若狭地方の海産物を,行商が担いで京の都に運んだ鯖街道.現在も幹線道路として日々多くの車が行き交う影で,ひっそりと死にゆく廃道を訪れた.
目次
はじめに
この日は梅雨の晴れ間を見計らい, 滋賀県北部から福井県敦賀市にかけて旅をしていた.その最初の目的地が,本記事でレポートする,国道303号の水坂トンネルから寒風トンネルにかけての旧道であった.
この道は「廃道をゆく 3」1 で取り上げられていた.掲載された写真が魅力的だったことに加えて,のがなあつし氏による文章にも惹かれるものがあった.以下,引用する.
国道303号。この道の歴史は古く【中略】「日本海で水揚げされた鯖を港で塩漬けにして、徹夜で歩き通して京都に届けることができれば、新鮮な鯖に塩が染みてちょうど食べごろ」というのが由来で、若狭街道は「鯖街道」とも呼ばれ、親しまれてきた。
【中略】
寒風トンネル~水坂峠間の線形改良により生まれた旧道とともに、”廃れ美”が最も熟成された寒風トンネル旧道は、ちょうど良い、まさに食べごろであるといえるだろう。
食べごろの廃道.非常にそそられる.もっとも,同書が発行されてから既に10年が経過しており,相応の変化は起きていると予想された.それも含めて,自身の目で現状を観察した.
本記事では前編として,寒風トンネルよりも東側の部分についてレポートする.
廃農道と思いきや…?
湖西線の近江今津駅からJRバスに乗り継いだ.このバスは近江今津と若狭地方の小浜を結んでおり,途中から鯖街道を経由する.街を抜けて山間部に入り,おそらく最も山深いところの「近江杉山」で下車.「近江」とついているのは鉄道の駅名らしさがあるが,元は若江線という鉄道路線として計画され,その後国鉄バス→JRバスと引き継がれた名残であろう.
バスはこの手前で「水坂トンネル」を抜けてきた.最初のターゲットはその旧道である.ただし旧道の大部分は現在でも使われており,廃道となっているのは一番西側の短い区間だけである.ともかくまずはそこを目指したのだが,そこまでの道中,印象的な風景に出会った.
「近江杉山」から徒歩で東に戻る.熊野神社という小さな御社を過ぎて左を向くと,
写真ではわかりにくいが,すり鉢状の谷になっている.その対岸に,細い道があるように見えないだろうか.
対岸に見えた平場が道かどうかの確証がないまま,横目に見ながら歩いて行く.いつの間にか谷を過ぎたようで,左手には草むらが広がっている.そしてそこで見たものは,
孤高に佇む「通行止め」の標識.息を呑むほど美しい廃景であった.
標識があるということは,やはり先ほど対岸に見た平場は道路跡に違いない.と同時に,標識の内容と草藪に覆われた状況からして,国道ではない農道の跡だと考え,深追いせずに引き返してしまった.
しかしこの判断は間違っていた.以下の図をご覧いただきたい.
左は最新の地図で,右は1963年の航空写真である.1963年当時,十字の位置に道はなく,東に迂回する道が本線であったことがわかる.つまり先ほど見た道は,単なる農道ではなく,国道の旧道だった.
おそらく旧道落ちしてからしばらくの間,農道として使われていたから「農耕車を除き通行止め」だったのだろう.草藪に覆われていたのは,もともと未舗装だったからかもしれない.いずれにしても,もっときちんと探索すればよかったと思う.再訪時の課題である.
水坂トンネル旧道
上の地図を見ると,十字の位置の南東にも,現在と1963年当時で線形が異なる箇所がある.その部分こそが,最初のターゲット,水坂トンネルの旧道である.
「農耕車を除き通行止め」の地点から進むこと5分,目を付けていたガードレールが現れた.
背後の国道を通る車が途切れたタイミングで,失礼させていただいた.
かつての二車線の幹線道路が,ゆっくりと自然に呑まれていた.素晴らしき廃道風景だった.
その先では,
路肩が崩れかけていた.コンクリートの堅牢そうな擁壁であっても,放棄されると途端に自然に打ち負かされることがよくわかる.
さらに進む.現道の建設のために伐採された区間を過ぎると,途端に路面に堆積物が多くなった.
写真ではわかりにくいが,この時点で路面が泥沼になっていた.舗装はどこに行ったのか,一歩足を踏み入れるだけで足を取られて,靴が脱げそうになった.簡易防水の靴では歯が立たず,靴下の中まで浸水した.ここは長靴が必要な場所だ.旧国道だからと高を括っていたのがいけなかった.とてもこれ以上進むことはできず,引き返した.
最後に,この写真の位置から望んだ対岸の様子.
こんなにはっきりと旧道が見えているのに,たどり着けないのは悔しい.装備を整えて再訪することを誓った.
寒風トンネル東の旧道
現道に復帰して,西に進む.近江杉山バス停を通り過ぎると右手に分かれる道があり,これも旧国道だったのだが,その先の障害者支援施設?へのアクセス路だろうと思って気にしなかった.その先には小さな橋が架かっているにもかかわらずである.暑さで朦朧としていたのかもしれない.再訪時の課題である.
それ以外にも国道は断続的に改良されているようで,随所に旧道の断片が残っていた.例えばここは,
地形に沿って北にカーブしていた旧道の跡に違いない.
また,特に印象に残ったのは寒風トンネルの直前である.向かって右側に目をやると,
センターライン!間違いなく旧国道である.
ジャンプして旧道敷に入ってみると,奇妙な光景を目にした.
右手側 (現道の方向・南側) からカーブしてくる旧道だけでなく,
左手前 (西側) から伸びてくるセンターラインも残っている.世代の違う2つの旧道ということだろうか?
この経緯は結局わからずじまいなのだが,ともかく正面方向 (東) に進んでみる.
廃されてなお,「はみ出し禁止」を主張し続ける黄色のセンターラインが健気である.
そうして間もなく,
完全に自然に還ってしまった.すぐ右側は絶え間なく車が行き交う現道で,ギャップの大きい風景だった.
引き返し,今度は西に進む.この写真のセンターラインを辿ったが,すぐに消えてしまった.その先は,
画角が狭いのでわかりにくいが,左に曲がれば現道に合流できる.一方正面の斜面は,ガードレールがあるから道路とわかるが,使われていないことは明らかである.このまま登って行くと,寒風トンネルの真上に出ることになる.高度差からして,この後に探索した寒風トンネルの旧道とは異なる道である.それよりも先代の道路か,あるいは林道の跡か.気になりはしたのだが,藪こぎのための装備はないので,今回は見送った.
次回予告
現道に復帰すると,すぐに寒風トンネルとなった.
「トンネルを見たら脇を探せ」のセオリー通り,左を向くと,
朽ちゆく廃道の姿があった.
中編に続く.