(旧紅葉橋)- 国指定文化財等データベース" 2021年8月14日閲覧.
  8. 帝釈峡観光協会 (刊行年不明) "帝釈峡ぐる~りマップ" 2021年8月14日閲覧.
  9. 休暇村帝釈峡 (刊行年不明) "ふれあいのみち | ウォーキングコース | 休暇村帝釈峡【公式】" 2021年8月14日閲覧.