交通遺産をめぐる

関西を中心に隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

伊勢竹原駅 (2021. 5. 30.)

昭和初期に開業した名松線・伊勢竹原駅.そこで見たものは,想像を超える廃景だった.

目次

駅舎

おちあい橋 (中電めがね橋) の探索を終え,伊勢竹原駅に戻ってきた.ここに来るまでに昼食を済ませ,自販機で飲み物を補給していたが,まだ列車が来るまで1時間近くある.しかし,結果的にはこの時間の余裕が,嬉しい発見をもたらすことになった.

 

まずは,駅の顔である駅舎から.

木造の古い駅舎である.無人駅だが綺麗な状態を保っており,地元の方々が整備してくださっているものと思われる.列車の本数は2時間に1本ほどしかないし,地元の人はみんな車を持っているだろうに,本当にありがたいことである.

 

入口脇の柱を見ると,

この駅舎が,昭和10年 (1935年) の開業当初のものであることがわかる.

 

中に入ると,

外観とは打って変わって,こじんまりした待合室.しかし「いい狭さ」である *1無人駅となって久しいが,開業当初は集札口のシャッターも開いていて,奥には広い事務室が見えていたものと想像される.

 

ホーム側に出てみると,まず目を引くのが,

木の柱に打ち付けられた,古びた温度計.水銀部分は失われていた.平成生まれの私には,「マネービル」の言葉は耳慣れない.

 

ホームから振り返ると,

これが,伊勢竹原駅で列車を降りた人が目にする光景である.どこかホッとするような趣がある.

貨物側線跡・南側

駅舎だけでも十分魅力的なこの駅だが,私が衝撃を受けたのはここからだ.

 

上の写真の場所から右側を見ると,

周囲の草むらの中では明らかに場違いな,コンクリートの構造物.

 

その場で検索してみると,これは貨物用ホームの跡だという.今は旅客列車しか走っていないが,国鉄時代,名松線には貨物列車が走ってたそうだ.このホームは道路と同じ高さにあり,直接車を乗り入れることができる.旅客ホームと比べて背が低いのも,貨物の積み下ろしを考慮したために違いない.

 

列車が来るまでまだ時間があるので,特にあてもなく,その貨物ホームの上に立ってみた.すると,

!!!!!

 

驚いた.残っていたのは貨物ホームだけではなかった.駅構内という短い距離だが,これも貴重な「レールの残った廃線跡」である.

 

2枚上の写真に写っているの木の塊は,枕木をまとめて造った車止めで,そこから南のレールが残っていた.

なんと美しい廃線跡か.

 

貨物ホームの先には,

円形の構造物の基礎.おそらく,蒸気機関車の給水塔の跡である.伊勢奥津駅には現在も残っているそうだが,ここにもあったようだ.往時には伊勢竹原で折り返す貨物列車もあったのかもしれない.

 

そうして程なく,現役の本線に近付く.

遺棄されて自然に呑まれゆく側線と,下草の一本も生えていない現役線.その両方を一望することができた.個人的に,この日一番のお気に入りとなった写真である.ここより先は現役線路であり,列車は2時間に1本しか来ないとはいえ,侵入するわけにはいかない.

 

振り返ると,

貨物側線跡・北側

貨物用の側線があったことを考えると,この駅の構造にも,違和感を覚えるようになった.この駅では,ホームから駅舎へは,

このような通路で連絡している.しかし,旅客ホームは1本しかないのだから,駅舎とホームが離れているのは不自然だ.

 

以下は現在の駅構造の模式図である.

駅舎とホームの間に,不自然な隙間があることがわかる.おそらく,貨物輸送が行われていた時代は,こうなっていたものと思われる.

つまり側線は,駅舎の前を通って北側まで延びた先で本線と合流しており,先ほどのホームから駅舎への狭い通路は,構内踏切の跡だったということだ.

 

その通路から,貨物ホームの方を改めて望んでみると,

路盤に見える.往時はここまでまっすぐ線路が来ていたのだろう.

 

反対側を見ると,

線路の右手に広がる草むらは三角形を成しており,いかにも怪しい.なお,写真中央の木製の電柱もかなり年季が入っており,

昭和14年 (1939年) 製だった.

 

レールの残っていない,三角形の草むらの先を見てみると,

写真中央の一部分だけ,枕木が新しいように見える.断定はできないが,ここに貨物側線の分岐があったものと思われる.おそらく,貨物側線用の分岐器を撤去した際,枕木も更新したのであろう.

あとがき

この日の探索記録は以上である.2時間に1本の列車を逃したことによる予定外の探索で,国鉄時代の風情ある駅舎,そして予定になかった廃線跡を巡ることができたのは,まさに僥倖だった.予定の列車に間に合わなくてよかったとさえ思う.

 

待ちわびた松阪行きは定刻に発車した.家城駅から部活帰りの高校生がどっと乗り込み,1両編成の車内は途端に人口密度を上げた.貨物輸送なき今となっては,彼らが名松線の生命線だろう.乗り合わせるとまことに騒がしいが,そのくらいは許容せねばなるまい.

 

松阪のひとつ手前の一志駅で降り,徒歩5分の川合高岡駅から近鉄電車に乗り継いで家路についた.

おまけ

伊勢竹原の駅前通りの脇には,幅50cmほど (目測) の用水路が並行している.そのため,道路沿いの家々の前には,小さな橋 (というより蓋?) が架けられている.そのうちのいくつかに目を奪われた.

足首くらいの高さしかない欄干だが,規則的な明り取りの窓が洒落ている.昭和初期のコンクリート橋のような意匠で,とても好ましい.

*1:「いい狭さ」は「ゆゆ式」のセリフである.ぜひご視聴を.