第3次探索に引き続き,JR京都線に残る明治期の煉瓦アーチを探索した.
目次
老ヶ辻橋梁
第3次探索ではJR京都線の煉瓦アーチを多数巡ったが,径間数 (アーチの数) は1つか2つ程度だった.一方,京都寄りの長岡京駅周辺には,多径間の煉瓦アーチが残っている.今回はそれらを探索した.
最初に探索した本橋は,長岡京駅から南 (大阪側) に700mほどの地点,小畑川支流を跨ぐところに架かっている.駅から線路沿いにしばらく歩いてゆくと,川の堤防にぶつかるところで,
このように階段が設えてある.ここを越えると,
美しい煉瓦アーチを見下ろすことができる.
改めて,正対.
老ヶ辻橋梁,明治9年 (1876年) 竣工,近代土木遺産Bランク 1,土木学会選奨土木遺産 2.
三連のうち,まずは向かって右側 (北側) の径間から.土砂で水がせき止められているので,容易に接近できた.
欠円アーチ+石側壁という構成.
内部.
煉瓦は長手積みとなっている.奥は浸水しているが,第3次探索で訪れた各橋と同じく,複々線化に伴ってボックスカルバートで延長されている.
浸水地点の手前で振り返って.
これがこの日のベストショットとなった.
中央の径間は川が流れており進入しにくいので,向かって左側 (南側) の径間へ.
イギリス積みの翼壁も含めてよく保存されている.
内部.
こちらは手前側の煉瓦の白化が進んでいる.
振り返って.
良い景色.
最後に,電車とともに.
七反田橋梁
次に探索した本橋は,老ヶ辻橋梁から長岡京駅を挟んだ北側にある.道路・歩道が橋の下を通っているので,こちらも容易に訪問できる.まずは全景から.
七反田橋梁,明治9年 (1876年) 竣工,近代土木遺産Aランク 1,土木学会選奨土木遺産 2.倉庫で隠れた一番右も含めて,六連もの多径間アーチである.この径間数は現存する煉瓦拱渠の中では最多とのことだ 3.
向かって一番左 (南) の径間.
歩道と用水路が通っている.壁面はイギリス積み煉瓦のようだ.
内部.
長手積み煉瓦の欠円アーチに石の側壁.前節でレポートした老ヶ辻橋梁や第3次探索で訪れた藪ヶ花橋梁と同様の構造だが,いずれも大きな幅員・高さを有していた.煉瓦アーチで大口径を実現するための標準的な技法だったのだろう.直観的にも理にかなっているように思う.
西側.
その右の2径間は,現在府道が通っている.
ただ,「京都府の近代化遺産」4 によると,ここは当初は小畑川だったようだ.川の付け替え後,道路に転用するにあたって路面が切り下げられたらしく,石側壁の下にコンクリートの土台が確認できる.
南から4番目・5番目の径間の下は空き地,6番目 (一番北) の径間の下は用水路となっていた.道路管理者の私有地のようだが,無人だったので少しだけ失礼させていただいた.
南から4番目の径間.
今は特に何も跨いでいないようだが,それでも物置きにされたり埋められたりすることなく,オリジナルの状態を保っているのがありがたい.
続いて南から5番目の径間.東側.
西側.
アーチの前に倉庫のようなものがあり,ちょうど外からの視線を遮ってくれていた.内部には投棄物も落書きもなく,いつまででもここに居たいと思えるほど落ち着く空間だった.
そして,一番北の径間.
用水路が通っている.微妙に幅が広いが両脇に歩くスペースがあり,奥には小さな橋まで架けられていた.誰が置いたのか知らないが,ありがたく利用させていただいた.
西側から振り返って.
良い景色.
そこから右を向くと,
コンクリート延長部分もそれなりに古びており,表面の剥離などが随所に見受けられた.
最後に,北側からの全景.
七反田橋梁,明治9年 (1876年) 竣工,近代土木遺産Aランク 1,土木学会選奨土木遺産 2.竣工から145年を経た今もなお,六連すべてが現役で活躍している.国内最古級の鉄道構造物にして,その施工技術の高さが窺い知れる.
この日も例によって研究室に向かう途中の寄り道だったので,これにて探索を終了し,駅に戻って大学に向かった.
参考文献
- 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 180-181,土木学会.
- 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2017) "大阪京都間鉄道煉瓦拱渠群 | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年8月2日閲覧.
- 小野田滋 (2000) "阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴" 土木史研究,2000年第20巻,pp. 269-278,土木学会,2021年8月2日閲覧.
- 京都府教育庁指導部文化財保護課・編 (2000) "京都府の近代化遺産:京都府近代化遺産(建造物等)総合調査報告書" p. 64,京都府教育委員会.