地中を潜るにも関わらず「風光随一」の文字が掲げられた隧道が存在する.滋賀県北部のそんな逸品を訪ねた.
百瀬川隧道から続く.湖北バイパスに復帰して北上を続けた私は,琵琶湖に沿って「野口」交差点で右折し,国道303号の単独区間に入った.琵琶湖西縦貫道路とも呼ばれるこの道を5kmほど進み,「岩熊トンネル」の手前で右折してすぐに左折.「通行止」と書かれた看板があったが脇に寄せられていたので,通れると判断してそのまま進入した.
ここからは旧道だ.写真を撮らなかったのが悔やまれるところだが,林の中を進む1.5車線の道で,路面の堆積物はやや多いものの,ゆっくり走れば特段の問題はなかった.車から降りて落ち枝や落石を除ける必要すらなかった.
旧道に入ってから1.5km.あっという間に目指す隧道に到着した.
湖北隧道,昭和9年 (1934年) 竣工,近代土木遺産Aランク 1.ポータル全面とアーチ環に沿ったスリット模様が美しい.
上の写真ではわかりにくいが,坑口付近は手前に迫り出す意匠となっている.
その部分の角は丸くなっており,またこれも写真では伝わりにくいのだが,上に行くほどせり出しが広くなっている.非常に凝った意匠であるが決して華美になりすぎず,全体として優美な印象の坑門工となっている.
扁額には,
「風光随一」.この鬱蒼とした西口には似つかない言葉だが,その意味は後ほど明らかになる.
事前情報の通り本隧道は封鎖されており,車両での進入は叶わない.しかし,ガードレールが設置されているだけだから,徒歩での通り抜けは容易である.
というわけで,私が何をしたかは書けないのだが,内部.
外観に比べると平凡な印象かもしれない.「本邦道路隧道輯覧」2 によるとアーチはコンクリートブロックの3~5枚巻きとなっているが,後からモルタルが吹き付けられたのか,組積は窺えない.ただしその吹き付けも劣化が激しく,数え切れないほどの箇所で表面が剥落している.
このあたりが通行止めの理由だろうか.
振り返って.
後で別の写真も示すが,幅員・高さともに相当大きい.私一人だけが中に居るのは勿体ないと思えるほどのスケールだ.
さて,西口の鬱蒼とした林の中から隧道を通り,東口に抜けて目にするのは,
この雄大な景色である.眼下に広がるのは奥琵琶湖,正面には賤ヶ岳や山本山,さらに奥には伊吹山地まで見渡せる.西口扁額の「風光随一」は,この絶景の地への入口という意味で掲げられたに違いない.
振り返ると,
西口と同じく堂々たる,かつ優美な曲線を組み合わせた坑門.
扁額.
「湖北隧道」.西口は左書きだったがこちらは右書きとなっている.その左は「■■書」と読めるので揮毫者の署名であることはわかるのだが,肝心の名前が私の写真では判読困難である.しかし「滋賀県の近代化遺産」3 によると「伊藤書」と刻まれているそうだ.当時の伊藤武彦・滋賀県知事のことに違いない.どちらかと言うと「武彦書」に見えるのは私だけだろうか.
半ば廃道化しつつある西口と違って,東口は奥琵琶湖パークウェイに面しており,休日のドライブを楽しむ車やバイクが頻繁に通過していた.こちら側であまり怪しい行動を続けるのはよろしくない.というわけで,交通の切れ目を見計らって引き返した.
例によって私の行動を詳しくは書けないのだが,およそ3分のうちに車に戻った.
さて,次の目的地に行く前にもうひとつ試したいことがあった.本隧道は探索日時点で通行止めであり,無粋なガードレールで塞がれていた.しかし,できれば封鎖のない「本来の姿」を拝みたい.そのため,ここまで乗って来たレンタカーの向きを変え,坑口手前まで後退させた.以前愛媛の鳥越隧道でとったのと同じ作戦である.
できるだけ車を大きく写そうとしたのだが,それ以上に坑口が大きく,結局うまく隠れなかった.しかしこれはこれで,本隧道のスケールの大きさを示す結果となった.奥琵琶湖への観光道路だけあって,大型バスの通行も想定した結果であろう.
非常に美しく,かつ土木史上・観光史上も重要な土木遺産である湖北隧道.通行止めのまま荒れるに任せるのはあまりにもったいない.内部の補修は必要かもしれないが,人道用としての再活用が強く望まれる逸品である.