交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 東北本線 根廻トンネル (2023. 5. 5.)

宮城県松島町.道路用として現役で利用される,130年前の鉄道トンネル.

 

東京と東北地方を結ぶ大動脈・JR東北本線は,わが国における鉄道黎明期であった明治期,日本鉄道会社の手で開通した.当時はもちろん非電化・単線の線路であったが,時代が進むにつれて複線化・線路付け替えといった改良が進められ,同時に利用されなくなった鉄道施設が続々と生じた.

 

根廻トンネル *1 は,明治23年 (1890) に開業した岩切駅 (仙台市)・一ノ関駅間の工区に造られた.仙台から北上した東北本線が,品井沼という松島町の広大な干拓地に入るために山を潜る隧道である.昭和37年 (1962) に鉄道用としては廃止されたが,以降は松島町道として整備され,引き続き交通を支えている.

場所: [38.416090, 141.074446] (世界測地系).

 

上の地図を見ると,隧道を含む町道は現在の東北本線とほとんど並行しており,町道を通っていた旧線に代わって造られたのが現在線だ,と早合点しそうになる.それは間違いではないのだが,実際はもう少し複雑な経緯がある.重要なことは,現在線と旧線 (町道敷) が別の線路として,同時に利用されていた時期があったということだ.

 

明治23年 (1890) 4月に開業した東北本線・仙台~一ノ関間は,岩切駅から利府を通り,内陸経由で品井沼に向かっていた.図の青色の経路で,通称「山線」である.

 

昭和19年 (1944) 11月,勾配を緩和した別線が建設された.図の赤色,通称「海線」である.戦争たけなわなこの時期,貨物輸送を船舶から鉄道に移すべく,長大貨物列車の運行に支障のない別線を新設することが各地で行われていた.

 

山線と海線は愛宕駅 (当時は未開業) でぴったり寄り添うほど近接するが,ここでは合流せず,品井沼駅まで並走していた.根廻トンネルも,明治23年のものと昭和19年のものが少し離れて並び,両方が別の線路として利用されていたのだ.それが戦後,旅客輸送も海線経由が主体となり,海線の複線化が完了した昭和37年 (1962) を以て山線は廃止された (岩切・利府間のみ存続).その廃線敷のうち,隧道を含む愛宕から品井沼までが町道に転用されたのだ.

 

2023年5月5日午後,現地を訪ねた.仙台市街のカーシェアステーションで車を借り,仙台東部道路三陸道 (仙台松島道路) と走って松島北ICで国道346号へ.ほどなくして脇道に入ると,すぐに急カーブで「山線」跡に取り付いた.

このカーブが緩やかな道はいかにも線路敷である.左には現在線,つまり「海線」の架線柱が見えている.

 

線路と並行して走り始めて800mほどのところに,元禄潜穴の観光客向けの駐車場がある.そこに車を停めさせてもらい,徒歩に切り替えた.

鉄道らしい緩やかな勾配で登ってゆく.道の周りはわずかに (しかし立派な) 住宅が建つばかりで,あとは田畑が広がっている.

 

クマ…出るのか…

 

見えてきた!

 

(旧) 東北本線 根廻トンネル,明治23年 (1890) 竣工,昭和37年 (1962) 道路化,近代土木遺産Cランク.

 

総煉瓦造り,堂々たる冠木門タイプの坑門.鉄道用の隧道の多くは馬蹄形だが,本隧道の側壁は垂直型となっている.初期の日本鉄道会社による隧道にみられる特徴である.馬蹄形のスタイルが確立される前の黎明期らしさと言えるだろう.

 

アーチ環は4層巻き.

 

両脇には立派なピラスター.装飾性だけでなく,ちゃんと地圧に抵抗するよう末広がりのような形になっているのが安心を与える.

 

煉瓦積みの帯石,縦積みを効果的に用いた笠石と,装飾にも抜かりはない.

 

ところどころシートを貼って補修されている.玉ねぎの皮みたいな色なのは景観を損ねないための配慮であろう.まったく違和感がないとは言い難いが,愛が感じられる.

 

何度見ても美しい.

 

本隧道の素晴らしさは坑門だけではない.

なんと,内部の煉瓦積みもほぼ完全な姿で残されているのだ.いまどき現役の煉瓦隧道で,内部が改築されていないものは大変貴重である.

 

仙台側の振返り.

 

精緻な組積がまことに美しい.アーチは長手積み,側壁はイギリス積み.

 

上の写真奥にも見えているが,本隧道の内部には非常に特徴的な造りがある.

おわかりいただけるだろうか.突如煉瓦アーチが1枚分薄くなるのだ.つまり,坑口付近と中間部とで巻き厚が異なっている.

 

振返り.綺麗に1層分だけ薄くなっている.崩れやすい坑口付近は4層を採用し,安定している中間部は3層で十分と判断したということであろう.国内における隧道のスタンダードが確立されていない中,実験的な試みだったのかもしれない.いずれにしても,巻立ての補修もなく1世紀以上働き続けていることは注目に値する.

 

 

退避坑が1ヶ所ある.ここも往時の姿を完全に残している.

 

退避坑は煉瓦造り,2層巻きの欠円アーチ型.塞がれてもおらず,実際に入ってみたりもした.

 

北口に近付いてきた.ここで再び巻厚が4層に戻る.仙台側と同じ構造だ.

 

ここに来て落書きがあった (右側壁面).こういうことのできる神経がわからん.

 

反対側の側壁には,目地に沿った亀裂.ここは早晩補修の手が入るかもしれない.

 

抜けて,一ノ関側からの振返り.こちらも立派な煉瓦坑門がよく保存されている.

 

 

北向きで日当たりが悪いせいか,北側は隧道周辺の藪が比較的穏やかだった.おかげで意外と横に広い坑門をよく観察できた.

そうして初めて気付いたのだが,坑口脇のピラスターより外側,坑門の端部にもピラスターが設えてある.つまり左右合計4本の柱が並ぶ重厚な意匠なのだ.おそらく仙台側もそうだったのであろう.

 

道路敷より外側には,藪に埋もれるように縦の水路が見える.どうも掘ったままの縦溝のようだ.煉瓦や石,コンクリートで固められてもいない.これで保っているのはすごいような.

 

先を望む.

南口 (仙台側) では現在線 (「海線」) との間に深い藪地が横たわっていたが,こちらではすぐ脇の少し低い位置に現在線が通っている.

 

振り返って現在線のトンネル.コンクリート製の簡素なものである.複線幅のトンネルであるが,これが単線として開業した昭和19年 (1944) 当時のままなのか,それとも昭和37年 (1962) の複線化にあたって改築された結果なのかはわからない.

 

「山線」跡の町道は,700mほど先の踏切で現在線と交差し,その先は現在線の西側を進むようになる.しかし今昔マップを見てみると,現役時代はこのような交差はなく,踏切地点から先は現在線が「山線」,道路に相当する部分が「海線」であった.この部分は後ほど車で走ったが,写真は撮っていない.

 

引き返す.何度見ても美しい.

 

南口に戻ってきた.

 

標準技法の確立されていない時期らしい特徴的な造りを有するだけでなく,それが開通133年を経て非常に良好に (愛を持って) 保存されている,しかも一般道だから気軽に尋ねることができるという素晴らしい土木遺産だった.

 

名残惜しい気持ちで車に戻り,今度は車で隧道を通過した.長さ170m足らずの隧道はあっという間に過ぎ,美しさを感じ入る間もなかった.やはりここは徒歩で鑑賞すべきだ.

 

ただ,本隧道の交通量は意外と多く,隧道内を歩いているとやたら至近距離を猛スピードで通過していく車もあって肝を冷やした.乗用車同士ならともかく,人と車であれば余裕ですれ違える幅員なのだが.ライトを点けている私に気付かなかったのか,よほど車両感覚がないのか,いずれにしても本隧道を徒歩で通行するには注意が必要だろう.過去何度か使ってきた反射ベストを持参すべきだったかもしれない.

参考文献

  1. 草町義和 (2015) "東北本線の支線「利府線」に乗ってみた 幹線からローカル線、そして仙台の通勤路線に | 乗りものニュース" 2023年5月13日閲覧.
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 42-43,土木学会.
  3. 松島町誌編纂委員会・編 (1973) "松島町誌" 第2版,p. 244,松島町.

*1:時代を考えると「根廻隧道」と呼びたくなるが,土木学会の「日本の近代土木遺産」に倣い,鉄道トンネルは「〇〇トンネル」と表記する.