交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

JR京都線の鉄道遺産 第3次探索 ― 奥田畑橋梁・下橋梁ほか ― (2021. 6. 14.)

明治期に開業したJR京都線のうち,大阪府高槻市島本町にかけての区間に残る煉瓦アーチ橋を探索した.

目次

導入

JR京都線,正式には東海道本線の京都~大阪の区間は,明治10年 (1877年) に開業した国内最古級の鉄道路線である 1.その歴史を物語るかのように,現在も明治期の鉄道構造物が多数現役で利用されている.第1次探索第2次探索に続く3回目となる今回の探索では,特に「大阪京都間鉄道煉瓦拱渠群」として土木学会選奨土木遺産にも登録された 2,煉瓦アーチの架道橋を探索した.

 

今回探索したのは,JR京都線高槻駅山崎駅区間である.わずか2駅,それも全区間ではなく一部だけという短い範囲だが,驚くほど多数の煉瓦アーチを目にすることができた.あまりに数が多いので,今回は写真を中心に,簡潔にレポートしてゆくことにする.

高槻駅島本駅

以下の各橋の名称は小野田 (2000) 1 による.

奥田ノ端橋梁 (奥田畑橋梁)

高槻駅から市バスに乗り,「梶原西」で下車.そこから少し南に歩いたところがJR京都線の線路であり,これに沿って北東に,阪急上牧駅まで向かうことにした.

 

最初に訪れた本橋は,高槻市の煉瓦アーチの中でも特に有名と思われる.まずは南側.

そして内部は,

ねじりまんぽである.

 

北側は複々線化に伴い,ボックスカルバートで延長されている.

今回レポートする物件はいずれもそうだった.第1次探索で訪れた門ノ前橋梁は相当特殊な例であったことがわかる.

 

なお,名称については,明治9年の竣工当初は「奥田ノ端橋梁」だったが現在は「奥田畑橋梁」とされているようだ 1.後者については上の写真にも,その名前を記した掲示があるのが見える.

下橋梁

奥田畑橋梁から100mも行かないところに,次の煉瓦アーチが待っている.まず南側.

こちらはオーソドックスな煉瓦アーチ.

 

内部.

補修の後が多々見受けられた.

 

北側.

ボックスカルバートだが,笠石があるのが面白い.

池田橋梁

下橋梁から250mほどのところにある本橋も,オーソドックスな煉瓦アーチだった.南側.

煉瓦の翼壁もしっかり残っているのが素晴らしい.

 

内部.

こちらも状態が良い.

 

北側.

内田辻橋梁

池田橋梁から100mほどのところにあるのが本橋.これほど煉瓦アーチが高密度に残っているのは驚くに値する.南側.

一見すると無個性に見えるかもしれないが,側壁の下まで全てが煉瓦積みになっているところは特徴的である.今回訪れた他の架道橋や第1次探索で訪れた門ノ前橋梁は,いずれも側壁全体または側壁下部に石積みを用いていた.奥田畑橋梁も基本的には側壁まで煉瓦だったが,坑門のアーチ下部は切石となっていた.

 

内部.

こちらも側壁含め煉瓦積み.

 

北側.

甚兵衛川橋梁

内田辻橋梁から100mほどの先にあるのが本橋.南側.

この地区におけるスタンダードな構造.壁面上部はコンクリートで補修されているようだ.

 

北側.

なお,付近では大規模な道路工事が行われていた.

写真はいずれも線路の北側だが,南側でも工事が進んでいた.探索日時点では煉瓦アーチに手は加えられていなかったが,今後どうなるのだろうか.

山端橋梁

甚兵衛川橋梁から250mほどのところにあるのが本橋.農道の中に口を開けており,農夫の不審そうな視線を浴びながらのとなった.

緑に覆われているが,煉瓦の赤色との対比で雰囲気がいい.

 

内部.

非常に状態が良く美しい.

 

西側.

ここにも笠石がある.

神ノ森道橋梁 (神森橋梁)

山端橋梁から400mほどのところにある本橋は,また違った意匠となっている.東側.

アーチは煉瓦だが,壁面や翼壁は石積みとなっている.

 

内部.

ああ,美しい.

 

西側.

藪ヶ花橋梁

350mほど先にある本橋も,煉瓦アーチと石の壁面の組み合わせだった.東側.

比較的扁平な欠円アーチである.そして写真では伝わりにくいが,幅員・高さともに相当大きい.この下を通る道路は丹波街道 (西国街道) に由来しており,明治期以前から重要視されていたものと思われる.

 

内部.

巨大な欠円アーチの形状がよくわかる. 

 

西側.

島本駅山崎駅

以下2件の名称は小野田 (2000) 1 の一覧に載っていなかったので,「くるまみち」3 さまの記事を参照した.

庄ノ川橋梁 (敗退)

藪ヶ花橋梁に近い上牧駅から阪急電車に乗り,隣の水無瀬駅へ.そこから北西に歩いてJR京都線の線路沿いにやってきた.最初に高槻駅を出てからずいぶん移動した気がするが,この区間はJRの駅の間隔が長いので,ここでようやく隣の島本駅を過ぎたところとなる.

 

線路脇の「樋の尻公園」の隅に水路用の煉瓦アーチがあるという情報があったのだが,現地に行ってみると,

この有様だった.藪+有刺鉄線,しかも周囲は住宅地で視線もある.敢え無く敗退した.しかし上の写真をよく見ると,中央付近に煉瓦積みが確認できる.その下に煉瓦アーチがあることは間違いないだろう.

樋の尻橋梁

気を取り直して次へ進む.樋の尻公園から100mほど北東に進むと,小さな水路が線路を横切っている.そこに架かるのが本橋である.東側.

なんとも可愛らしい2連アーチ.2層巻きのアーチに,側壁は御多分に漏れず石積みとなっている.

 

枯れ川なら内部に踏み込もうと思っていたが,今でも水を湛えていた.例によって今日も大学に行く途中の寄り道なので,長靴などの装備はない.進入は見送った.

 

なお,西側は大規模な工事が行われていて,接近できなかった.無人だったのでフェンスの隙間から覗いてみると,

おそらくこの藪の中にある.しかしいずれにしても西側はコンクリートで延長されている可能性が高いので,無理に近寄ることはしなかった.

 

この日の探索はこれにて終了した.

まとめ

JR京都線高槻駅島本駅山崎駅区間には,今回は探索がかなわなかった物件も含め,驚くほど高密度に煉瓦アーチが残っていた.また一言で煉瓦アーチと言っても,巻き立ての層数やポータル・側壁の材質などにバリエーションが見られたことも興味深い.こち亀のネタではないが,全部同じではないのだ.構造上,そして装飾上の理由から,ひとつひとつ慎重に設計された結果であろう.

 

今回の探索ではもうひとつ,印象に残ったことがある.内田辻橋梁だったか甚兵衛川橋梁だったかの探索中,地元のご婦人が「こういうのは珍しいらしいですね」と声をかけてくださった.話していく中で,その方は「私らにしてみたらありふれた当たり前のもんやけど」と仰った.明治期の構造物が,令和の今になっても地元の風景に馴染み,溶け込んでいることを嬉しく思った.

参考文献

  1. 小野田滋 (2000) "阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴" 土木史研究,2000年第20巻,pp. 269-278,土木学会,2021年8月2日閲覧. 
  2. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2017) "大阪京都間鉄道煉瓦拱渠群 | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年8月2日閲覧.
  3. よとと (2015) "架道橋/橋梁-大阪 by.くるまみち" 2021年8月2日閲覧.