交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

尾道鉄道 4号トンネル (2022. 8. 28.)

広島県尾道市尾道鉄道の廃線跡に残る装飾に凝った隧道.

 

備後地方・瀬戸内海に面した尾道から北上し 御調 ( みつぎ ) までを結んでいた私鉄・尾道鉄道は,大正14年 (1925) に開通した 1御調町内唯一の鉄道であったが,業績悪化によって昭和39年 (1964) に全線が廃止された 2

写真は「目で見る尾道・三原・因島の100年」3より.

 

さて,そんな尾道鉄道はいくつかの隧道を有していた.その多くは道路転用にあたってコンクリートで改築されるなど,原型を留めてはいないが,1本だけ当時の姿のまま道路 (農道?) に転用された隧道が現存する.4号トンネルである.

場所: [34.47227975319214, 133.15747629139133] (世界測地系)

 

地理院地図の方に描かれているように,廃線跡を転用した道路は隧道の西側を切通しで抜けることを選んだ.おかげで隧道には手が加わらず,そのまま保存されたというわけだ.

 

盛夏の2022年8月28日,現地を訪ねた.この日もカーシェアの車を利用していたが,隧道の南側の道路脇に空き地があったので駐車させていただいた.

 

まずは隧道手前の解説板.

 

そのまま歩いて接近.

尾道鉄道4号トンネル,大正4年 (1915) 頃竣工.当時はまだまだ主流であった煉瓦隧道である.

 

普通の煉瓦隧道と思ってはいけない.実は坑門に,色々な特徴がある.

まず胸壁.一般的な隧道坑門には,長手だけの段と小口だけの段を交互に重ねるイギリス積みが用いられるが,本隧道では水平方向に長手と小口を交互に並べるフランス積みが用いられている.フランス積み坑門を有する鉄道トンネルは珍しい.

 

一般論として,イギリス積みは強度に優れ,フランス積みは美観に優れる (強度もそれなりに高い) とされている.鉄道のトンネルは道路のそれと違って,利用する者 (=乗客) から注目を受けるとは言い難い構造物であるが,そんなものにもこうした美観的こだわりを見せるのは,鉄道開通に向けた強い思いが反映されているのだろうか.

 

次に頂部.縦積み煉瓦による笠石とともに,T型の装飾が連なっている.何をモチーフとしたのかはわからないが,ここも鉄道トンネルには稀有な気合の入りようである.

 

アーチ環の巻厚は4層.拱頂部に白御影の美しい要石を配する.

 

側壁は石積み.赤い煉瓦との対比が美しい.

 

ケーブルか何かを取り付けていたと思しき金具.碍子も残っている.

 

さて,内部へ.

美しい煉瓦アーチと石積み側壁が続く.素晴らしい!

 

一方,坑口付近にはアーチ環を一周するクラック.良くない兆候だ.

 

特に照明等は設置されていないが,これは鉄道時代からであろう.線路は撤去され,路面は舗装されているとはいえ,土木遺産としては最良に近い保存方法ではなかろうか.よくあるレトロ調の照明を設置するよりよっぽど良い.

 

なお,封鎖されてはいないし立入禁止とも書かれていないが,利用者は滅多にいないのであろう.天井や側壁には廃隧道の常連であるカマドウマとコウモリが当たり前のようにひっついていた.

 

洞内は緩やかにカーブを描いている.今でこそカーブしたトンネルはどこにでもあるが,この時代のトンネルは技術的な難しさから,直線形のものが大半であった.それでもカーブが用いられたのは,線形の制約が道路より厳しい鉄道だからこそだ.それにしても,(本隧道に限った話ではないが) 曲がった壁面上にもかかわらず,うまく煉瓦を敷き詰めるものだと思う.

 

さて,洞内で驚いたのは,鉄道トンネルのはずなのに退避坑がないことだ.塞がれているという可能性もないことはないが,側壁の緻密な石垣に切れ目は見当たらないから,最初からなかったのだと思う.そんな杜撰なことをしているから脱線事故を起こすのではないか,などと言いたくなってしまう.

 

尾道側を振り返っての景.

 

先に進む.

北口が見えてきた.

 

脱出.

4号トンネル北口.意匠は南口と同様である.

 

先を望む.夏草が繁茂しているが,廃線跡の道は一応続いている.辿ってみよう.

 

まず,夏草地帯の手前に,わかりにくいが短い橋で水路を跨いでいる.

農道用としては何の変哲もない,コンクリートの床版橋である.廃止後に架けられたものとみて間違いないだろう.

 

しかし橋台を見てみるとなんと石積みである.鉄道時代のものに違いない.これは嬉しい!

 

その先は鉄道らしい緩やかなカーブの道が続く.しかしこの草の状況から察するに,ほとんど利用されてはいないのだろう.

 

真新しい擁壁と共に急に道が良くなり…

 

現国道にぶつかって廃線跡は終了.写真左,草むらの向こう側の道から出てきた.

 

同じ道を引き返し,車まで戻った.

帰りに撮った,御調側から見た洞内.煉瓦の白化は進んでいるが,あからさまな補修痕などは一切なく,よく旧状が保存されている.

 

ひっきりなしに車が行き交う国道の脇で,ほとんど現役時代のままの姿でひっそりたたずみ,しかも普通に通行可能な素晴らしい土木遺産.ポータルの装飾性も非常に特徴的だった.

 

なお,本文中でも述べたように特に照明等は設置されていないので,見学には懐中電灯等を持参した方がベターである.

参考文献

  1. 青木茂・編著 (1975) "尾道市史・新修"  第4巻,pp. 137-138,尾道市役所.
  2. 猪狩政四郎 (1983) "尾道市交通部五十年史" p. 6,尾道市交通部.
  3. 寺岡昭治ほか・編 (1997) "目で見る尾道・三原・因島の100年" p. 125,郷土出版社.