交通遺産をめぐる

関西を中心に隧道,橋梁,廃道などの交通遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

敦賀港線跡 (2021. 6. 10.)

陸海の交通の要衝,そして大陸への玄関口として発展した福井県敦賀市.鉄道と船舶を連絡し,歴史的にも重要な役割を果たした敦賀港線の廃線跡を探索した.

目次

はじめに 1

北陸本線敦賀駅から分岐して敦賀港駅に至る支線は,通称「敦賀港線」と呼ばれていた.その開業は明治15年 (1882年) と古く,特に明治45年 (1912年) からは東京から敦賀港まで直通しウラジオストク行きの客船に接続する「欧亜国際連絡列車」が運行され,ウラジオストク〜シベリア〜ヨーロッパという大陸横断ルートの玄関口として重要な役割を担った.明治以降,日本が近代化への道を歩むなかで海外に派遣された日本人が利用したほか,大正から昭和にかけてはロシアからの亡命者や,杉原千畝の「命のビザ」によって入国したユダヤ人難民も,敦賀港を経由して日本各地や他国へ向かったという.

 

しかし,第二次大戦によって大陸との連絡が途絶えると,旅客列車は廃止され,終戦後も復活することはなかった.貨物輸送は継続されたが,平成21年 (2009年) の運転を最後に休止となり,その後再開することのないまま,平成31年 (2019年) に路線自体が廃止された.

 

今年は敦賀港線の廃線から2年,列車が走らなくなってからは12年となる.敦賀港自体は物流拠点として引き続き重要で,駅の設備はコンテナ輸送のターミナルとなっている.一方の廃線跡については,自治体を中心に,観光資源としてSLを走らせるといった構想があるものの,JR貨物との土地や設備の譲渡交渉が難航しているようだ.

 

とはいえ,北陸新幹線敦賀延伸を2年後に控えた今となっては,敦賀港線が観光資源として活用されるかどうかに関わらず,いつ状況が一変してもおかしくない.現状の姿を鑑賞・記録するべく,敦賀港線跡を探索した.

敦賀駅周辺

国道303号旧道の探索を終え,バスで近江今津駅まで戻り,そこから新快速で敦賀駅までやってきた.

 

敦賀港線は2.7kmと,歩くにはやや長い道のりである.そこで今回は,自転車を使うことにした.

敦賀市にはつるがシェアサイクルという,カーシェアリングのように予約から開錠までWeb上で完結するサービスがあり,これを利用した.対人コミュニケーションが必要ない上,レンタカーやカーシェアと比べると格段に安く,また使い勝手もよかった.他の自治体にも広がってほしいと思う.

 

シェアサイクルのターミナルを出発し,廃線跡に沿って進もうとしたのだが,早速出鼻をくじかれた.線路跡らしきところに行っても,工事現場の高い壁が聳えているだけで何も見えないのだ.嫌な予感を覚えながら先に進む.

 

実は私,自転車に乗るのは約5年ぶりだった.昔は通学に使っていたのだが,大学・大学院と電車通学で,また早々に車の免許を取得したこともあって,自転車に乗る機会はなくなってしまった.しかし久しぶりに乗ってみるとさすがに徒歩より格段に速く,あっという間に駅から1kmも離れた「ローソン敦賀舞崎店」付近に到着した.そこで見つけたのは,

間違いなく踏切跡だ.そして,そこから右を向くと,

ああ……そういうことか…….

 

奥の高架橋は現在建設中の北陸新幹線のものである.新幹線工事に伴って,敦賀港線の痕跡は綺麗さっぱり失われてしまったようだ.

 

しかしながら,反対側を向くと,

そこには本来の廃線跡の姿が残っていた.

 

徒歩ならばここから進入して歩いて行ってもよかったのだが,借り物の自転車でバラストの上を走るわけにもいかないから,いったん線路から離れた.

第一瓜割踏切跡

地図を見ながら次の踏切跡に向かった.場所はここ.

執筆時点ではGoogleマップ敦賀港線跡も描かれており,廃線跡を辿ることは容易である.しかしいずれは消えてしまうかもしれない.

 

自転車の小回りの良さを生かして住宅街の細い道を進み,現地に到着した.

機具庫?が残っており,踏切名も判明した.

第一瓜割踏切.第一があるということは第二もあるはずだが,後で紹介するように,敦賀港側の隣の踏切は「曙踏切」だったから,先ほどのこの踏切が「第二瓜割踏切」だったものと思われる.

 

踏切につきものの警報機あるいは「とまれ見よ」の標柱が見当たらないと思ったら,

こんな具合に倒して放置されていた (機具庫の写真の左下にも写っている).雪の重みで倒壊することを防ぐ処置だろうが,あまりに虚しい光景である.

 

もはや列車が来ることはない踏切から,線路敷を望む.

順に敦賀側,敦賀港側.錆に目をつぶれば,現役と見紛うばかりの状態の良さである.おそらく列車が走らなくなってからも,あくまでも「休止中」ということで,草刈り等の保守作業は継続されていたのだろう.

第一瓜割踏切跡〜曙踏切跡

線路の北東側に平行して,地図にない未舗装路があったので,そこを通って先に進むことにした.

線路が徐々に自然に覆われてゆく,過渡期のような光景.

 

途中,信号機を見つけたが,

あらぬ方向を向けられていた.

 

しばらく進むと舗装路となった.車もほとんど通らないので,快適に自転車を漕いだ.そのさらに先で,線路は国道476号の下を潜るのだが,そこで目にした光景が印象的だった.

道路拡幅のための橋脚はいつ頃からあるのかわからないが,外観からして相当長く放置されているものと思われる.少なくとも探索時点においては,ある種の未成道と言って良いだろう.廃された線路と未成橋脚の交差は,夏日にも関わらず寒々しい光景だった.

 

付近には,現役時代からのものと思われる鉄道標識も残っていた.

さらに進むと,まもなく踏切となり,道路は国道に合流した.

右手奥から自転車を漕いでやってきた.この踏切の名前は,

曙踏切.警報機の類のものは撤去されていた.国道に近接する場所だから,盗難を危惧したのだろう.

曙踏切跡〜湧水踏切跡

曙踏切跡から250mほど進むと,これまた小さな踏切跡があった.

向こう側には3軒ほどの家があり,その住民の方のための踏切だったのだろう.ここに至るまで気付かなかったが,よく見ると路盤は複線幅で,手前側のレールだけが剥がされている.

 

敦賀方面を向くと,

美しい廃線跡.一方,敦賀港方面を向くと,

なんと,残っていたレールも剥がされていた.

 

上の写真の奥に立体交差が見えるが,敦賀港線はそこで国道5号の下を潜っていた.迂回してその先へ向かうと,

真新しいボックスカルバートだけが残っていた.これぞトマソンである.

 

このボックスカルバート,見た目通り相当新しいもののようだ.単線の幅しかないことから,片側の線路が撤去された後のものということは明らかだが,「歩鉄の達人」さま 2 の2018年5月の写真を見ると,その時点で国道側はプレートガーダー橋となっている.つまり,このボックスカルバートは2018年以降,列車が走ることのない線路を跨ぐために,わざわざ造られたということだ.なんとも虚しい話である.

湧水踏切跡と泉のおしょうず

一度は路盤だけになった廃線跡だが,すぐ先でレールが復活した.おそらく,国道5号のプレートガーダー橋をボックスカルバートに更新する工事の際に,邪魔になるレールを撤去したのだろう.そこからまもなくして,

小さな水路を跨ぐ橋と踏切跡が現れた.

 

例によって標識は倒されていたのだが,

その上に何かが干してあった.何だこれ?

 

踏切の名前も現地で判明した.

「湧水踏切」.不思議な名前である.

 

先ほどの水路の出処が気になって,踏切を渡って水路を辿ってみると,

トンネル…というより架道橋か.コンクリート製だが,卵型というのは珍しい.この後に訪れた (旧) 金ヶ崎隧道もそうだったが,地域性だろうか?

 

入口付近の石碑には,

「泉のおしょうず」とあり,中に進んでみると,

水汲み場だった.こういった湧き水がしょうず,つまり清水と呼ばれ,各地で飲料水や生活用水として住民に親しまれている,というのは知識としては知っていたが,実際に見るのは初めてだった.「湧水踏切」の名前は,この清水に由来するに違いない.お地蔵様に手を合わせてから,柄杓で水をすくって手にかけてみると,冷たくて気持ちがよかった.

 

湧水踏切まで戻って,敦賀港方面を向くと,

信号機が残っていた.以前探索した西濃鉄道昼飯線跡とは違って消灯していた.信号機が2つあることから,まもなく線路が二手に分かれるのだろうと予想しつつ,先に見える次の踏切へ向かった.

第一泉踏切〜敦賀港駅

次の踏切跡に着いた.

ここでも例によって標柱は倒されていたが,

「第一泉踏切」という名前が読み取れた.

 

この踏切の先にも国道を潜るアーチが見えたので,向かってみた.

ずいぶん背が高いアーチで,自転車に乗ったままでも進入できた.抜けたところは,

永厳寺という立派なお寺だった.いつも通り,旅の安全を祈っておいた.

 

先ほど予想した通り,第一泉踏切の先で線路は二手に分かれていた.

そこからほどなくして,

次の踏切跡.名称を示すものは残っていなかったが,第二泉踏切と思われる.このまま道路を直進すると,次回レポートする (旧) 金ヶ崎隧道がある.

敦賀港駅ランプ小屋

このあたりからは敦賀港駅の敷地のようだ.ランプ小屋が保存されており,内部も公開されていた.

煉瓦造りの構造物が残っているのは,さすがの明治生まれの鉄道である.

 

ランプ小屋の先は,

多数の分岐のある,貨物駅らしい風景が広がっていた.コンテナ輸送の拠点としては現役の施設だから,これ以上立ち入るのはやめておいた.

敦賀セメント専用線

かつては敦賀港駅から山を隧道で潜り,北側のセメント工場まで専用線が延びていた.その隧道が今も残っているという情報は事前に得ていたのだが,肝心の場所はよくわからないまま,現地に向かうこととなった.

 

しかし,心配することもなく容易に見つかった.ランプ小屋の先には金崎宮の駐車場があったのだが,その中から北を向くと,

見つけた.ずいぶん横長だが,複線用というわけではなく,線路が坑門に対して斜めに入っていたからだ.近寄ってみると,

その凄まじい斜めっぷりがわかる.

 

ここで嬉しい発見があった.坑口を塞ぐフェンスの隙間から内部を覗くと,

なんと,レールが残っていた.

 

フェンスは高く,人目もあったのでこれ以上の深入りはしなかったのだが,それでも良い景色が拝めた.

 

なお,コンクリート製の隧道ではあるものの老朽化は進んでいるようで,

坑門には大きなクラックが入っていた.

探索の終わり

敦賀港駅を大きく迂回して,線路の反対側にやってきた.この近辺は再開発が進んでいるようで,杉原千畝の功績を紹介する資料館などが建っていた.そのあたりから敦賀港駅内部を望むと,

線路が1本だけ残っていた.この写真では何本も線路が分岐していたが,大部分のレールは既に撤去されたようだった.

 

そして左を向くと,

1本だけ残った線路の終端が見えた.

 

これにて探索は終わりである.やや地味な最後だが,線路の行き止まりまで見届けることができてよかった.

おまけ

この写真の位置で,不思議なものを見つけた.

国道の標識と同じ支柱で,こちらを向いて「駐車禁止」が掲げられていた.

 

今私のいる道路が駐車禁止,ということだろうか?だとしても,私の位置からはあまりにも高くて遠い位置にあるので,誰も気に留めないのではないか.そもそも普通にこちらの道路沿いに標識を立てればいいのに,どうして高い位置の国道と支柱を共有する必要があったのだろう.あまりにも奇妙で,不可解な光景だった.

参考文献

  1. 乗りものニュース (2019) "廃止の貨物線「敦賀港線」、実はこんなにスゴかった! 戦前は「大陸への玄関口」 | 乗りものニュース" 2021年7月27日閲覧.
  2. hotetu.net (2018) "廃線探索 JR敦賀港線(休止中)(歩鉄の達人)" 2021年7月27日閲覧.