交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

JR京都線の鉄道遺産・第1次探索 ― 茨木川橋梁・門ノ前橋梁 ― (2021. 5. 19.)

長い歴史を持つJR京都線には,明治期の遺構が多数残っている.今回はその中から,大阪府茨木市の2本の橋梁をレポートする.

目次

導入

この趣味を始めてから色々な場所を巡ってきたが,大阪府の交通遺産をほとんど訪れていないことに気付いた.ここで記事にしているのは,千早赤阪村の千早隧道 (千早洞) だけである.しかし,私の大学は大阪府内であるから,大阪府も馴染みのあるエリアだったりする.自宅のある京都府内の交通遺産は多数レポートしてきたが,大学のある大阪府の交通遺産には見向きもしないのは片手落ちではないか.そんな反省をして,この日は研究室に行く途中で寄り道し,茨木市を通るJR京都線の,2本の古い橋梁を訪れた. 

 

記事タイトルについては,後日JR京都線の別の区間を探索しているので,「第1次探索」としている.

茨木川橋梁

2021年5月16日,近畿地方では早くも梅雨入りが発表された.その3日後となる探索日も,朝から雨が降っていた.そのため延期しようかとギリギリまで迷っていたが,結局,小雨をついて探索を決行した.

 

茨木市役所から,「元茨木川緑地」を北に歩く.

見た目はただの公園だが,名前から推察されるように,ここは昭和24年に「茨木川」という川を埋め立てて整備した緑道である 1.その西側には「川端通り」という道路が並行しているが,かつてはその部分も河川敷だったようだ.

 

最初の目的地は,その (元) 茨木川を跨ぐ「茨木川橋梁」である.茨木市役所を出てからおよそ15分で到着した.

茨木川橋梁,近代土木遺産Cランク 2

上部工: 鋼ポニートラス

まずは橋桁より上に着目する.

白く塗られたトラス構造である.トラスにも色々あるが,これは上部が接続されていない (屋根にあたる部分がない),いわゆるポニートラスだ.この頃から自覚し始めたのだが,私はポニートラスが大好きである.背の低いところが非常に好ましい.

 

「日本の近代土木遺産2 によると,このトラスは明治43年 (1910年) の建造とのことだ.

びっしりと打たれたリベットが,その古さを物語る.

 

明治生まれのトラス橋を,

現代の貨物列車が行く.

下部工: 煉瓦と切石の橋脚

明治生まれのポニートラスというだけでも素晴らしいが,本橋は下部工も興味深い.

切石積みの非常に重厚な橋台である.この橋台は,この区間が開業した明治9年 (1876年) からのものだそうだ 2

 

線路の真下の部分には,

なんと,切石で埋められた煉瓦アーチがある.当初は開口していたのだろうか.地理院地図で古い航空写真を見ると,かつて一帯は耕作地が広がっていたようだから,農業用の水路でも通していたのかもしれない.ただ,コンクリートではなく切石を使って埋めていることからして,埋められたのもかなり早い段階と思われる.また,手前に写っている外側線の方のアーチはねじれている.アーチ内部は窺えないが,「ねじりまんぽ」になっているのだろう.線路と斜めに交差する箇所に特有の積み方である.しかしその奥の内側線の方は,同じ角度にもかかわらず,通常の面一の積み方のようだ.もしかすると内側線の方は最初から開口しておらず,単なる装飾だったのかもしれない.

 

ここまでの写真は大阪側の橋台だが,京都側も同様であった.

やはり不思議な橋台である.しかしそれも,145年という長い歴史があればこそだろう.

門ノ前橋梁

茨木川橋梁のすぐ隣には「門ノ前橋梁」が架かっている.橋梁といっても川を跨ぐのではなく,道路を跨ぐ橋,いわゆる架道橋だ.茨木川橋梁からは,川端通りを横断して児童公園を横切り,公園に面した道路を少し左に進めば,すぐに到着する.

門ノ前橋梁.明治9年 (1876年) 開業,近代土木遺産Bランク.煉瓦造りのアーチ橋である.

 

地元の方によるものと思しき解説も掲げられている.

通称は「丸また」だそうだ.

 

写真で伝わるかわからないが,ここでは道路と線路がやや斜めに交差している.そのため,斜め交差の煉瓦アーチの鉄則通り,ねじりまんぽになっている.

「ねじりまんぽ」と言えば京都の蹴上のものが有名だが,こちらもしっかりねじれている.

 

アーチを抜けて振り向くと,

右側はコンクリートの壁に少々削られているものの,開業当初の姿をしっかり留めている.実はこれ,かなり重要な特徴である.JR京都線には,ここ以外にも煉瓦アーチの架道橋や暗渠が多数あるが,後年の線路増設の影響で,ほとんどは片側 (主に北側) がコンクリートで延長されている.しかし本橋は,線路増設はなされているものの,既設線路と新設線路の間が空いているおかげで,当初の煉瓦アーチが露出しているのだ.

 

この日はこれにて活動を終えた.少し歩いた先の「田中」バス停から阪急バスで駅に戻り,大学に向かった.短時間の探索だったが,明治期の鉄道遺産が街中に残され,かつそれが現役を貫いているという素晴らしい光景を見ることができた.

 

なお, 特に門ノ前架道橋の方は住宅地ということで,ひっきりなしに歩行者や自転車が,そして時々車も通るところだった.写真を撮りにくいのは言うまでもないが,始終訝しげな視線を感じながらの探索となった.訪問の際は近隣のご迷惑とならないような注意が必要だろう.

おまけ

茨木川橋梁へ向かう道すがら,川端通りに植えられた木が,強烈なねじれ具合だった.

今回は最初から最後まで「ねじれ」に縁がある探索となった.

参考文献

  1. 茨木市建設部公園緑地課 (2020) "元茨木川緑地/茨木市" 2021年6月15日閲覧.
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 188-189,土木学会.