愛知県の交通遺産をめぐっていたこの日最大の目的が,安城市に架かる居林橋の訪問だった.きっかけとなったのは「日本の近代土木遺産」1 で,居林橋は
井桁状の3柱式橋脚/扁平アーチ開口部をもつ高欄、四角の小穴の存在が出色
として近代土木遺産Cランクに認定されている.そして調べてみると,今まさに架換え工事が進行中であること 2 がわかり,急ぎ現状の記録に赴いたのだった.
鉢地坂隧道を後にした私は東岡崎駅に戻って車を返却し,名鉄名古屋本線と西尾線を乗り継いで米津駅にやってきた.居林橋はここから800mほど東に架かっている.駅周辺の住宅街を抜け,橋に続く市道に入った私を出迎えたのはこの標識だった.
この先400M
橋梁管理上
大型車両の
通行を制限
します。
道路管理者 安城市長
もちろん居林橋のことを指しているが,「制限」の対象が車両の荷重ではなく幅員であることは意外だった.一応橋の架換えの理由は老朽化とされている 2 が,それ以上に古い道路構造物ゆえの狭小な幅員が大きな問題となっているのかもしれない.
そのまま歩いてゆく.そろそろ400メートルくらいかと思ったところで,
左手に真新しい路盤が現れた.これぞまさに現在建設中の新・居林橋に続く道である.そのまま辿っていき,ぐぐっと右にカーブした先には,
巨大なコンクリートの構造物.新橋の橋台であろう.
見ての通り新橋はまだ完成していない.従って,正面を向くと,
戦前らしい幅員の居林橋が,新橋など目もくれず元気に活躍していた.実は事前調査では架換え工事の進捗状況が判然としなかったので,「間に合ってよかった」と安堵した.
下流側.
居林橋,昭和16年 (1941年) 竣工,近代土木遺産Cランク 1.
親柱.
頭頂部が円形の瀟洒な柱に石板が埋め込まれている.文字は陽刻で「居林橋」「昭和十六年六月改築」「ゐはやしはし」,残り1基も改築時期だった.「ゐはやしはし」の親柱は大型車が接触したのか無惨に破損しており,橋の手前に掲げてあった幅員制限も頷ける状態だった.
高欄.
三日月型の開口部に3本の縦材が入った楽しい意匠である.それとは別に正方形の開口部も並んでいる.「日本の近代土木遺産」も指摘しているように非常に特徴的なもので,少なくとも私は類例が思い浮かばない.
また,橋上でもうひとつ特徴的なのは,
路面両端をコンクリートで仕切って排水溝が設えてある.溝の途中には桁を貫通する穴が開いており,そこから水を川に逃がすようになっている.
上流側.
逆光だが,高欄の延々と連なる三日月形が美しい.
最後に左岸下流側から,新橋の橋台とともに.
探索日時点で現・居林橋は健在で,もうしばらくは現役を続行するようだった.しかしそれも時間の問題である.私が見た限り,この市道は生活道路としてそれなりの交通量があるから,四輪車同士の離合が困難な現橋の架換えの必要性は否定できない.新橋開通後の現橋の処遇については定かではないものの,残念ながら撤去される公算が大きいのではないかと思われる.実際,同じ安城市の鹿乗川には「岩根橋」という優れた意匠のRCT桁橋が架かっていたことが「愛知県の近代化遺産」3 で報告されているが,航空写真やストリートビューで見ると既に架換えられ,旧橋の痕跡は見出せない.同書で紹介されている瀬戸市の蔵所橋や刈谷市の境橋,刈谷橋についても同様である.居林橋は人道用として保存・活用が望まれる逸品だが,果たしてどうなるのだろうか.