交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

広島県道25号 神龍湖旧道【前編】永野犬瀬〜三坂 (2021. 6. 23.)

ダム建設によって誕生した下帝釈・神龍湖.そこに残る魅力的な旧県道を探索した.

目次

はじめに

神龍橋神龍湖探勝歩道から続く.ここまでで既に多くの交通遺産を探索し,お腹いっぱいの感もあるが,はるばる神龍湖にやって来たメインの目的はここからだ.

 

今回の探索では,この趣味における大御所,平沼義之氏,通称ヨッキれん氏による「山さ行がねが」のレポート 1 を全面的に参考にさせていただいた.厚く御礼申し上げます.これ以降の本文では,特記しない限り,同レポートを出典としている.

 

帝釈川発電所の貯水池である神龍湖には,広島県道25号三原東城線が通じている.現道は3代目で,それより前の「旧道」と「旧々道」に代わる存在である.旧々道発電所の建設された大正13年 (1924年) 頃の道とみられ,既に全面的に廃止されている.一方,次の世代の旧道については,大部分が神龍湖へのアクセス路などとして現役で利用されている.この旧道が開かれた詳しい時期は定かではないが,昭和6年 (1931年) に行われたダムの嵩上げに伴う付け替え道路とみられること,また旧道の一部である2代目紅葉橋 (現・神龍橋) の竣工が昭和5年 (1930年) であることから,その頃であろう.

 

まとめると,

  • 旧々道大正13年 (1924年) 頃に開かれたとみられるが,ダムの嵩上げに伴って数年で廃止された
  • 旧道昭和5年 (1930年) から昭和6年 (1931年) 頃に開かれたとみられる

ということだ.

 

今回は,その旧道と旧々道の遺構を探索した.探索の起点は,旧道・旧々道の中間にあたる永野犬瀬,つまり探勝歩道の入口や土産物店,駐車場,そして神龍簡易郵便局のあるこの場所だ.

ピンの位置から東西に延びる道が旧道にあたる.今回私は,最初にここから東に向かって,三坂駐車場 (旧道・旧々道の東端) までを探索した.次に,三坂駐車場に停めてあったレンタカーを回収して探索の起点 (上の地図の場所) の駐車場まで戻り,そこから西の旧道・旧々道を探索した.本記事では前編として,起点から三坂駐車場までをレポートする.

三号隧道

上の地図でも描かれている,探索起点のすぐ東にある隧道は,旧道の「三号隧道」だ.あっさりしすぎたネーミングだが仮名ではなく,西側にある旧道の隧道から順に「一号隧道」「二号隧道」「三号隧道」という連番の名前が付けられているようだ.

 

まずは手前側,つまり西側坑門.

名前と同じくらい無個性だが,垂直の側壁に半楕円形のアーチという坑口の形状は,旧道に特有のものである.幅員は1.5車線ほどしかなく,大型車のすれ違いは厳しい.現在は南側に2車線のバイパス (現県道) ができているので,この隧道は大型車は西から東への一方通行となっている.

 

内部へ.

しばらくはコンクリートの巻き立てが続くが,中間部は

素掘りに吹き付けだった.その先はまたコンクリートの巻き立てとなった.

 

東口から脱出して,振り返る.

こちらは少々ロックシェッドで延長されているようだ.シェッド部分の内部はライナープレートとなっていた.

(仮) 旧々3号隧道

旧道の三号隧道を抜けるとすぐに神龍湖のハイライトである紅葉橋となるのだが,その前にもう一つ見るべきものがある.

 

探索の起点にいったん戻る.駐車場の端から湖面を見渡すと,

廃屋のような建物の右に怪しい暗がりがある.これこそが,旧々道の隧道である.

 

この隧道へは容易にアプローチできる.旧道の三号隧道の西側坑門 (この写真) の手前には左への分岐がある.「通り抜けできません」という掲示はあるが,入るなとは書いていないので遠慮なく入らせてもらうと,三号隧道より低い位置に,

見えてきた.ここまでは舗装路だったが,坑口手前からは砂利道となる.おそらく砂利道の部分が本来の旧々道で,手前の舗装路は旧道建設時に造られた連絡路であろう.

 

改めて,正対.

名称は「山行が」に従って,(仮) 旧々3号隧道としておこう.垂直の側壁と欠円アーチの坑口を有するコンクリート隧道である.やや角ばった坑口形状は旧々道の隧道に特有のもので,旧道の隧道と区別する上で重要な特徴となる.

 

特に封鎖もないので内部に入り,東側から振り返る.

この隧道が造られたのは,帝釈川発電所が出来た大正13年 (1924年) 頃とみられる.現存最古の場所打ちコンクリート隧道は大正10年 (1921年) 竣工の徳島県の松坂隧道であり 2,また坑門工も含め完全な場所打ちコンクリート造りの隧道としては,山梨県の下山隧道 (大正12年) や岡山県の閑谷隧道 (大正13年) が最古とされる 3.本隧道の詳細な竣工時期は定かではないが,当時最先端の技術で造られたものであることは疑いの余地もない.

 

隧道の先は右へ急カーブを描いた後に,

廃道となる.この先にあったもうひとつの隧道は,2005年に岩盤ごと崩れてしまったそうだ.平沼氏はこの封鎖,そして崩壊地も越えて進んだようだが,私にはレベルが高いと判断したのでここで引き返し,三号隧道を通ってその東側に向かった.

紅葉橋,三坂第一隧道,(仮) 旧々5号隧道

三号隧道の東ですぐに現道と合流し,紅葉橋となる.

2代目紅葉橋 (現・神龍橋) に代わって昭和60年 (1985年) に架けられたアーチ橋で,部材同士の接合にはリベットではなくボルトが用いられている.

 

さて,紅葉橋の中央辺りで正面 (東) を望むと,

この写真,実は3世代の隧道全てが写っている.

旧道は三坂第一隧道で,シャッターで閉じられているが,往時は2代目紅葉橋 (神龍橋) と繋がっていたものだ.その橋台の中に,旧々道の西から数えて5番目 (崩落したものも含む) の隧道,すなわち (仮) 旧々5号隧道が収められている.事前にわかっていたとは言え,やはり衝撃的な光景だった.

 

より接近して.

平沼氏はここから体を張って旧々道の坑口まで下降されたようだが,私にはレベルが高すぎる.おとなしく現道の神龍トンネルで反対側へ向かった.

 

神龍トンネルの東口で振り返ると,

右側に明らかな旧道分岐.そちらへ進むと,

予習した通りに倉庫として活用されている,旧道の三坂第一隧道.西側はシャッターで閉じられていたが,こちらはこの状態だった.

 

旧々道の (仮) 旧々5号隧道については,

この下にあるはずだ.よく見ると道らしきものが見える気もするが,藪のせいで判然としない.

 

とりあえず旧々道は後回しとして,旧道の三坂第一隧道の内部に入ろうかと迷い始めた瞬間,隧道内からガサガサと音がした.そういえば,この手前には軽トラが止まっていた (この写真).倉庫として活用している主が,今まさに中にいるに違いない.慌てて尻尾を巻いて撤退した.2枚上の写真の手ブレが激しいのも,撮り直す時間がなかったからである.

 

後から考えてみれば,別に立入禁止のところに入っているわけでもないので,逃げ出す必要はなかった.倉庫の主が居るなら,中を見せてもらうように交渉すればよかったかもしれない.いずれにしても,ここの旧道および旧々道の隧道については再訪時の課題である.

三坂第二隧道

気を取り直して次に進む.旧道と現道が合流してから150mほど湖岸を進むと,

現道は「帝釈峡トンネル」で山を抜ける.その左に分岐するのはもちろん旧道だが,沿道のホテルへのアクセス路として現役である.特に立入を制限するものはなかったので,何食わぬ顔をして旧道に入った.

 

ホテルの先にあるのが,

旧道の三坂第二隧道である.内部に駐車してあるのはホテル関係者の車だろうか.公道ならトンネル内は駐停車禁止のはずだから,やはり私道かもしれない.

 

東側に抜けて,振り返る.

内部は白く塗られている.昭和初期に造られてからの経年劣化を,ホテルの客に見せまいとしているのだと思う.

 

東側はすぐ三坂駐車場である.梅雨時の平日ということもあってか,駐車場内にはほとんど車はない.私のレンタカーは神龍橋の探索前にここに停めておいたが,まだもうひとつ,見るべきものがあった.

(仮) 旧々6号隧道

現道は帝釈峡トンネルで,旧道は三坂第二隧道で抜けてきたこの山を,旧々道はどうやって躱していたのか.もちろん私は「山行が」のレポートで答えを知った上で来たので,難しそうなら無理に探索しなくても,と思っていた.しかし,現道や旧道よりも低い場所にある旧々道の高さには,思いのほか簡単に降下することができた.何しろ,三坂駐車場の片隅に,

こんな具合に下る階段が口を開けていて,封鎖も何もなかった.とりあえず行けるところまで,と思いながら階段を下ってゆくと,

簡単に水際までたどり着けた.おそらく,ハイシーズンは遊覧船の乗降場となるのだろう.この日は梅雨時で,しかも神龍橋の探索中にすれ違った観光協会か何かのおじさんに「今日は船には乗れんから」と教えてもらっていたので,安心して探索できたのだった.

 

水際から,とりあえず西に向かって護岸を歩いてみる.まもなくすると高い岩盤に阻まれた.帝釈峡トンネルや三坂第二隧道が掘られた岩山に違いない.先へは進めないので,

とりあえずこの斜面を登ってみることにした.すると,

見つけた!これぞまさに旧々道最後の隧道,(仮) 旧々6号隧道である.

 

接近して.

これまでの旧々道の隧道と同じく,垂直の側壁に欠円アーチという断面で,全面がコンクリートで巻き立てられている.

 

さて,洞内へ.

順に奥 (西側) と振り返り (東側).前後は廃道だが,隧道自体は非常に良い状態を保っていた.ダムの嵩上げによって廃止されたとはいえ,ここまで水位が上昇することはほとんどないらしく,未舗装の路面も乾いていた.いつまででもここに居たいと思えるほど,落ち着く空間だった.

 

内部で唯一見つけた落し物は,

薪一束.わざわざここまで薪を切りに来る人が居たのだろうか.

 

さて,西側に脱出する.

坑口の直後,路盤の半分ほどが抉れていた.うっかりするとサラサラと滑り落ちて,あっという間に湖に沈んでしまう.

 

足元に注意して崩落を越え,振り返る.

こちらは坑門というより,アーチだけが岩盤から露出している.

 

さらに西に進もうとはしたものの,

道が斜面とほとんど同化してしまったので,撤退した.

 

これにて前編の探索は終了となる.帰り道,隧道の西口付近は崩れているから気を付けなければ…と思っていたのに,まさにその場所で転倒した.幸い転んだ勢いで洞内に着地したので,湖面まで滑落とはならなかったのだが,危ないところだった.訪問される方はくれぐれもご注意願いたい.

 

三坂駐車場のレンタカーに戻った私は,しばし冷房で涼んだ後,帝釈峡トンネル・神龍トンネル・神龍湖トンネルを通って,永野犬瀬の探索の起点まで車を回送した.ここからは第二ラウンド,永野犬瀬から西側の探索である.

 

後編に続く.

参考文献

  1. 平沼義之 (2020) "【山さ行がねが】道路レポート 広島県道25号三原東城線 神龍湖旧道 第1回" 2021年8月15日閲覧.
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 234-235,土木学会.
  3. 日本の廃道・編 (2010) "隧道レッドデータブック (37) 閑谷隧道" 日本の廃道,第54号,pp. 85-87,日本の廃道.