交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

南海本線 紀ノ川橋梁 (2021. 9. 5. / 2021. 11. 28. / 2022. 5. 18.)

明治36年 (1903年) に開通し,大正11年 (1922年) に複線化された南海電車の長大鉄橋を訪ねた.

 

大阪市の難波と和歌山市を結ぶ南海電鉄本線.明治期に開業したこの鉄道にとって,いわば最後の難所が,和歌山市の入口を流れる紀の川の渡河だった.明治36年 (1903年),南海は5年がかりで紀ノ川橋梁を架設し,ようやく和歌山市駅までの全通を果たした 1大正11年 (1922年) には上流側に橋をもう1本増設し,和歌山市駅までを複線化した 1.このとき,明治36年の旧橋は上り線用,大正11年の新橋は下り線用となった.

 

開通から1世紀以上が経過した現在も,明治36年開通の上り線,大正11年開通の下り線ともに,現役で利用されている.また,明治・大正期の鉄道らしく,紀ノ川越えに向かう築堤の下には煉瓦アーチ渠が造られており,こちらも現役である.和歌山市のこれら貴重な土木遺産を訪ねた.探索の時系列とは無関係に,北 (大阪側) から南 (和歌山側) に向けてレポートする.

 

(2022. 9. 15. 追記) 本橋は令和4年 (2022年),

南海本線紀ノ川橋梁は、明治期と大正期のトラス橋が上下線に並ぶ現役の鉄道施設であり、橋梁技術の進展や維持管理の重要性を伝える貴重な土木遺産です。

として,土木学会選奨土木遺産に選ばれた 5

 

紀ノ川橋梁 北詰 (2022. 5. 18.)

朝一の特急くろしおで和歌山入りし,JR和歌山駅前のカーシェアステーションで車を借りた.南海の構造物をJRで訪ねるのは邪道な気もするが,後述のように紀ノ川橋梁自体は2度目の訪問であるし,この後の予定も勘案して,まあいいかと思うことにした.以前レポートした北島橋を渡って紀の川北岸の堤防道路に入り,北島橋と紀ノ川橋梁の間にある運動公園に車を駐めさせてもらった.

▲北岸東側から見る旧国道26号北島橋昭和11年竣工,近代土木遺産Cランク 2.左手の和歌山市街からこの橋を渡って対岸にやってきた.

川沿いは遊歩道となっており,橋への接近は容易い.北島橋に背を向けて,東に歩いて行った.

▲紀ノ川橋梁.手前が明治36年 (1907年) 開通の上り線,奥が大正11年 (1922年) 開通の下り線.

▲最も目立つのは低水路に並ぶ真っ赤なトラス.ただし対岸からの方が間近で観察できるので,ここでは詳しく触れないことにする.

いま私のいる北岸には,高水敷から低水路にかけて16本もの鈑桁 (プレートガーダー) が連なる.煉瓦造りの橋脚も一部を除いてそのままで,なかなか壮観な光景だ.

▲低水路側.左が大正11年開通の下り線,右が明治36年開通の上り線.

▲振り返って高水敷側.左が明治36年開通の上り線,右が大正11年開通の下り線.

鈑桁を観察する.上り線・下り線ともにL字鋼の対傾構と下横構を有し,それらがガセットプレートで主構に取り付けてある.明治期の鈑桁には,側面の鉛直補剛材 (スティフナー) がJ型に曲がった所謂「ポーナル桁」も多いが,本橋の場合は明治30年代後半以降という時代ゆえか,それともトラスとともに米国式で設計したためか,スティフナーは上り線・下り線ともに直線形である.上り線・下り線の外観上の差異としてはリベットの並び方が大きい.上り線のリベットは一直線に打たれているが,下り線ではジグザグに打たれている.開通時期の違いが現れているのかもしれない.

▲上り線の桁.

▲下り線の桁.

下り線を潜って上流側に出る.

▲上流側から見る紀ノ川橋梁.手前が大正11年開通の下り線,奥が明治36年開通の上り線.

この位置から観察することで,上下線で橋脚の形状が異なることに気が付いた.明治36年の上り線は側面が尖頭型の煉瓦積み (+隅石) であるのに対し,大正11年の下り線の側面はR加工された切石積となっているのだ.どちらも主構は煉瓦積みだが,こんなところにも世代の違いが現れている.

▲手前が下り線,奥が上り線.橋脚の側面が異なる.

線路に沿って北 (大阪側) に進む.運動公園や農道として整備されており,歩くことに支障はない.しかしその弊害と言うべきか,川から離れるにつれて橋脚に落書きが多くなった.落書きがあること自体は南海電車の車窓からも見て知っていたのだが,やはり残念な気持ちになる.恥ずべき破壊行為.

 

高水敷部分の橋脚はやや改修の手が入っていた.その多くは部分的な補修で,橋脚上部が鋼板で覆われていたり,煉瓦積みの上からモルタルが塗られていたりした.また,下り線の橋脚のいくつかは,上から下までコンクリートで改築されていた.それでも大部分は明治・大正期の煉瓦積みをそのまま留めていた.

▲上部が改修された橋脚.左: 上り線,右: 下り線.

モルタルで補修された上り線の橋脚.

▲全面的にコンクリートで改築された下り線の橋脚.

さらに歩く.大阪側の橋台付近は張りブロック護岸が整備されており,橋の高さまで登れるようになっていた.ただし橋台自体は上り線・下り線とも金網で囲われている.まァ落書きされるよりはよっぽど良い.橋台はイギリス積みの煉瓦造りで,原型をよく留めている.

▲上り線の大阪側橋台.

▲下り線の大阪側橋台.

▲上下線の間に立って和歌山方を望む.左が下り線,右が上り線.

▲望遠で撮影した橋脚の沓部分.上が上り線,下が下り線.

▲下り線側からの景.

北側はここまで.続いて別日に訪ねた南側をレポートする.

紀ノ川橋梁 南詰 (2021. 9. 5. / 2022. 5. 18.)

南側は2021年9月5日の朝に訪ねた.今回が初めての訪問であったため,敢えて南海電車和歌山市に入った.駅前のカーシェアステーションで車を借りて河川敷へ向かう.車が必要なほどの距離ではないが,暑い時期であり,歩いて行く気にはなれなかった.北岸と同じく南岸の高水敷にも運動公園があるので,今回もその駐車場を使わせていただいた.

 

なお,一部の写真 (というか半数以上) は北側と同じ2022年5月18日に再訪して撮り直している.植物の茂り具合や空模様が急に変化しているのはそのためだ.

 

まずは上り線を見る.

▲紀ノ川橋梁 上り線,明治36年 (1903年) 開通,近代土木遺産Aランク 2.3連の曲弦トラスと多連の鈑桁 (プレートガーダー) が一直線に対岸へ渡る.

▲違う角度から見る紀ノ川橋梁上り線.120年前のトラス桁を,同じく120年前の立派な煉瓦橋脚が支える.

低水路に架かる3連のトラスはピン結合の曲弦プラット型.「歴史的鋼橋集覧」3 によると,明治33年 (1900年) 架設の紀和鉄道 (現・JR和歌山線) 紀ノ川橋梁の200ftトラス桁 *1 と同型で,米国アメリカンブリッジ社が製作したものが輸入された.

▲上り線のピントラス.斜材が細いのがいかにもアメリカ式.

下部工はこれまでと同様煉瓦橋脚だが,トラスを支えるために幅が広くなっており,また基部には煉瓦アーチ4層巻きの開口部が設けられている.

▲上り線橋脚の開口部.

続いて下り線側を見る.上り線と同じくトラスが3本連なるが,仕様には差異が目立つ.

▲紀ノ川橋梁 下り線,大正11年 (1936年) 竣工.

下り線のトラスは曲弦ワーレン型.すべてリベット結合である.「歴史的鋼橋集覧」3 によると,鉄道院が大正5年 (1916年) に設計したトラス桁 (B27) と同型のもの.

▲下り線の曲弦ワーレントラス.鉄道院設計のトラス桁と同型.

上下線を見比べてみると,トラス桁は下り線の方が幅が細く背が高い.下り線の開通時,既に上り線が電化されていたため,当初から架線を引くことや電車 (機関車ではなく) が通ることを考慮したためと思われる.

▲橋上からの比較 (堤防上の踏切から撮影).左が明治36年開通の上り線,右が大正11年開通の下り線.

▲水際からの比較.橋脚はどちらも煉瓦造りだが,開口部は上り線 (左) のみに設けられている.

トラスの南には,上り線・下り線ともに単線の鈑桁3連が連なる.仕様はそれぞれ北側と同様とみられる.

▲紀ノ川橋梁南詰.左が下り線,右が上り線.

▲上り線の和歌山側から数えて2番目の橋脚はコンクリートで改築されていた.

橋台は大阪側と同じく煉瓦造りで,原型をよく留めていた.

▲上り線の和歌山側橋台.桁座の切石もそのまま残る.

▲下り線の和歌山側橋台.桁座はコンクリート製となっている.

最後に南詰からの全景.

▲紀ノ川橋梁.奥が上り線,明治36年 (1903年) 開通.手前が下り線,大正11年 (1922年) 開通.土木学会選奨土木遺産 5

なお交通とは関係のない話だが,いま私のいる紀ノ川南岸には数匹の猫がくつろいでいて癒された.2022年5月の再訪時も同様であった.

▲白黒猫.

▲逃げられた.

▲虎猫.この子は近寄っても逃げず,撫でると喉をゴロゴロと鳴らした.

宇治拱渠 (2021. 11. 28.)

紀ノ川を越えた南海本線は,和歌山市駅に向かって,緩やかな勾配の築堤で高度を下げてゆく.その途中,道路を跨ぐ架道橋が2本現存する.うち大阪寄りの1本が明治大正期らしい煉瓦アーチ渠であり,これをレポートする *2.名称は「和歌山県の近代化遺産」4 によると宇治拱渠.宇治は当地の字である.

 

本橋の場所は [34.2415854921649, 135.1726676344401].

 

2021年11月28日,和歌山市駅から徒歩で訪ねた.北島橋に通じる旧国道の宇治高架橋を潜り,南海本線の北に沿って東に歩く.ほどなく,線路は前述の紀ノ川橋梁に向かう築堤に入り,徐々に高度を上げてゆく.一方の道路や集落は (当たり前のことだが) そのまま地上を進む.いかにも架道橋がありそうな場所である.

和歌山市駅から紀ノ川橋梁に向けて高度を上げる南海本線.宇治拱渠はこの盛土の下にある.

歩いてゆくと突然,線路と反対の左側に,背の高い煉瓦の壁が現れた.「紀ノ川倉庫」と書いてある.どうやらかつての和歌山紡績紀ノ川工場の跡だそうだ.そういえば和歌山は綿ネルの名産地だった.

▲煉瓦造りの和歌山紡績紀ノ川工場跡.

なかなか見事な煉瓦積みだが,じっくりと観察することはやりかねた.紡績工場跡地のうち,倉庫に転用された部分以外は競輪場になっているのだが,その関係で,路上の随所にガードマンが立ち,歩哨よろしく目を光らせていたからだ.今日は別にやましいことはしていないが,長居して怪しまれるのも好ましくない.サッと写真を撮り,先へ進んだ.

 

写真は載せないが,煉瓦塀が途切れる直前で落書きがあった.愚かにも程がある.ガードマンの目の届く範囲だとは思うが,夜間などは手薄になるのかもしれない.そしてその付近で右に分かれる道がある.右は線路なので,当然架道橋がある.ここは本題の宇治拱渠ではない桁橋 (「和歌山県の近代化遺産」4 によると名称は「宇治架道橋」) だが,煉瓦造りの橋台を有している.しかし,あまりにも無惨な状態であった.何が無惨って,直視しがたいほどの落書きが,立派な煉瓦橋台を埋め尽くしていたのだ.酷いことをするものだ.とてもカメラを向ける気にはなれなかった.

 

そのまま進むと集落に入り,道が直角に曲がって線路側を向いた.その先に,

立派な煉瓦アーチが口を開けている.

 

接近する.

▲宇治拱渠.明治36年開通当初のものと思われる煉瓦アーチである.

アーチ環の巻厚は3層.装飾は笠石部分が縦積みの煉瓦となっている程度の非常にシンプルな造りだが,それでも煉瓦の色は鮮やかだ.

▲近景.

例によってここにも競輪場のガードマンがいるので,ササッと中に入る.当然のことながら,内部もすべて煉瓦アーチで美しい.途中,端から端まで一周する「線」が入っているのが目立つが,これが大正11年 (1922年) の複線化に際して拡幅 (延長) した痕跡と思われる.また面白いことに,スプリングラインより下 (隧道で言うところの側壁) がわずかに内側に迫り出している.意図は不明だが,ケーブルか何かを取り付けるつもりだったのだろうか.

▲西側から見る内部の景.手前に写る切れ目が複線化時の拡幅の痕跡と思われる.

▲西側を振り返って.小規模ながらここにも落書きがあって大変嘆かわしい.

▲正面 (東側) を望む.

東側に通り抜ける.ここにもガードマンが立っていた.写真を撮りながらのそのそ出てきた私はじろりと睨まれたが,特に誰何の声は掛からなかった.とはいえ長居する気にはなれず,さっさとポータルを確認し,ガードマンに会釈して立ち去った.今回は常に見張られながらの探訪となった.立地上仕方のないことだが,やはり落ち着かない.

 

東側ポータルの意匠は西側と同様で,巻き厚3層のアーチ環に壁面イギリス積み,煉瓦縦積みの笠石を備えている.ただし大きく異なるのは高さで,アーチ環と笠石の間は西側が煉瓦9個分であったのに対し,東側はその倍の煉瓦18個分となっている.要は盛土の高さが異なる (横断勾配が生じている) わけだが,これはいわゆるカントで,真上の線路がカーブの途中であるために,カーブの外 (ここでは東側) の路面を高くすることで,列車が安定して通過できるようにしてあるのだ.

▲宇治拱渠,東側ポータル.西側と比べて背の高さが際立つ.

おまけ: 和歌山市駅前の花壇 (2021. 9. 5.)

宇治拱渠から築堤を下ると,ほどなく和歌山側のターミナルである和歌山市駅となる.駅自体は再開発が進んでいるが,駅前広場の花壇に,紀ノ川橋梁の煉瓦が再利用されている.前述のように,紀ノ川橋梁の橋脚のいくつかはコンクリートで置き換えられているので,そのどれかに由来するものであろう.

▲紀ノ川橋梁の煉瓦を再利用した和歌山市駅前の花壇.

▲解説.

参考文献

  1. 成瀬輝男・編 (1994) "鉄の橋百選―近代日本のランドマーク" pp. 58-59,東京堂出版,2022年5月24日閲覧.
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 190-191,土木学会.
  3. 土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会・編 (2002) "歴史的鋼橋集覧" T1-006 / T5-045,2022年5月24日閲覧.
  4. 和歌山県教育庁・編 (2007) "和歌山県の近代化遺産:和歌山県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書" p. 71,和歌山県教育庁
  5. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2022) "南海本線紀ノ川橋梁 | 土木学会 選奨土木遺産" 2022年9月15日閲覧.

*1:別記事でレポートするように昭和期に架換えられている.

*2:ちなみに和歌山側のもう1本は桁橋.こちらも橋台は煉瓦なのだが,後述のように酷い状態で,写真に収める気になれなかった.