交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 国道168号の交通遺産【2/6】西吉野町永谷の旧道橋 (2021. 7. 22.)

奈良県五條市から紀伊山地を縦断し,熊野・新宮に至る国道168号 (西熊野街道).その一番の難所・天辻峠に向かう険しい坂の途中で見つけた旧道橋をレポートする.

 

【1】より続く.立川渡から登ってきた旧国道は,西野トンネル南口で現道と合流するが,その先も急坂が続く.3kmほど先の西熊野街道随一の難所・天辻峠 (の真下の隧道) まで一気に登るわけだ.

 

峠が近付くと徐々に線形も悪くなる.それを私が最初に実感したのは,西野トンネル南口から1.7kmのところだった.

180°方向を変える急カーブが急坂の途中にあり,いかにも事故が多そうだ.

 

そしてこのカーブを通過中,怪しい旧道を見つけたのだ.

現道の急カーブよりさらに内側に切り込んでゆく道で,陰でわかりにくいが手前と奥に2本の橋が架かっているのが見えた.地図にない道で,まったく予想していなかったが,これを無視するわけにはいかない.しかし通り過ぎる時に気付いたこともあって,すぐに見に行きはしなかった.実際に立ち寄ったのはこの先の天辻隧道や旧大塔村の橋などを探索した後,奈良市に帰る途中のことだ.ただ,この連載では西熊野街道の交通遺産を北から順にレポートすることにしているので,こちらを先に記事にしておく.

 

上の写真の手前で車を停め,徒歩に切り替えた.特に封鎖などはなかったので,勝手に入らせていただいた.

 

まずは目の前に見える小さな橋から.

この橋は国道として現役だった時代のものではないと思う.国道の橋としてはあまりに簡素で,年季が入っているようにも見えない.下を流れる川は両岸がコンクリートで固められているから,護岸工事の際に橋も架換えられたのではないだろうか.

 

真の目当てはこの橋より向こうにある.そのまま100mほど進むと,

「そうそう,こういうのだよな」と言いたくなるような,昭和初期らしい道路橋だ.

 

親柱.

銘板を取り付けていたような跡はあるのだが,肝心の銘板自体は失われていた.他の3本の親柱についても同様で,橋の名称や竣工時期に関する情報は,後日の調査を以てしても判明しなかった.素直に名付けるなら地名から永谷橋,または川の名前から永谷川橋,といったところか.

 

下流側.

鉄筋コンクリートの桁橋で,立川渡橋や大滝橋と同様にH鋼で補強されている.高欄は大きめの半円アーチを連ねた昭和初期らしい意匠となっている.

 

上流側.

小さな橋だが,このどっしりとした姿と軽快な高欄の対比がたまらない.

 

渡って西詰からの振り返り.

路面は多少荒れているが,廃道というには程遠い.写真は省略するが,上流側には植林地が広がり,また小さな祠もあった.定期的に車が通ってはいるのだろう.

 

橋の西側の道路は,

すぐに現道と合流する.こちらも封鎖なし.全体で200mにも満たない小さな旧道である .

 

さて,まったくと言って良いほど情報のない本橋だが,現地で得られた唯一の手がかりは道路脇の「一級河川 永谷川」の看板である.おそらく現役時代に建てられたものだ (林道などでは見たことがない) が,「一級河川」というワードが登場したのは昭和40年 (1965年) に河川法が施行されてから 1 だそうだから,その頃にはまだ現役国道だったことがわかる.

 

次に,こうした調査における定番,古い航空写真を見てみよう.

左が最新,右が昭和51年 (1976年) の航空写真で,それぞれ中心の十字の位置が本橋となっている.後者に現道の姿はなく,本橋を含む旧道のみが写っている.従って,その頃もまだ国道として現役だったということだ.

 

それにしても,上の航空写真に写る旧道の線形は凶悪である.この地の唯一の幹線道路が,文字通りのヘアピンカーブを描いている.線形だけでなく勾配も相当なもので,しかもスピードの出やすい下り側の車線がカーブの内側となっている.そして橋上は4輪車同士のすれ違いにも気を遣うほどの幅員である.事故を誘発する要因がいくらでも思い浮かぶような道であり,自動車が爆発的に普及した昭和後期以降であれば,旧道落ちも致し方なかったろうと思う.

 

航空写真を見るついでに地理院地図をチェックすると,この旧道の東口の現道を挟んだ反対側は,天辻隧道の五條側に向かう登り坂だった.次の記事でレポートするように,私は先人の記録を参考に熊野側から天辻隧道にアプローチしたので,こちら側にはまったく気付いていなかったのだ.

向かって左側が本記事で取り上げている旧道,右側の登って行く道が天辻隧道に向かう旧道だ.現道の新天辻隧道が開通するまでは,左側から来た車がターンして右側の登り坂に向かっていたということになる.上で「旧道の線形は凶悪だ」などと書いたが,また違った様相を示していた時期もあったようだ.それでも線形不良ではあるが.

 

なお,平成14年 (2002年) 10月時点で本橋が旧道となっていたという情報もある 2.それ自体は驚くことではないのだが,引用先の Web ページの写真を見ると,橋上に古タイヤなどが投棄されている.私の探索時にはそんなものはなかったから,やはりこの旧道もそれなりにメンテナンスされているのだろう.

 

探索を終えた私は,封鎖されていないのを良いことに,車で本橋を渡ってみた.結果的に何の問題もなかったが,次にここを訪れる時にはどうなっているかわからない.技術的に・意匠的に特段珍しいわけではないが,古色溢れる良い橋だから,できるだけ長く今の姿を留めてほしいと思う.

参考文献

  1. 国土交通省 (刊行年不明) "川と水の質問箱 - 国土交通省 水管理・国土保全局" 2021年9月24日閲覧.
  2. noroma (2002) "NOROMA CLUB-旧道探索(国道168号線)-" 2021年9月24日閲覧.