交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

檔鳥坂隧道 (2021. 7. 17.)

琵琶湖東岸から美濃北部に抜ける街道に残る,改修工事真っ最中の旧隧道を訪ねた.

 

(旧) 北陸本線の柳ヶ瀬トンネルを経て滋賀県に戻ってきた.10kmほど南下して,北国街道の宿場町として栄えた長浜市木之本町に入った.木之本地蔵院の前で,西からやってきた国道303号と合流すると,まもなく道は伊吹山地に挑むべく,進路を東に変える.相変わらず旧街道らしい雰囲気の道を進んでゆくと,「東横町」で現道が分岐するが,私の進むべき旧道は直進だ.「ここはアットリ」という看板のある消防団の詰所で集落が途切れ,山岳地帯が始まった.

 

200m先,十字路となった.看板など何もないが,山越えの街道は直進だ.しかしそこにあったのは,

予想外のことに,通行止めだから迂回しろという.しかし「週休二日制」の文字があるように,この土曜日は休工日で無人だった.何より「通行止め」の看板は脇に除けられており,まるで解除中のようだった.念のため徒歩で状況を確認してみたが,特に通行に支障はなさそうだったので,車で失礼させていただいた.

 

500mほど進む.そろそろ隧道が見えてくるはずだ,と思っていると,

……そんなうまくいかないか.さすがにこのバリケードを動かすのは憚られたので,ここで車を降りて徒歩に切り替えた.

 

歩くこと2分.

見つけた.外見は供用中と変わりなさそうで,ひとまず安堵した.

 

接近.

檔鳥 (あっとり) 坂隧道,昭和7年 (1932年) 竣工.シンプルながら笠石と迫石,そして左右に広く張り出した翼壁が印象的な坑門工.

 

アーチを見上げて.

大きな要石が好ましい.扁額には右書きで「道通天地」.各地の隧道でよく見られる文言だが,北宋儒学者・程顥による漢詩「秋日偶成」の一節「道通天地有形外」,すなわち道は天地に (有形無形を問わず) 通ずる,に由来する.隧道によって自動車の往来を可能としたこの道路に対する期待が窺える.その左の署名は達筆過ぎて私には解読が難しいが,おなじみ「旧道倶樂部」さま 1 によると当時の滋賀県知事・伊藤武彦の揮毫だそうだ.そう言われてみると,湖北隧道の扁額にあった署名と同じ書体に見える.

 

さあ,入洞しよう.通行止め中のためか照明は消えていたので,探索用のライトを点けて慎重に進む.

まずは奥に写っている怪しいものから.

高所作業用の台車に照明と車輪の付いた,トンネル工事用の車両である.通行止めの理由はこれに違いないが,だったら休工日は除けておいて通行止めを解除すれば良いのにと思う.そうする必要もないくらい交通量が少ないのだろうか.

 

アーチを見上げて.

不鮮明な写真で恐縮だが (台車のライトを点灯させてもらえばよかったかもしれない),細いコンクリートブロックでアーチが組まれている.ところどころ後補の巻き立てがなされているが,現在進行中の工事によるものと思われる.

 

北口に抜けて,振り返り.

坑門工は南口と同様.向こうでは不覚にも気付かなかったのだが,近くで見てみると迫石の外縁は曲線に加工されており,アーチ全体として綺麗な円弧を描いている (一般的な迫石の外縁は直線で,より角ばった印象となる).シンプルな坑門工だが,設計者の美意識が感じられて好ましい.

 

扁額.

こちらも読みやすい.右書きで「檔鳥坂隧道 昭和七年十一月竣功」と刻まれている.

 

引いた角度から.

北口の坑門前はミラーは設置されているものの,文字通りブラインドカーブとなっている.古色の感じられる道路設計だ.

 

もう一度洞内を通り,

車の待つ南口に戻った.

 

先ほどは隧道にばかり目が行って気付かなかったが,道の東側には,

小さな祠が交通を見守っていた.

 

来年で竣工90年を迎える檔鳥坂隧道だが,過去には内部が補修材 (PCLというのだろうか) で全面的に覆われていた時期もあったようだ 1, 2.後に (遅くとも2019年8月までに) それが除去され 2,そして探索日時点では新たな補修工事が進んでいた.この写真を見る限り,今年9月16日には工事は完了しているはずだ (別の事業が続く可能性はあるが).できれば探索日の状態のような部分的な補修に留め,コンクリートブロックのアーチは留めておいて欲しいものだが,現状やいかに.いずれ再訪したいと思う.

参考文献

  1. 永富謙 (2005) "旧道倶樂部活動報告書・档鳥坂隧道" 2021年9月18日閲覧.
  2. よとと (2019) "檔鳥坂隧道(滋賀) by.くるまみち" 2021年9月18日閲覧.