交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

桂城隧道 (2022. 12. 3.)

三重県紀北町 (旧海山町).熊野灘に面した港町への入口として活躍した大正期の隧道.

 

紀州は尾鷲から北東に約15km地点.入り組んだ海岸線が作った半島 (名称不明) は,熊野灘に面する港町として発展した.この半島の東側の島勝港 (桂城村) と尾鷲を結ぶ道筋は大正12年 (1923) に県道尾鷲桂城線に指定され,県の手で車道としての改修が進められた 1.道中一番の難所であった矢口地区と船越地区の間には「桂城隧道」が造られた.

場所: [34.1242, 136.27991] (世界測地系).

 

改修事業は昭和8年 (1933) に竣工したが,桂城隧道自体は先んじて大正14年 (1925) 3月に開通していたらしい 1.以来戦前・戦後を通じて70年近く地域交通を支え続けた *1 隧道は,平成6年 (1994),隣に新トンネル (島勝トンネル) が開通したことで一線を退き,平成28年 (2016) 頃からはフェンスで封鎖されている.

 

2022年12月3日の夕方,現地を訪ねた.国道42号熊野街道から県道734号矢口浦上里線に入り,矢口トンネルを通って (ここにも廃止された旧隧道があるが未探索) 半島入口の矢口浦へ.ここで相賀から来る県道202号 (かつての尾鷲桂城線) に入り,1kmほど進むと島勝トンネルが見えてくる.その手前で右に旧道が分岐しているので,少しだけ入って駐車した.

左が現道の島勝トンネル.右が旧道.ちなみにこれは帰り際に撮影した写真.到着時点では地元の方の車が停まっていた.ちょうど戻られるタイミングだったので挨拶したが,山菜か何かを取りに来られているようだった.

 

旧道へ.警告色のゲートが設置されているが開放状態となっている.

 

高さ制限標識が残る.

 

ほどなく,深い掘割の先に目指す隧道が見えてきた.路面は舗装されているのだが,草木の浸食が激しい.いずれ歩くのも困難な状態になりそうだ.

 

桂城隧道 (尾鷲側),大正14年 (1925) 竣工.狭い切り通しの奥にあるので窮屈だが,戦前らしい凝った意匠が光る.

 

坑門工は主にコンクリート造りで,笠石,扁額,そしてアーチ環は石造り.アーチ環は五角形の迫石を並べた所謂盾状迫石となっているが,熊野街道の旧隧道群 (長島,海野,道瀬,三浦,相賀,尾鷲) や国道425号 (旧) 坂下隧道の影響を受けたものかもしれない.

 

立派な造形ではあるのだが傷みが激しい.漏水の影響であろう,向かって右側はコンクリートが剥落し,内側の岩盤がむき出しになっている.水を少しでも逃がすためか,壁面には何箇所か穴が開けられている.また,わかりにくいがアーチ環の内側には分厚い鉄板が追加で巻かれており痛々しい.

 

扁額.右から「桂城隧道」.

 

その脇に署名.「山」だけはわかるが他がはっきりしない.本隧道が竣工した大正14年 (1925) 当時の三重県知事が山岡国利氏だったことを考えると「書 山岡」あるいは「三月 山岡書」に見えてくるが…どうかな.自信はない.

 

フェンスの隙間から内部を覗く.坑口付近はライナープレートで補強されており,当初の構造は窺えない.しかし奥の光はしっかり見えており,路面も見える範囲は綺麗で,あまり状態が悪いようには見えない.

 

ライトで照らしながらズームで無理やり奥を望む.ライナープレートの向こうは素掘りのようだ.

 

鍵がかかっているし有刺鉄線もあるので,ここは大人しく引き返すことに.

 

振り返って.奥に旧道入口のゲートが見えているが,このくらい現道から近い場所にある.路面は堆積物や植物に覆われつつある.隧道内の方が良い状態に見えてくる.

 

車に戻って現道の島勝トンネルを抜ける.すぐに右折し,桂城隧道の島勝側に続く旧道に入る.こちらは林道や途中にある資材置き場へのアクセス路として使われているらしく,狭いものの普通に自動車で走れる状態が保たれている.

やや無理のあるカーブで進路を転じる.

 

曲がるとすぐに隧道が見えた.中央奥の暗がりがそれだ.左側のガードレールの外が資材置き場になっている.

 

ちなみにGoogleカーも2021年にここを通っているが,その時は山仕事中?の車が道を塞いでいて引き返したようだ.

おっちゃん道路の真ん中で寝転がっとるし…….まあ林業関係の車以外は来んわな.

 

幸い今回は誰もおらず,あっけなく隧道前に到着.

 

桂城隧道,島勝側.尾鷲側と同じく鉄条網で封鎖されている.こちらも鍵がかかっていて中には入れなかった.

 

意匠は尾鷲側と同様.アーチが鋼材で補強されているのもまた然り.

 

扁額.尾鷲側とは違う書体で「桂城隧道」.

 

左側に何か刻まれている.すごく気になるが判読できず.こういうのは文字の横とか下からライトを照らすと読みやすくなったりするのだが,それをするには脚立が必要だ.

 

フェンス越しに中を見る.例によって坑口付近はライナープレート補修.

 

その奥は…

 

側壁が石積みか?!

 

アーチは現場打ちコンクリートか…?

 

石積み側壁にコンクリートアーチ (たぶん) とはちぐはぐな構造だが,トンネル覆工の材料が石や煉瓦からコンクリートに移りつつあった大正期らしさなのかもしれない.いずれにしても,これを見ると内部をじっくり観察したい気持ちが強まる.もっと近くで見てみたい.現役だった頃に来たかったな.

 

坑口前から振り返って.左奥が旧県道だが,隧道を通らずに右側に伸びる道もある.林業用の道と思われる.

 

色々と消化不良だが,これ以上はどうしようもない.旧道を引き返し,誰もいない船越の砂浜で海を眺めてから家路についた.

参考文献

  1. 海山町役場・編 (1984) "海山町史" pp. 711-712,海山町役場.

*1:この間,路線名は県道202号須賀利港相賀停車場線に変更されている.