交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

西濃鉄道昼飯線跡 (2021. 4. 30.)

美濃赤坂シリーズ第二弾.今回レポートするのは,この旅の主目的,美濃赤坂駅からかつて延びていた貨物線・西濃鉄道昼飯線廃線跡である.

目次

導入 1

西濃鉄道は,美濃赤坂で貨物鉄道を運営する企業である.美濃赤坂の背後に聳える金生山は石灰岩の山であり,特に明治の中頃からは石灰生産や大理石細工で活況を呈している.西濃鉄道の貨物線は,採掘現場から美濃赤坂駅までそれら石材を運ぶため,昭和3年 (1928年) に開業した.路線は美濃赤坂駅から2本に分かれており,東側の「市橋線」は乙女坂駅・猿岩駅を経由して市橋駅までを結んでいた.一方西側の「昼飯 (ひるい) 線」は美濃大久保駅を経由して昼飯駅までを結んでいた.しかし,次第にトラック輸送に切り替えられ,平成18年 (2006年) に昼飯線全線と市橋線の末端区間が廃止された *1

 

今回探索したのは,廃止された昼飯線の跡である.なお,市橋線美濃赤坂駅乙女坂駅区間では現在も貨物列車が走っており,こちらも探索した.その模様は次回レポートする.

廃線跡に残る信号機

美濃赤坂駅から歩くこと約5分.昼飯線跡のハイライトは,いきなり現れる.

警報機や遮断器は失われているが,踏切の跡に違いない.そしてその左側に,信号機が孤高に立ち続けている.廃線跡にこういった電気機器が残っていることは珍しい.全体としても部品としても再利用できそうに思うが,撤去していない理由は部外者の私にはわからない.

 

そして,さらに驚くべきことは,信号機が残っているだけでなく……

点灯している.

 

廃線から15年,列車が走らなくなってからはそれ以上,来ない列車に向かって「停止」を示し続けているのだ.まるで忠犬ハチ公である.事前情報で知っていたとはいえ,やはり感慨深い.

 

信号機の先には,

レールが残っている.このまま行くと美濃赤坂線に合流するはずであるが,時間の都合上,その地点の現状は確認できなかった.

 

踏切跡から反対側を向いて.

こちらは暗渠を越えた先でレールが剥がされ,片側に寄せられている.撤去に向けての準備ということだろうか.だとすれば残念だが,そもそも鉄道のレールは高品質の金属なので,探索日時点で撤去されていなかったことを喜ぶべきであろう.

廃線ウォーク・前編

信号機を後にして,次の踏切跡を目指す.廃線跡なのでGoogleマップには載っていないが,航空写真と照らし合わせ,道路と交差するところを見つけて向かった.左手に線路跡の盛土を見ながら進んでいたのだが,どういうわけだが道路はいきなり高度を上げ,あっという間に線路の高さを超えた.

 

おかしいと思いながらも進んでいくと,道路は廃線跡の真上を通過した.踏切と思っていたところは立体交差の跨線橋であった.

おお,レールがそのまま残っている……!どうやらレールが片側にまとめられていたのは,踏切跡の近くだけだったようだ.回収しやすい地点からレールを撤去していく算段なのだろう.

 

跨線橋の袂には,線路敷まで降下する踏み分け道があった.特に立入禁止の掲示や封鎖はなかった.

 

廃線跡から美濃赤坂方向を向いた瞬間,はっと息を呑んだ.以下の写真では,実際の視界を再現するために周辺減光を施している.

この衝撃は写真では伝わらないと思う.しかし私の目には,先ほどの信号機の赤灯が,驚くほど鮮明に見えた.

 

廃されて自然に還りつつある線路の先で,来ない列車に向かって役目を全うする信号機.その姿は,涙が出そうなほどひたむきであった.

 

考えてみればここから信号機までは直線で,その距離は200mほどしかない.鉄道信号機は,障害物のない直線では600m以上手前で視認できるよう定められている 2 そうだから,ここは十分に灯火が見える場所であった.

 

信号機の光に誘われるように,草に覆われた線路跡を進む.

草花に埋もれた線路敷からでも,はっきりと「停止」をアピールしている信号機.その雄姿を至近ではっきり目に焼き付け,引き返す.

 

振り返ると,

レールの残る美しい廃線跡であった.

雨宿り

実はこの日,美濃赤坂駅を出た頃から雨が降り始めていた.小雨だったので気にせず探索していたのだが,ここに来て本降りになってきた.京都は晴れていたので傘など持ってきていない.仕方なく,先ほどの跨線橋の下で,しばし雨宿りをさせてもらう.

雨が降っている様子を記録しようとしたがうまくいかなかった.線路が濡れていることがかろうじてわかるくらいか.

 

さて,雨宿りの間に気付いたことがある.何気なくレールに足を載せてみると,ギターの弦を弾いたときのように,ユラユラと振動するのだ.まさか現役時代からこんな状態のはずはないから,廃止後にレールの固定具を一部外したのだろう.先ほどは上から眺めて,このあたりの区間は手つかずの状態だと思ったが,どうやらレールを撤去する準備は着々と進んでいるようだ.

 

この趣味において「期間限定でないもの」などない.今日訪れておいてよかったと心から思った.

廃線ウォーク・中編

雨が小降りになったので,廃線ウォークを再開する.先ほどとは逆に,美濃大久保駅方面へ.

進むにつれて下草が深くなり,レールの姿が見えづらくなる.一方であまり見たくないもの――具体的には投棄されたゴミや腐りゆく野生動物の死骸――が見つかるようになる.景色の変化も乏しく,朝から歩き続けた疲労を実感する.「もう引き返して駅に戻ろうか」と思い始める.

 

そんな中で見つけたのが,この朽ちた標識である.

おそらく気笛吹鳴標識,つまり「警笛鳴らせ」である.こういった遺構は大好物である.そして,直線区間でこの標識があるということは,この先にあるのは踏切に違いない.踏切ということは,この険しい廃線跡から脱出できるはずだ.好きで探索しておいてこんな感想を抱くのは身勝手極まりないけれど,私は俄かに元気を取り戻したのだった.

 

はたして,上の写真右奥の電柱のところが踏切跡であった.

小さな踏切である.おそらく遮断機や警報機は最初からなかったのだろう.

 

まだレールは残っているが,いったん道路に戻る.本当の愛好家ならばこういうことはしないのだろうが,私の中途半端な性である.

 

しかし道路を歩いたおかげで,こんなものを見つけることができた.

道路と農地の境として活用されている古レールである.断定はできないが,昼飯線のものではないだろうか.後で述べるように,この先の区間ではレールが撤去されているので,その時に譲渡されたのではないかと思う.

廃線ウォーク・後編

できるだけ線路から離れないように道を歩いて行くと,次の踏切跡に到着した.

ここは随分狭い.原付でも厳しいような幅である.地元の人が徒歩か自転車に乗って,あるいは猫車を押して行き来するための道であろう.

 

もはや列車が通ることのない踏切から,美濃大久保駅方面を向いて.

鉄道らしい曲線である.先ほどの区間よりも下草が穏やかに見える.見ての通り民家のすぐ脇なので,住人の方が歩くこともあるのかもしれない.

 

そして次の踏切跡で,レールは完全に消滅した.

美濃大久保駅

レールの消滅した踏切跡の先で,もうひとつ踏切跡を越えたところが,途中駅・美濃大久保駅の跡地であった.

レールはなく,広大な草むらとなっていた.

 

しかし,貨物ホームだけは残っていた.

倉庫のような佇まいだが,貨物の積み下ろしのために,屋根が線路側に張り出しているのが特徴的である.

 

この駅は途中駅だが,いわゆるスイッチバック駅であった.つまり,美濃赤坂駅から来た列車は,ここ美濃大久保駅で向きを変えて昼飯駅に向かっていた.そのため,ホームの先は行き止まりとなっていた.

車止めの標識が残っているのはなんとも好ましい.

 

最後に,美濃大久保駅の入口部分の,スイッチバック駅であったことを物語る踏切跡.

レールがないのでわかりにくいが,手前と奥に2本の線路の跡がある.奥の線路を通って美濃赤坂駅から来た列車が,左側の美濃大久保駅で向きを変え,手前の線路を通って右側の昼飯駅に向かっていた.

 

廃線跡は昼飯駅まで続いているけれど,私の探索はここで終了とした.レールがなくなると途端に探索のテンションが下がってしまうのは,良くない性である.しかしそのおかげで,次に探索した市橋線でも,また良いものを見ることができた.

 

次回,市橋線探索編

参考文献

  1. 大垣市・編 (2013) "大垣市史" 通史編 近現代,pp. 340-341・723,大垣市
  2. 日本鉄道電気技術協会・編 (2020) "鉄道信号技術" p. 53,オーム社

*1:もっとも,廃止前も数十年単位で列車が走っていなかったようである.