若狭地方から琵琶湖西岸に向かう国道303号.最近の道路改良によって生じた「新しい」旧道をレポートする.
岐阜市から若狭町に至る国道303号のうち,琵琶湖西岸の高島市今津町から若狭町までの区間は,若狭と京の都を結んだ鯖街道に由来する.現在でも幹線道路として重要な役割を果たしており,道路改良によって多数の旧道が生じている.そのうち,水坂トンネル〜寒風トンネルの旧道については以前レポートしたが,同じ日,近江今津駅からのバスの車内から眺めた今津町追分〜今津町保坂の「海老坂トンネル」の旧道が気になった.
水坂トンネル~寒風トンネル旧道の探索から1ヶ月強が経過したこの日,改めて海老坂トンネル旧道探索を敢行した.高岩橋を後にした私は国道367号まで戻って北上し,突き当たりの「保坂」交差点までやってきた.鯖街道の続きは左で,右は琵琶湖西岸に至るが,こちらも琵琶湖の水運を含めて「鯖街道」の一ルートとして使われていたそうだ.
ともかく海老坂トンネルは右,つまり琵琶湖側に1.5km進んだところにある.写真は撮りそびれたのでストリートビューを使わせていただく.
2014年6月竣工の,現代的,かつ無個性なトンネルだ.
「トンネルがあればその脇を探せ」の鉄則通り,向かって左側,つまり北側に旧道が延びている.バリケード,通行止めの標示,「この先通り抜けできません」の掲示といった進入を拒むものは一切なかったので,車に乗ったまま旧道に入った.
旧道に入って250m.
道路脇の堆積物がやや多くなってきた.しかし荒れているというほどではない.
カーブの先で振り返り.
倒木は一応端に寄せてあるが撤去されてはいない.道を使う人はいるものの,道路管理者からは見放されているといった雰囲気だ.
そこからゆっくり進むこと,約2分.
だんだん怪しくなってきた.アスファルトを突き破って草が顔を出している.右側の路肩も藪の猛攻を受けている.
そして,奥の右カーブを抜けると,
廃道が始まった.わかりにくいかもしれないが橋が架かっており,その手前にバリケード (コンクリート製で動かせない) が設置されている.車を降りて探索を開始した.
橋の前後には中央分離帯が残っている,
上下線が分かれているような高規格な道路が廃道となっているのは珍しい.そもそもここまで車で走ってきて,それほど悪い線形とは思えなかった.ただしここ滋賀県北部は,冬には大雪が積もる土地だ.真夏の探索日と冬場ではきっと様相が異なるのだろう.
なお,上の写真では右奥に人影のようなものが見えるが,休憩中のライダーだった.彼は私より少し前に海老坂トンネルの東口側からやってきたらしい.2枚上の写真は彼が去ってから撮影したもの.
分離帯が現れた先の路面は,
途端に堆積物が増えた.ここからは車両が入っていないようだ.
振り返ると,
奥の車は私がここまで乗ってきたレンタカーだが,その付近を境にして廃化の具合が大きく異なっている.旧道の周囲は植林地となっていたから,林業関係者などは日々利用しているのだろう.
さて,橋をチェックしよう.まずは向かって右,つまり南西の親柱.
「おいわけはし」.後で漢字の銘板も示すが,現道の橋と同じく「追分橋」という名前である.
そして向かって左,つまり北西の親柱.
「平成4年12月竣工」.なんと平成生まれである.海老坂トンネルが開通したのは2015年3月だから,わずか20年ほどで廃止されたことになる.執筆時点では,私が見た廃橋の中で最も新しいものだ.
渡って対岸の親柱.
「追分橋」「石田川」.ブロック積みを模した装飾が施されていたり,自然を大切にしているとアピールするような絵が描かれているのはいかにも平成らしいが,これでも廃橋である.
振り返ると,
橋上は案外綺麗である.しかしまだ廃道となってから6年しか経っていない.このまま年月が経過すれば,ジャングルのようになってしまうだろう.ある意味「期待の新人」といえる廃道だった.
写真は割愛するが,旧道は橋の東詰ですぐに現道と合流する.バリケードは置いてあったが脇に開口部があり,車でも橋に辿り着けるようになっていた.先ほど休憩していたバイクもそこから入って来たに違いない.私のような趣味者にとっては封鎖は無いに越したことはないが,ちょっとどうなのかと思うような粗雑さである.せめて「通り抜けできません」の掲示くらいはあっても良いのではと思う.
なお,海老坂トンネル東口から1kmほど東にも,道路改良によって生じた比較的長距離の旧道が存在する.そちらも探索しようと思っていたのだが,その入り口には「演習場につき立入禁止 今津駐屯地」との札が掲げられていた.災害復旧の訓練か,あるいは市街戦の演習でもするのだろうか.いずれにしても,さすがに自衛隊の敷地で怪しい行動をとるわけにはいかないので,探索は見送った.