交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

姫路市の白鷺橋 (2021. 7. 3.)

姫路市を横断する西日本の大動脈,国道2号.戦争や道路拡幅を経て,今もなお美しい姿を留めるアーチ橋を訪ねた.

 

須加院川の謎の橋の探索を終えた私は,15時前になってようやく姫路市街に戻ってきた.駅近くのカーシェアステーションに車を返却するため,一方通行の多い街中を行ったり来たりする途中,遠方に美しいアーチ橋が見えた.昼食がまだなので腹は減っているが,先にその橋を訪ねることにした.

 

姫路城の濠につながる船場川に沿って北上してゆくと,旧山陽道に歴史を発する国道2号と交差する.4車線の両脇に歩道があり,しかも車道部は4車線全てが東向きの一方通行という凄まじく現代的な道路であり,こんなところに古橋が残っているとは考えづらい.しかし,右手側の船場川に架かる橋を見てみると,

見つけた.先ほど南側の道から見えたのはこの橋だ.

 

こちら側は少々見づらいので,反対の北側に回る.

白鷺橋,昭和8年 (1933年) 竣工,近代土木遺産Bランク 1.装飾に富む美しいRC充腹アーチ橋で,名称は白鷺城とも呼ばれる姫路城に由来するものであろう.

 

4本の親柱と高欄は全て保存されていた.

真っ黒の焦げ跡は戦時中の空襲によるものと伝えられる (後述の拡幅記念碑を参照).終戦間近の昭和20年 (1945年) 夏,姫路市は二度に渡って空襲を受けた.特に市街地を標的とした2度目の攻撃では,辺り一帯が焼け野原になったという.その痕跡を留めるものとして,本橋も一種の戦争遺跡といえるだろう.

 

橋の東詰の広場には,

国道線竣工記念の碑.白鷺橋を含む国道2号が開通したのは昭和8年 (1933年) だが,その頃建てられたものだろうか.白鷺橋の高欄などと比べてやけに綺麗な気もするので,次に述べる道路拡幅の際のものかもしれない.

 

橋の西詰の歩道上には,

白鷺橋拡幅記念碑.戦後の道路改修の際,地元住民の要望もあり,本橋は外観を保ったままで拡幅されたという.地域の風景の一部として親しまれてきたことが窺える.橋の下を確認することはできなかったが,拡幅にあたって新設されたであろう橋の中央部はどうなっているのだろうか.

 

最後に,北側からの全景.

迫石やひときわ大きな要石,そして洗い出し模様などは大正15年 (1926年) の神戸市の福田橋にも似ている.白鷺橋の設計が誰の手によるものかはわからないが,意匠の類似性,そして同じ国道2号の橋ということから,福田橋と同じく兵庫県の技師が関わっていた可能性は高いだろう.

おまけ: 2代目西国橋の遺構

白鷺橋のひとつ下流側には,西国橋という橋が架かっている.おそらく西国街道に由来する名前だろう.現在の西国橋は平成30年 (2018年) に架け替えられた3代目の橋で,現地には解説板が建てられていた.

その脇には,

2代目西国橋のトラスの一部が,モニュメントとして保存されていた.どうやら先代の橋は,私の大好きなポニートラスだったらしい.もう少し早くこの趣味を始めていればよかったと,少し悔しい気持ちになった.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 196-197,土木学会.