交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

義宣寺橋 (2022. 9. 4.)

福井県勝山市,白麓山義宣寺の門前に架かる戦前製のRC桁橋.

 

福井市から東に25km,古い町並みの残る勝山市街の外れで九頭竜川支流の大蓮寺川を渡るのが義宣寺橋である.昭和10年 (1935) 5月竣工.

本橋は規模が小さいためか市史や郡誌にも言及が見つからず,現地の解説板 (後述) くらいしか情報が得られていない.それによると昭和10年以前にも橋があり,その頃は「富田橋」と呼ばれていたらしい.富田はかつて柴田義宣 (柴田勝家の甥) が富田城と称する居城を構えた頃からの古い字である (参考).義宣の死後,養子の勝政が義宣を弔うために義宣寺という曹洞宗寺院を建立し,富田橋はその正面にあるためかつてから「義宣寺橋」と呼ばれていた.昭和10年の架換えに際し,「義宣寺橋」が正式名称となっている.

 

2022年9月4日,現地を訪ねた.この日は車であちこち巡っていたが,義宣寺橋は集落内の小さな橋で駐車スペースも乏しいので,歩いて向かうことにした.幸い,橋から300mほど南の本町地区には,買い物客や観光客向けの無料駐車場が整備されている.日曜日だったが空いていたので,ここに車を停めさせてもらって徒歩に切り換えた.

 

古い町並みが保存される本町地区から出発.

 

商店街を抜けて集落内の生活道路へ.

 

ほどなく到着.

 

南詰から見る義宣寺橋.高欄の低さがいかにも昭和初期だ.正面奥の急坂が義宣寺への参道.

 

右 (上流) の親柱には「義宣寺橋」.

 

左には「昭和十年五月」.

 

下流側から見る義宣寺橋.(影で見にくいが) 単径間RC桁橋で,高欄も含めてよく旧状を留めている.

 

高欄近景.縦に長いアーチ型の窓を連ねた昭和初期の典型的な意匠が私は大好きだ.

 

渡って北詰からの景.

 

左の親柱には「大蓮寺川」.

 

右は親柱の手前に真新しい石碑が立っている.石碑自体はいいのだが親柱を隠してしまうのはちょっと嬉しくない.正面には「義宣寺橋」,裏には「わがまちげんき発掘事業 勝山エコ推進協議会」と記されている.路側の面には

元は富田橋と言ったが、義宣寺の門前にあるところから、義宣寺橋とも呼ばれた。昭和十年に架け替えられた際、正式名になった。

とある.

 

石碑の向こうにある本来の親柱を無理やり覗くと「ぎせんじばし」とある.

 

もう一度渡って左岸側に戻り,上流側を見る.

 

上流側では生活用水の取水のためか,左岸側に川の本流と仕切られた水路が設えてあり,水路の脇に歩ける部分があったので少し入ってみた.

上流側からの景.

 

竣工から約90年,昭和初期の典型的な姿をよく留める地域の土木遺産だった.

 

探訪は以上.水路脇を歩いて引き返したが,この日は写真からわかるように水量が多く,水路から溢れた水が道を濡らしていた.私は油断からかそこで足を滑らせ,水路に落ちてしまった.幸いすぐ「陸地」に復帰できたが,下半身がずぶ濡れになった.カメラが濡れなくてよかったと思う.気を付けよう.