交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

動橋大橋 (2022. 7. 24.)

石川県加賀市,動橋川に架かる戦前生まれの中路式桁橋.架換え工事が進む中,撤去前に訪ねることができた.

 

石川県江沼平野の中部,柴山潟の南に位置する加賀市動橋 (いぶりはし) 地区 (旧動橋町) は江戸時代の北陸道 (北国街道) の宿場町として発展した.一度聞いたら忘れがたいインパクトのある地名だが,当地を流れる動橋川にかつて一本橋が架けられており,人が渡るたびに揺れ動くことから名付けられたとされる.

 

動橋大橋は,動橋川に架かる石川県道145号串加賀線の橋である.

場所: [36.3295437, 136.3875315] (世界測地系).JR北陸本線の橋のすぐ上流に位置し,動橋の駅からも近い.私が本橋のことを知ったのも,JRの車内から見つけたことがきっかけだった.

 

動橋大橋に関する情報は少なく,その来歴を詳しく知るには至っていない.ただし Map Warper で閲覧できる戦前地形図 (明治42年測量→昭和5年修正→昭和8年要部修正) を見ると,本橋を含む道筋は動橋の街区 (宿場町跡?) から小松方面に向かうものであり,旧北陸道を踏襲した主要道路と思われる.だとすれば,本橋の「祖先」が「動橋」の地名の由来となった揺れる橋だったのかもしれない.また,「石川県江沼郡誌」には明治29年 (1896) 8月2日の洪水で

動橋川に架したる橋梁中動橋大橋の外全部流失

という記述があることから,遅くともその頃には「動橋大橋」という名前の橋が架かっていたことがわかる.

 

動橋大橋は昭和11年 (1936) に鋼プレートガーダー橋として架け換えられている.比較的珍しい中路橋であるが,設計の意図や経緯は定かではない.架設以来戦中・戦後にわたって地域交通を支え続けた本橋は,河川改修・河道拡幅に伴い令和3年 (2021) から再度架換えが進められている.工事は仮橋を架けた後に旧橋を撤去し,のちに新橋を架設するという流れで進められており,本記事執筆時点で交通は仮橋に移行済み,旧橋の撤去が進んでいるらしい.本記事ではまだ旧橋が現役だった2022年7月24日に現地を訪ねたときの様子を報告しておく.

 

江津橋などを訪ねたこの日の午後,古い木造駅舎が残る動橋駅に降り立った.

財産標によると明治30年 (1897) 開業時の駅舎である.外壁等は改築されているっぽいが立派な瓦屋根を留めている.

 

動橋大橋はここから徒歩5分ほどだ.

集落を抜けて県道に入るとこの状況.右が完成間近の仮橋であるが,まだ旧橋が現役のようだ.一安心.

 

もちろん旧橋の方へ.

 

まずは下流側から眺めてみる.

動橋大橋,昭和11年 (1936) 竣工.大聖寺側 (右) 2連が中路単純プレートガーダー (鈑桁),小松側 (左) 1連がこれまた珍しい中路RC桁.

 

爽やかな黄緑に塗られた鈑桁.点々と並ぶリベットが美しい.

 

2連の鈑桁は天面の高さが揃っていない.桁のサイズが違うのかと思ったが,どうもそういうわけではなかった.

 

この通り,沓の高さが揃っていないのだ.少しでも洪水の危険を避けるために中央径間を高い位置に置いたのだろうか.後述のように橋脚は後年の改築の気配があるので,中央径間もそのタイミングで嵩上げされている可能性がある.

 

桁の端部はR加工されており美しい.

 

改めて正面へ.

さすが旧北陸道,と言いたくなるほど広い幅員を有する.現代でも普通車同士なら離合できるだろう.高欄と親柱は中路桁をそのまま利用している.

 

右の題額には「動橋大橋」.

 

左には「昭和十一年七月竣工」.石川県の橋では「〇年〇月架」と表記されることが多いが,なぜ「竣工」なのだろう?

 

上流側に回る.

後付けで歩道橋が添加されている.

 

歩道橋の銘板.昭和44年 (1969年) 架設.なお,本題の車道橋の桁に銘板は見つからなかった.

 

さらに上流側に視線を移すと,工事用の仮橋.

探訪時点ではまだ工事中だったが,執筆時点では供用されているはず.

 

日曜日で工事作業員の姿がないのをいいことに,河川敷に降りて桁裏を観察してみた.夏場だからキツいかと思ったがある程度刈払いされており,比較的容易に接近できた.

中路桁なので一番底に横桁が並ぶ.見慣れた上路桁とはだいぶ様子が異なるので一瞬びっくりした.

 

 

割とスキューしている.

 

橋脚.段々になっているのは改築の痕跡であろう.多角形の開口部があるのが元の橋脚で,手前側にコンクリートで建て増ししているように見える.

 

橋上に戻り,対岸に渡る.

 

路面の継ぎ目も斜めになっている.

 

小松側の短い径間は無骨なRC桁.

 

渡って振返り.高い位置にある中央径間に,RC桁が無理やり取り付いているように見える.これも改築の結果っぽい.

 

小松側には「いぶりはしおほはし」「昭和十一年……」の題額.後者は埋没しているが大聖寺側と同様であろう.

 

RC桁の側面.ささやかな装飾が施されている.

 

小松側から見る鈑桁.

 

小松側ではぜひとも桁下に回りたい事情があった.橋脚に銘板が付いている,という情報があったのだ.どこかのWebサイトに書かれていたと思うのだが,愚かなことに控え忘れてわからなくなってしまった.確か地元の方のブログか何かだったと思うのだが….ともかく,親柱でも桁でもなく橋脚に銘板があるのは大変珍しい.架換え前にぜひ見ておきたいと思っていた.

 

橋脚を見るには河川敷に降りる必要があるが,上流側も下流側も切り立った護岸で降りられない.とりあえず小松側に歩き,小学校の前を通って川沿いの道に出てみると,そこから堤防に上がることができた.「通行止」と書かれていたような記憶がないでもない.ともかくそこからは緩い斜面で川べりまで下ることができた.藪漕ぎを覚悟していたが,工事関係者も使うルートなのか,一応の刈払いがなされていたのは幸いだった.

仮橋を潜り抜ける.

 

首尾よく旧橋までたどり着けた.

 

RC部分の桁裏.横桁の上に床版が載るだけのシンプルな構造.こちらも当然斜度がついている.

 

そして,上の写真の左下にも見えているが,情報通り橋脚に銘板が埋め込まれていた.

「昭和十一年八月」「請負人 動橋村 田島清次郎」と刻む.これが見たかった!よくもまあこんな目立たない場所に….事前情報がなければ気付かなかったと思う.ありがたい.

 

これにて満足して現地を後にした.

 

予想していたことだが,これが動橋大橋への最初で最後の挨拶になってしまった.今年1月のこちらのツイートには,すでにほとんど撤去された動橋大橋の写真が載せられている.残念無念.