交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

姫路市香寺町須加院の口橋 (2021. 7. 3.)

姫路市北部の須加院川に架かる,謎に包まれた橋を訪ねた.

※2021. 10. 25. 名称確定につき追記+記事タイトル変更.

 

相坂隧道の探索を終えた私はそのまま県道80号を南に進み,須加院川に沿って東に進路を変えた.まっすぐ進むと国道312号に突き当たるので,右折して市川に沿って南下していけば,車の返却場所である姫路市街まで帰ることができる.しかしその前に,もう一か所寄りたいところがあった.

 

国道312号との交差点の直前,右に分かれる道がある.右側は須加院川だから当然橋が架かっている.

見るからに新しく,特筆すべきことのない橋である.しかし銘板の類のものはなく,橋の名前はすぐにはわからなかった.結局,反対側に併設された歩道橋の下を覗き込んで,

こんな銘板を見つけ,「姫ヶ丘橋」という名称が判明した.この橋の先には山を切り開いて造成された姫ヶ丘という住宅地があるので,それに由来する名前であろう.しかし,この橋が今回の主題ではない.

 

姫ヶ丘橋から西を望むと,

怪しい橋が見える.橋の横に駐車している黒い軽自動車は私のものではなく,電話中のサラリーマンだった.この車があったので,私はやむなく少し離れた場所に車を停めて歩いてやってきたのだった.

 

接近して.

欄干も親柱もなく,橋というより単に板を渡しただけというような印象だ.

 

反対の西側から.

コンクリートの橋桁はそれなりに年季が入っている.しかし無橋脚であることからして,それほど古いものとも思われない.また,よく見ると橋の基部は護岸が途切れ,コンクリートの橋台となっている.単なる私道というわけでもなさそうだ.

 

橋上.

床版を乗せただけで,造りかけの橋ような印象すら受ける.幅員は軽トラでも厳しいほどである.もともと人道用だったのだろうか.

 

本橋の部分はガードレールが途切れており,また立入禁止の掲示などもなかったので,歩いて渡ってみた.床版はきちんと固定されていないようで,足を載せるとベコベコと軋んだ.しかし踏み抜いたり滑ったりすることはなく,安全に通行できた.

 

渡りきって,振り返る.

よく見ると側面には点々と金具が取り付けられており,水道管か何かを通すことも想定されていたようだ.

 

橋の南側には,

未舗装ながら道が続いている.向かって右側には倉庫らしき建物,一方左の広い土地には,

廃屋らしき一軒の家が建っている.

 

さらに進むと,姫ヶ丘橋の南詰に合流する.道筋からすると先ほどの橋は姫ヶ丘橋の旧橋ということになるので,本記事のタイトルはそうしてある (2021. 10. 25. 名称確定につきタイトル変更).現道から振り返ると,

こちらも封鎖や立入禁止の看板などはないが,見るからに私有地といった雰囲気だ.荒れてはいるものの,奥には電柱もあるので,完全に放棄されているわけでもなさそうだ.

 

ここからは調査編である.と言っても橋の素性は明らかになっていないのだが.執筆時点の最新の地理院地図は,本橋を含む今回私が歩いたルートを徒歩道として描いている.

地理院地図にあるからと言って公道とは限らないが,私人が勝手に架けた橋という可能性は低いだろう.

 

過去の航空写真も見てみよう.

左が最新版,右は昭和52年 (1977年) の航空写真である.昭和52年時点では姫ヶ丘橋は完成していない (工事中に見える) が,本橋および今回辿った道筋は確認できる.当時架かっていたのが今の橋と同じと断定は出来ないが,橋桁の古び具合からして可能性は高いだろう.また,南西方向にスクロールしてもらうと,昭和52年時点で既に住宅造成が進んでいることがわかる.これが姫ヶ丘で,「香寺町史」1 によると昭和38年 (1963年) に姫路市ベッドタウンとして開発が始まったようだ.

 

姫ヶ丘の開発が始まるより前の写真とも見比べてみよう.

左が昭和52年 (1977年),右が昭和36年 (1961年) である.昭和36年時点では姫ヶ丘の一帯は山が広がっているだけで,姫ヶ丘橋も当然存在しない.一方,今回辿った道や橋ははっきりと写っている.この道自体は,それなりに長い歴史があるようだ.橋の名前も姫ヶ丘橋などではなかったに違いない.

 

しかし上の2枚の写真を見比べると,橋の角度が異なるように見える.現状,本橋は川と直角で交差しているが,昭和36年 (右) の方は斜めに架かっているように見えないだろうか.だとすると,昭和36年 (1961年) から昭和52年 (1977年) の間に本橋は架け替えられたということになる.しかし,姫ヶ丘橋があるのにわざわざ旧橋を架け替える必要があったのかは疑問である.さらに戦後に架けられた橋とすると,既に進みつつあったはずのモータリゼーションに対し,幅員があまりにも狭いことが気になる.

 

結局,私の調査ではこれ以上の情報は得られなかった.姫ヶ丘橋の架橋にあたって,人道用として古い橋を架け替えた *1 というのがありそうなストーリーと思われる.ただし,人道用としても高欄も何もないのは不自然すぎるので,何らかの原因で造りかけて放棄されたのかもしれない.

 

謎に包まれた本橋の正体やいかに.ご存知の方,是非ご教授願います.

 

(2021. 10. 25. 追記)

本橋の名称が「全国Q地図」の全国橋梁マップに載っていた (もっと早く気付くべきだった…).「口橋 (くちはし)」だそうだ.竣工年は残念ながら不明のままだが,現在の管理者は姫路市で,市道「香呂226号線」の一部として,平成30年 (2018年) にも点検が実施されている.廃橋というわけでもないようだ.

参考文献

  1. 香寺町編集委員会・編 (2011) "村の歴史:香寺町史 通史編" p. 633,姫路市

*1:現在姫ヶ丘橋に並行している歩道橋は現地銘板によると2010年製であり,それまでは歩行者は車道を通るか本橋を通るかしかなかったはずだ.