交通遺産をめぐる

関西を中心に隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

那賀町の平谷橋 (2022. 9. 30.)

徳島県那賀町,旧上那賀町平谷地区内の旧国道の橋.

 

徳島県那賀町平谷地区.清流・那賀川上流部でもっとも開けたこの地区では,那賀川に支流宮ヶ谷川と丈ヶ谷川が合流する.那賀川右岸の国道は,宮ヶ谷川を平谷2号橋,丈ヶ谷川を平谷1号橋でスマートに跨ぎ,その先で高松方面の国道195号 (土佐中街道) と海部方面の国道193号 (木頭街道) に分岐する.

平谷1号・2号橋は昭和44年 (1969) の竣工 1 で,国道193号と195号の重複区間となっている.ただしそれは,丈ヶ谷川左岸沿いのバイパス (上図のピンの南西) が開通した平成6年 (1994) 頃 (路線上の大殿橋の竣工時期から推定) 以降で,それまでは両国道は平谷2号橋の東詰,つまり上図のトンネルの西口で分岐していた 1.上図にも描かれているそこから南に延びている道が,当時の国道193号であった.

 

この旧道上の,宮ヶ谷川を渡る橋が平谷である.場所: 33.7932985, 134.3025281 (世界測地系).

 

2022年9月30日,現地を訪ねた.

 

東 (右岸=徳島側) から見る平谷橋.背の低い高欄に古色が溢れる.

 

親柱はコンクリート製.線刻を有する柱にピラミッド型の飾りを載せた装飾的な造り.写真は右側 (右岸下流=北東) の親柱で,「宮ヶ谷川」の銘板を掲げる.

 

左側 (右岸上流=南東).逆光で酷い写真だが,「ひらだにはし」と刻む.

 

高欄.上部が (欠円) アーチ型になった小さな窓を連ねる,可愛らしい意匠.

 

渡って対岸からの振返り.かつての主要道らしい堂々たる幅員だ.

 

左側 (左岸下流=北西) の親柱.「平谷橋」.

 

そして右側 (左岸上流=南西) の親柱.ここには「昭和五十八年二月」と記されている.

 

土木学会の橋梁史年表 2,道路管理者である那賀町の資料 3 ともに,本橋は昭和29年 (1954) 開通としている.高欄や親柱の意匠はいかにもその時代らしいもので,どう転んでも昭和58年 (1983) のものには見えない.デザインが古すぎるし,高さも足りていないのだ.

 

不思議に思いながら,親柱の四面をきちんと確認してみると,外側 (路面と反対側) の面に,重要な情報があった.

一九五四 久保組」「一九八三 (有)多田組」.異なる年号と施工者の名前が,仲良く並んで記されている.つまり,昭和29年 (1954) に「久保組」が施工した本橋を,昭和58年 (1983) に「多田組」が改築した,ということだ.

 

では,その改築とはどのようなものだったのか.それは橋をよく見るとすぐにわかった.

これは左岸 (西) からの写真だが,路面に継ぎ目があり,右半分が後から継ぎ足されたようになっていることがおわかりいただけると思う.昭和58年 (1983) の改築,すなわち拡幅工事の跡に違いない.

 

拡幅部を横 (上流) から.注目すべきは,拡幅後にもかつての高欄・親柱をそのまま再利用しているとみられることだ.これにより,一見しただけでは拡幅の事実に気付きにくい,非常に自然な外観を有している.

 

橋の拡幅自体は全国各地でおこなわれているが,古い高欄が場所を移してそのまま使われる事例は,特に昭和後期以降では珍しい.景観を重視したのか,それとも新しい高欄を設置する予算がなかったのかはわからないが,いずれにしても古い雰囲気が良好に保存されている.

 

続いて下流側へ.足を濡らしたくなかったので視点場は限られてしまったが,護岸に設置された梯子で川床に降りることができた.

 

下流側=北からみる平谷橋.やはり背の低い高欄が好ましい.配管のおかげで桁が見にくいのがやや残念.

 

もう少し近寄ってみる.4本の主桁を有するRCT桁橋だ.そしてその奥に,間隔を開けずに,PC?床板桁が続いている.もちろんT桁部分が原桁,床版桁が拡幅部だ.

 

参考文献

  1. 坂本好 (1999) "阿波の橋めぐり" pp. 206-207,(株) アルス製作所創立50周年記念誌刊行会.
  2. 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2022年10月28日閲覧.
  3. 那賀町 (2019) "那賀町橋梁長寿命化修繕計画" 2022年10月28日閲覧.