戦後復興期に造られ,短命に終わった姫路市営モノレールの遺構を探索した.
目次
はじめに
姫路市営モノレールは,戦後復興期の昭和41年 (1966年),姫路大博覧会 (姫路博) を契機として開業した.国鉄の姫路駅と姫路博会場のあった手柄山公園 (手柄山駅) を結ぶ1.6kmの短い路線だったが,飾磨の臨海工業地帯,さらには日本海側の鳥取まで延伸する計画もあったという 1.しかし,距離の短さと運賃の高さから,姫路博の閉幕後は利用が低迷し,開業からわずか8年の昭和49年 (1974年) には営業を休止,その5年後には廃止となった 2.
廃線後の現状として,終着駅であった手柄山駅は,営業当時のままの姿のプラットホームに当時の車両を横付けし,戦後復興期の雰囲気を味わうことのできる資料館「手柄山交流ステーション」として生まれ変わっている.駅舎,車両,そして技術資料として屋外に展示されたモノレールの台車は,
博覧会会場の手柄山中央公園~姫路駅間1.6kmを結んだ全国初となる市営モノレールの遺構群。戦後姫路の躍進と大志の結集体。
として令和2年 (2020年) に土木学会選奨土木遺産に認定された 3.一方で,終戦までのものを対象とする (土木学会選) 近代土木遺産には認定されていないという,やや珍しい物件でもある.
手柄山駅以外の遺構については徐々に撤去されつつあるが,全線がコンクリート製の高架という特質からしてその費用も甚大で,未だに一部の橋脚やレールが残っている.半ば放棄されているという状況からか,選奨土木遺産のリストには含まれていないが,モノレールの廃線跡という特異な景観は興味深い.
本記事ではこれらの遺構の,廃線から42年が経過した現在の姿をレポートする.
手柄山交流ステーション (旧・手柄山駅)
宍粟市~姫路市の交通遺産の探索を終えて車を返却し,白鷺橋を訪れた私は駅に戻り,遅い昼食を済ませた.その後山陽電車に乗り,一駅先の手柄駅で下車した.
ここから歩いて探索するつもりだったのだが,駅前にこんなものを見つけた.
レンタサイクル.無人だが,横の機械を操作することで利用できるようになる.料金もリーズナブルで,しかも市内20か所のどこでも返却できるという.まさに渡りに船で,これに乗って探索しながら姫路駅まで戻り,駅前の拠点で返却することにした.
手柄駅から手柄山までは600mほどの道のりで,自転車だとあっという間に着いた.駐輪場に自転車を停め,坂を登って行くと,
煉瓦張りの豪勢な建物が見えてきた.手柄山駅舎だ.
水族館の新館の入口を兼ねたところから入館する.受付に居た職員さんに教えてもらった通りひとつ上の階に行くと,
そこはモノレールのプラットホームだった.
一番の目玉であるモノレールの車両.
まん丸のライトと昭和らしいツートンカラーの配色が好ましい.
2両編成のうちの1両は,内部も見学できるようになっていた.
座席はクロスシート.時代を考えると国鉄の急行列車並みの豪華な接客設備だったと思われる.
車両側面には,
姫路市の徽章.このモノレールが市営であったことの証である.
連結部分.
2両編成だが,それぞれは両側に運転台があり,1両でも走れる車両だったようだ.向かって右側には,
選奨土木遺産のプレートが,透明な箱に納められていた.
車両が横付けされているホームは,時刻表や広告といった当時の掲示物がそのまま残されており,モノレールが現役だった高度経済成長期の雰囲気を味わうことができた.
休日ということで,閉館間際にもかかわらず家族連れが多数遊んでいたので,全景の写真は割愛する.
駅舎を裏口から出て,振り返る.
基本的にはコンクリートの建物だが,ひと際大きな煉瓦張りの塔が目立っていた.内部は水族館の一部だろうか?
また,その裏口付近には,
モノレール台車の展示.詳しいことはわからないが,ロッキード式という比較的珍しい方式だったようで,時速120kmでの走行もできたというから驚きだ.姫路駅から手柄山駅の1.6kmでは無用の長物だったかもしれないが,臨海工業地帯や鳥取への延伸が実現していれば,つくばエクスプレスのように高速かつ有力な交通機関となっていたに違いない.
堪能したところで自転車に戻った.ここからは廃線跡の探索だ.
姫路市末延の廃線跡
手柄山交流ステーションにあったジオラマを思い出しながら,自転車を進める.船場川を越える所までは水族館や手柄山公園駐車場,文化センターなどが建てられており,遺構は見つけられなかった.仕方がないので文化センターに面する「月見橋」で船場川の対岸に渡った.モノレールもこのあたりで川を越えていたはずだ.
そこから100mほど川沿いに進むと,
見つけた!間違いなくモノレールの高架橋だ.
接近して.
分断されたレールが虚しい.コンクリートの無機質さも相まって,寒々しい光景が広がっていた.
先を望むと,
新幹線と交差する手前まで,数径間は続いているようだ.
高架橋に沿って進みたいところだが,借り物の自転車では少々難儀しそうに見えたので,迂回することにした.県道に出て,建物の切れ目から眺めてみると,
コンクリートの直線が,街中で異彩を放っていた.
反対側の端.
こちらは会社の裏庭のようなところで途切れていた.私有地ゆえに容易に撤去できず,こうして放置されているのだろう.
姫路市南畝町の廃線跡
県道を北に進むと,JR山陽本線と山陽新幹線と交差する.その先で,再び廃線跡が復活した.
植え込みから伸びる蔦が,無機質なコンクリート塊を侵食していた.
遺構は次の「岬橋」で途切れた.
高架橋の真下は道路と川に挟まれた細い農地となっており,ここもやはり私有地ゆえに撤去が進んでいないのだろう.
なお,岬橋の先は真新しいマンションが建っており,遺構は見つからなかった.
屋根の上の廃線跡
モノレールはこの先で県道を越え,マンションと一体化した大将軍駅に入っていた.しかしその建物は既に解体され,だだっ広い更地だけがあった.
まもなく姫路駅となる.駅に続く大通りのひとつ北の筋が怪しいとにらみ,自転車を進めた.昔からある商店街といった風情で,とてもモノレールが通る余地などなさそうに見える.違う所を通っていたのだろうか.そう思いながら,ふと右側 (南側) の建物を見上げてみると,
橋脚だ!
どうやら立ち並ぶ商店の屋根の上に橋脚を建て,そこに軌道を通していたようだ.屋根にそんな重いものを載せて大丈夫なのか,と私のような素人は不安になってしまうが,それほど用地確保に苦労したということか.
先の交差点で振り返って.
古い家並みから点々と,煙突のように伸びるコンクリート塊.ここにしかない異質な光景であろう.
先へ進む.山陽電車の高架を越えたところで現れたのは,
超巨大なカンチレバー橋脚.今回探索した遺構の中で最も大きなもので,度肝を抜かれた.
違う角度から.
向かって右側の山陽電車を跨ぐ大きな支間長を得るためのカンチレバー構造だったと思われる.
その先の店舗の上に建つ橋脚が,私が見つけた最後の遺構となった.
姫路駅までわずか150mほどの所だった.これより先の遺構は,駅前の開発で失われてしまったのだろう.
戦後の高度成長期に造られ,短命に終わった姫路市営モノレール.手柄山交流ステーションは当然よく整備されていたが,それ以外の廃線跡についても,独特かつ魅力的な景観を造っていた.しかしながら,後者については高架橋という性質上,安全面を考慮すると近い将来に撤去される可能性が高い.「期間限定でないものなどない」というこの趣味における鉄則を思い出しつつ,街中に異質なコンクリート塊が鎮座する今の光景を,しっかりと目に焼き付けた.
宍粟市の生谷橋から始まったこの日の探索は,これにて終了した.
参考文献
- 姫路市役所観光スポーツ局手柄山交流ステーション (2019) "姫路モノレールとは | 姫路モノレール" 2021年9月3日閲覧.
- 産経新聞 (2017) "【関西の議論】運行わずか8年…幻のモノレール昭和の鉄道遺産に脚光 - 産経ニュース" 2021年9月3日閲覧.
- 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2020) "姫路市営モノレール遺構群 | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年9月3日閲覧.