交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 北陸本線の小刀根トンネルと柳ヶ瀬トンネル (2021. 7. 17.)

明治初期に敷設された北陸本線 (柳ヶ瀬線).日本の近代化を牽引し,廃線後も大切に保存される鉄道遺産を訪ねた.

目次

はじめに

琵琶湖東岸から日本海沿いに北上する北陸本線の歴史は古い.特に東海道線と接続する滋賀県長浜市と,外国への玄関口である福井県敦賀港の間は,日本最初の鉄道である東京・横浜間と同じく明治2年 (1879年) には計画されていた.その後測量とルート選定を経て,明治13年 (1880年) に着工,明治17年 (1884年) に全線開業した.険しい山脈に囲まれた難所ゆえ,鉄道黎明期にも関わらずいくつもの隧道 (トンネル) が穿たれた.特に県境に位置する柳ヶ瀬トンネルは,1352mに及ぶ当時日本最長のトンネルで,完成には4年の歳月を要したという.工事が長引いた結果,柳ヶ瀬トンネル以外の区間明治15年 (1882年) に先んじて開業し,全線開通までの約2年間はトンネル区間は山越えの徒歩連絡となっていた 1

 

そんな北陸本線木ノ本 (木之本町) 〜柳ヶ瀬〜敦賀区間は,昭和32年 (1957年) に勾配を緩和した新線への付け替えによって一線を退き,支線「柳ヶ瀬線」として利用されたのち昭和39年 (1964年) に廃止された 2

 

廃線跡の一部は,隧道も含めて道路として活用されている.特に小刀根トンネルは当時の姿を留めたまま保存され 3,また最大の難所であった柳ヶ瀬トンネルは県道のトンネルとして活用されている 2

 

明治期の建設から約140年.現在も当時の姿を留める (旧) 北陸本線の鉄道遺産を探索した.

小刀根トンネル

賤ヶ嶽隧道の探索を終えた私は国道8号を北上し,新深坂越で福井県敦賀市に入った.ここから (旧) 北陸本線を辿り,小刀根トンネルを探索してから柳ヶ瀬トンネルで滋賀県に戻ってくるという算段だ.

 

敦賀市麻生口で右に折れ,廃線跡を踏襲する県道140号に入る.1.5kmほど進んだところが小刀根トンネルで,案内看板も立っているのでわかりやすい.車のままでも進入できそうではあったが自重して,看板前の路肩に車を停めた.

奥に見える怪しい暗がりが目指す隧道だ.しかしその前に,見るべきものがある.

 

上の写真右手でガードレールが並行している部分は川に架かる橋である.高欄も親柱もないが,ここが廃線跡であることを忘れてはならない.隧道の延長線上に架かるということは,鉄道由来の橋の可能性が高い.

 

というわけで,横から眺めてみよう.

残念ながら日差しと立ち位置の問題でこれ以上の写真は撮れなかったが,切石積みの橋台に深緑のプレートガーダーが載っている.川幅を考えると自動車用としてはオーバースペックで,開業当初のものかはわからないが,鉄道時代の橋が再利用されていると思われる.

 

さて,隧道と対面しよう.

小刀根トンネル,明治14年 (1881年) 竣工,近代土木遺産Aランク 4土木学会選奨土木遺産 5敦賀市指定文化財 3.煉瓦アーチに石積みのピラスター,帯石,笠石を備えた冠木門タイプの坑門だ.

 

アーチを見上げて.

煉瓦は4層巻き.扁額はないが,要石に刻まれた「明治十四年」の文字が誇らしい.

 

近景.

この重厚感がたまらない.

 

向かって左側には市教育委員会による解説板.

文中にある逢坂山トンネルについては,内部に地震計が設置されていたり,名神高速道路の建設時に片側はほとんど埋められていたりするという.とはいえもう片側のポータルは保存されているそうだから,いずれ訪問したい.

 

さて,入洞しよう.

竣工から140年を経てなお,一片の欠けもない美しい姿を留めている.蒸気機関車の排煙で真っ黒になった煉瓦も良い.手ブレが酷くて恐縮だが,側壁部分はイギリス積み,アーチ部分は長手積みという典型的な組積に見える.

 

なお,洞内は未舗装でぬかるんでいた.長靴があればベストであろう.私は防水のスニーカーで突入した.

 

左側の側壁には,

選奨土木遺産のプレートが埋め込まれていた.

 

坑口からしばらく総煉瓦造りの部分が続いた後は,

側壁が野趣溢れる石垣に変化する.地質を考慮した結果に違いないが,その工夫の結果,140年の歳月を経て崩落ひとつない隧道が実現されている.当時の技術力の高さを示すものと言えるだろう.

 

振り返ると,

嗚呼,美しい.

 

少し進むと,

鉄道トンネルには必須の待避坑.2層巻きの煉瓦アーチが用いられており,明治14年当時から設けられていたものと思われる.

 

先へ進む.全長60mにも満たない短い隧道だから,すぐに出口が見えてくる.

この馬蹄形アーチはいかにも鉄道らしい.

 

東口に出て振り返る.

こちらも冠木門タイプだが,西口と違ってアーチの下部は石積みとなっている.西口と比べて地質が軟弱だったということだろうか.

 

アーチを見上げて.

文字は刻まれていないが,横にも縦にも大きな要石は立派なもの.

 

東側には軽トラなど数台が停まっており,何やら作業中のようだった.そのためこれ以上廃線跡を追うことはせず,引き返した.

最初に入洞した西口が見えてきた.やはりこの構図は隧道における鉄板だ.

 

西口に抜けて,最後に一瞥.

よくぞこれほど旧状を留めて保存したものだ.いつまででも鑑賞していたくなるが,そろそろ次に向かわかなければならない.「お元気で」と呟いて,車に戻った.

幕間 敦賀市刀根のプレートガーダー橋

東へ進む.柳ヶ瀬トンネルの手前までの廃線跡は大部分が北陸自動車道に転用されており,今私の走っている県道に遺構はないはずだ.そう思いながら車を走らせていると,700mほど先で,右手の川に架かる橋が気になった.

木々に隠れてはいるが,その向こうの赤錆びたプレートガーダーを私は見逃さなかった.もしやこれは北陸本線の遺構ではないか.そう思い,少し先の路肩に車を停めて歩いて戻ってきた.

 

なお,この橋は執筆時点の地理院地図には描かれていない.

小刀根トンネル東口から出た道は北陸道と平行した後に終わっている.しかし (当然だが) 左の航空写真には写っている.

 

改めて,正対.

親柱はなく,欄干もガードレールである.橋の愛好家でもスルーしてしまう橋だと思う.

 

渡って南東側から.

プレートガーダーに極々薄い床版を重ねているだけの,まるで工事用の仮橋のようなシンプルさである.桁にびっしりと打たれたリベットからは古色が感じられて好ましい.一方コンクリート製の橋台や橋脚は,決して新しいものではないと思うが,橋桁ほどの古さは感じられない.少なくともコンクリートという時点で,北陸本線が開業した明治期のものでないことは明らかだ.

 

現地で得られた情報はこれだけだったが,私はやはりこの橋は,鉄道橋を再利用している可能性が高いと思っている.道路橋としてはややオーバースペックであるとともに,親柱も高欄もなく,橋桁側面に取って付けたようにガードレールが設置されている (しかもボルトで,明らかに後付け) ことは,道路橋としては不自然である.使われなくなった鉄道用のプレートガーダーを再利用し,そこに薄い床版を載せてガードレールを取り付けたのではないだろうか.コンクリート製の橋台や橋脚はその際に造られたものであろう.

 

この推理が正しいとして,本橋 (の橋桁) は元々別の場所にあったものと考えている.以下の左は最新の地図,右は昭和43年 (1968年) の航空写真で,十字の位置は小刀根トンネルである.

右の写真には廃線後とはいえ線路敷がはっきりと写っている.そして左の現在の地図と見比べると,その用地は北陸自動車道と重なっている.十字の東が本橋の位置だが,線路敷 (および北陸道) は対岸に渡ったりはしていない.地図をさらに右 (東) にスクロールしてもらえればわかるが,次に県道と廃線跡が合流するのは柳ヶ瀬トンネルの直前である.付近にあった刀根駅も,現在の北陸道のサービスエリアの敷地内にあったとされており 1,そもそも本橋の位置に線路は通っていなかったことは間違いないだろう.

 

なお,本橋の位置には,昭和50年 (1975年) の時点で橋が架かっている.

もちろん現在の橋と同じものであると断定はできないが,可能性は十分高いだろう.そしてその当時,北陸道の建設が進んでいることも見て取れる.もしかすると北陸道の工事用道路として,使われなくなった鉄道橋が活用されたのかもしれない.大型車も多数通行する工事用道路だが,蒸気機関車ディーゼルカーを通してきた鉄道橋であれば荷重の心配は無用である.

 

なお,橋の向こうは探索日も北陸道に関する何らかの工事現場になっていた.土曜日だからか無人ではあったが,どのみち廃線跡でもないので,探索は自重した.

柳ヶ瀬トンネル

県道を2kmほど進んだところが柳ヶ瀬トンネルの敦賀側坑口となる.現在は信号による交互通行となっている本隧道だが,その停止線より手前の左側の路肩に車を停めた.

 

まずは遠景.

坑口手前には高さ制限バーと信号機に道路標識と,まるで鉄道トンネルの雰囲気はない.しかしその奥には立派な坑門が見えている.

 

こちら側の信号が赤の間に,向こうからの車の隙間を縫って接近する.

柳ヶ瀬トンネル (柳ヶ瀬隧道),明治17年 (1884年) 竣工,近代土木遺産Aランク 4土木学会選奨土木遺産 6.4層巻き煉瓦アーチに切石積みのピラスター,帯石,笠石を備えた典型的な冠木門タイプの坑門工.扁額が趣のないものに交換されているのは至極残念だが,それ以外は当初の姿をよく留めている.

 

坑口手前の右側には,

柳瀬洞道碑.漢文調で,現代人の私には難しいがなんとか読んでみた.冒頭はルート選定について,次に工事について記されている.トンネルは東西の両方から掘り進められたが,地質は軟弱で,堅い石で側壁を築きその上に煉瓦アーチを組むという工法が用いられ (小刀根トンネルの内部と同じ構造である),ようやく全ての工事が完了したという.続いて,この鉄路は近畿と北陸を一日で往来可能とし,工業や物産も含めて豊かさをもたらすであろうという期待を述べた後に,工事関係者の名前を刻んでいる.個人的に目を引いたのは長谷川勤介の名だった.東山トンネルの調査にあたって彼のことも少し調べていたからだが,柳ヶ瀬トンネルの工事では西側と他3本の隧道の監督を務めていたようだ.そして,結びにあたって明治17年3月に工部省の五等属,村井正利が撰文・揮毫したことが記されている.

 

ここまでの内容は現地では判読できなかったものの,長谷川勤介の名前を見つけて少し嬉しくなったりはしていた.しかし実はこれ,レプリカだそうだ.本物は元々扁額のように坑門に掲げられており,現在は取り外されて長浜鉄道スクエアに所蔵されているという 7.レプリカなら隧道に掲げておけば良いのにと思う.それにしても,これほどの長文を刻んだ額を坑門に掲げるというのも珍しい思われる.相坂隧道などの比ではない.

 

その右には,

豪勢な選奨土木遺産のプレート.

 

さあ,入洞しよう.と言っても歩行者通行止めで,それ以前に交通量が多いので徒歩で進入するのは大変危険である.仕方がないから車に乗って通り抜けるが,後続車がいるので内部で停車するわけにもいかない.レンタカーなのでドライブレコーダーもない.結局,内部の写真を撮ることは叶わなかった.ただし目視では,モルタルの吹き付けで改修されているとはいえ,石の側壁や煉瓦アーチで造られた多数の退避抗を確認することができた.

 

長浜側に抜けて手頃な路肩に車を停め,歩いて戻ってきた.

残念ながらこちらはオリジナルの坑門を留めていない.ロックシェッド的な目的でコンクリートで延長したものと思われる.

 

しかし,向かって左側には,

近代化遺産と選奨土木遺産のプレート.そして,

扁額だ!これなら私でも読める.右書きで「萬世永頼」.鉄道黎明期において屈指の難工事となった本隧道にかける期待がうかがえる.その左には「参議 伊藤博文」.この鉄道が当初から官営で造られたことを示す重要なもの.

 

もちろんこの扁額もレプリカで,本物は長浜鉄道スクエアにある.それならば,やはり坑門に掲げておけば良いのにと思わずにはいられない.

まとめ

明治17年 (1884年) に開業した柳ヶ瀬周りの (旧) 北陸本線跡に残る鉄道遺産を探索した.いずれも熱心に保存・整備されており,日本の近代化の歴史を気軽に感じられる素晴らしい土木遺産だった.

 

欲を言えば,柳ヶ瀬トンネルの方はもう少し見学しやすくなって欲しいと思う.今の状態では内部の観察は叶わず,外観にしても旧状を留める敦賀側にはほとんど駐車スペースがない.理想的には車両通行止めとして,小刀根トンネルのように徒歩で見学できるようにするのが良いだろう.しかし現在の交通量は決して少なくないため,バイパスする道路を造らなければそれは叶わないだろう.地質の良くないこの場所に,新たに長大なトンネルを掘ることの難しさは私にもわかる.そもそも今の柳ヶ瀬トンネルにしても,拡幅にかかるコストが膨大であるという理由で信号機による交互通行になっているそうだ 1.なかなか難しい問題である.

参考文献

  1. 福井県教育委員会・編 (1999) "福井県の近代化遺産" pp. 72-82,福井県教育委員会
  2. 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 (2016) "新近江名所圖會第220回 日本海と琵琶湖を結ぶ―旧北陸線(柳ヶ瀬線)―" 2021年9月17日閲覧.
  3. 敦賀市文化振興課 (2015) "みんなの文化財 第37回 小刀根トンネル" 2021年9月17日閲覧.
  4. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 170-171,土木学会.
  5. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2014) "小刀根トンネル | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年9月17日閲覧.
  6. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2003) "柳ヶ瀬隧道 | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年9月18日閲覧.
  7. 渡邊誠 (2016) "『ふくいの鉄道160年』こぼれ話 (2) 第2章 福井の鉄道開業まで (つづき)" 鉄道友の会福井支部報,2016年3月号,No. 165,鉄道友の会福井支部,2021年9月18日閲覧.