交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

JR京都線の鉄道遺産 第2次探索 ― 上神崎川橋梁・新庄第2用水路橋梁ほか ― (2021. 6. 1.)

JR京都線の吹田〜東淀川の区間で現役で活躍する,明治~昭和初期の鉄道遺産を探索した.

目次

神崎川橋梁

第1次探索と同じく,今回も研究室に向かう途中の寄り道である.今回のターゲットは,JRの東淀川駅を出てすぐのところに架かる上神崎川橋梁で,電車から見るたびに,下り線のポニートラスが気になっていた.以前茨木川橋梁を訪れた頃から,私はポニートラスを非常に好むようになっている.

 

おおさか東線南吹田駅から神崎川の堤防に出て,西に進む.梅雨時だがよく晴れている.10分ほど歩くと,目的地が見えた.

こちら側からは線路脇のケーブルや奥のトラスが煩いので,そのまま下をくぐり,

上下線の間に立って振り返る.

東海道本線 (下り線) 上神崎川橋梁,1912年 (明治45年 / 大正元年) 架設 1

 

電車と大きさを比べると,

トラスの背の低さが際立つ.この小ささが私には愛おしい.

 

橋台部分には階段が設えてあった.保線用通路に違いないが,階段部分は封鎖も何もなかったので,線路の手前まで失礼させていただいた.桁と同じ目線で上部工を観察する.

4連のトラスのうち,手前側 (京都側) の2連は当初の姿で,奥側 (大阪側) の2連は大正12年 (1923年) 頃に更新されたものだそうだ 1.見える範囲だけでもおびただしい量が打たれたリベットが心地よい.こちら側の橋台はコンクリートだったが,おそらくこれも後年の更新によるものと思う.

 

この区間には合計8本の線路が並んでいる.今居るのは東側から数えて2本目と3本目の間だから,正面を向くと両脇に橋を望める.

写真右手には複線の非ポニーワーレントラスが2本,合計4線分が写っている.向かって左側が上り線 (内側線・外側線),右側が梅田貨物線とおおさか東線の共用で,いずれも昭和5年 (1930年) 架設 2, 3 と大変古い.

 

さらに右に移動して,非ポニートラスの向こうに立つと,

右側にはまた別の橋が架かっている.これは大阪駅を迂回して神戸方面へ向かう貨物線の橋で,昭和16年 (1941年) 架設だそうだ 4.決して新しい橋ではないが,ここを通る8本の線路の中では最後発である.先だって架けられたトラス橋と同じ川を同じスパンで渡るのに,よりシンプルなプレートガーダー橋を採用しているのは,技術革新があってのことに違いない.

 

隣接する道路橋を通って南側 (大阪側) へ回り,下り線のポニートラスを観察する.

手前側2連のポニートラスが大正12年頃に更新されたものだ.よく見ると,斜材の開口部などが京都側とは異なっている.

 

大阪側では,さらに嬉しい発見があった.ポニートラスを支える橋台を見ると,

なんと煉瓦である.開業当時からのものとは断定できないが,その可能性が高いと思われる.更新されていればコンクリート製になっていそうな時期である.

 

違う角度から.

令和3年の光景とは思えない.まるでここだけ時が止まったかのようだ.

 

最後に遠景を.

ニートラスと非ポニートラスの高さの違いがよくわかる.ポニートラス,非ポニートラス,そしてプレートガーダー橋とまるで鉄橋の博物館のような場所だったが,やはり私はポニートラスが一番好きだと実感した.

引江用水路橋梁

当初予定していたのはここまでだったから,引き上げるつもりで,堤防から外れて東淀川駅に向かって歩いていた.ふと気が付くと,右手側で,道路が線路の下を潜っている.もちろん線路には橋が架かっているのだが,車が途切れないほど交通量が多い道路だから,さすがに開通当初の橋は残っていないだろう.そう思いながらも,念のため近付いてみると…

れ,煉瓦…!!いやはや驚いた.コンクリートで両脇を固められているが,中央部の橋台には今も煉瓦積みが残っていた.愚か者による落書きだけが残念だ.

 

上の写真は京都側だが,大阪側の橋台にも,

煉瓦が残っていた.素晴らしい.しかし落書きが本当に嘆かわしい.

 

また,現地で橋の名前も判明した.

引江用水路橋梁.開業当初,この道路は用水路だったということだろう.

 

最後に,落書きを外して撮った一枚.

新庄第2用水路橋梁

煉瓦橋台の発見に気を良くした私は,東淀川駅へと向かう道すがら,他にも煉瓦構造物がないか,探しながら歩くことにした.少し進むと道路との交差があったが,幹線道路らしい真新しいカルバートで,煉瓦など見る陰もなかった.しかしその次の交差は,古くからの住宅街の外れにあり,期待できそうだと思って近付いた.

 

まずは遠景から.

文字の大きさと橋の高さで遠近感覚がバグりそうな光景だ.いくらか余裕は持たせてあるとはいえ,1.5mというと大人の身長にも満たない.

 

近付いてみると,

煉瓦橋台!嬉しい限りだ.

 

煉瓦部分の西側は使用されていなかった.

当初から使用されていなかったのか,後年に線路付け替えがあったのかは不明のままだ.

 

本橋の名称も,現地で判明した.

新庄第2用水路橋梁.ここも用水路由来のようだ.異様に背が低いのはそのせいだろう.第2があるということは第1もありそうだが,発見には至らなかった.既に埋められたか,先ほど見た真新しいカルバートがかつてそうだったのか.

 

西側からの振り返り.

ここも時が止まったような風景だ.大阪市内の幹線路線で,こんな景色が見られるとは思わなかった.

 

なお,写真では可能な限り人を写さないように気を付けていたが,ここは生活道路であり,平日の午前でも頻繁に人や自転車が往来していた.特に地元のご婦人方は慣れておられるようで,頭上を気にする様子もなく自転車に跨ったままスイスイ通過していた.探索時には通行の邪魔にならないように注意が必要である.

 

これ以降,東淀川駅までの間には道路と線路の交差は見当たらなかった.そのためこれにて探索を終え,研究室に向かった.

参考文献 

  1. 土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会・編 (1997) "歴史的鋼橋: T1-017 上神崎川橋梁(下り内外)" 歴史的鋼橋集覧,第1集上巻 (鉄道橋編),土木学会,2021年7月13日閲覧.
  2. 土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会・編 (1997) "歴史的鋼橋: T5-118 上神崎川橋梁上り内外線" 歴史的鋼橋集覧,第1集上巻 (鉄道橋編),土木学会,2021年7月13日閲覧.
  3. 土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会・編 (1997) "歴史的鋼橋: T5-119 上神崎川橋梁梅田線" 歴史的鋼橋集覧,第1集上巻 (鉄道橋編),土木学会,2021年7月13日閲覧.
  4. 磯部祥行 (2011) "東海道本線上神崎川橋梁(北方貨物線) - 轍のあった道" 2021年7月13日閲覧.